心に残る一冊の本

  • 2018.06.06 Wednesday
  • 23:23

 

皆様はつつがなくお過ごしでしょうか。

龍索堂も妻も家族も、

太陽と地球と祖神の加護をいただいて、

息災で過ごしています。(^^)v

 

 * * *

 

龍索堂は100年前にはこの世界におらず、50年後にもいません。

だから、短い人生経験の中で自分が知り得たことを、

このサイトを通して皆様に伝えようと思っているんです。

 

たいして役に立たない妄想話ばかりですが、

これでもいちおうサービス精神旺盛なんですよ。www

 

 

今年の3月に「仙境異聞」がツイッターで流行っていると聞きました。

謎ブーム どうして「天狗にさらわれた少年の話」が売れているのか?
岩波文庫『仙境異聞』の校注者も首をかしげるばかり

 

 

 

なんとも不思議なことですね。

 

遺伝子工学が進歩してヒトゲノムが解析される。

人工知能を備えたヒューマノイド型ロボットが完成間近。

そんな時代に、宗教(神道や仏教)の素養がない若い日本人が、

江戸時代末期の古文を読むのは難しいと思うから。

 

たぶん日本は、そう遠くない未来において、

江戸から明治に変わった時に社会構造が激変したと同じようなことが起きるんでしょう。

その時、精神的に寄る辺を持たない日本人が右往左往しないように、

古代からこの国の神霊として日本人を見守ってこられた神々や仙人からの

働きかけかもしれない。

などと思っているんです。

 

今では『仙境異聞』をスラスラ読み進める龍索堂ですが、

神道の学習を始めた頃は、

・・・?・・・?・・・て

閊えながら斜め読みしたのを覚えています。www

 

この文献の中には、両親・教師・同僚の誰からも教わる事のない

不思議な世界が記されています。

 

今ではインターネットで読むこともできますが、

仙童寅吉物語

『仙境異聞』の研究(1)

 

できれば文庫本を買い求めて、

何年かかっても良いから

繰り返し読むことをお勧めします。

 

この本は、仏教に偏った龍索堂を神道学習に導いてくれた

心に残る一冊なんです。

 

 * * *

 

常日頃、私たちが当たり前や常識と思っている多くが、

実はそうではない事が多いですね。

 

しかし、大方の人は深く考えたこともなく

“なんとなく、たぶんこうだろう”

と自分勝手に思い込んでいるようです。

 

真実を知りたいのなら、

自分で納得できるまで何度も調べて確かめるより他に手段はありません。

 

但し、現在はインターネットの普及で様々な事が一瞬で調べられるとはいえ、

検索できることの大半は上辺だけのことが多く、

それが真実なのかどうかは誰にも分からない場合が多いので気をつけなければなりません。

また、安易に見聞きできた情報=短期記憶なので直ぐに忘れてしまうから要注意です。

 

 

仏教を学んでいた頃の龍索堂は

お釈迦様をはじめインドの聖者や神々へ祈ることが多かった。

(神道の学習は仏教より後だったとはいえ初詣には行っていました)

 

仏教、特に密教は礼拝対象も祈祷法も

数多くの種類が伝わっていて、

それを覚える為には専門の僧侶でも数年かかることも少なくない。

 

 

お釈迦様はバラモン教のように古代インドの神々へ祈る祈祷法を弟子には伝えなかった。

それらはごく一部のバラモン階級に生まれた男子の独占事項だったし、何よりお釈迦様はカースト(社会身分制度)を認めず、身分の低い人たちも弟子として指導した。

(仏教について考える時、ここ重要なポイントです)

「インド古代の神々への祈祷が無くても涅槃へ到る方法がある」

「人間はカーストに関係なく誰でも涅槃へ到ることができる」

とお釈迦様が教え始めたのが、仏陀に成る為の教えと道=仏教・仏道なんです。

 

つまりバラモン教(現代ヒンドゥー教)と仏教の違いは、古代インドの神々への祈祷や呪術を含むか含まないかとも言えます。

その観点から見れば中国伝来の日本仏教は、

古代インドの神々を礼拝するヒンドゥー教と大差ありません。

 

 

仏教は、もともとバラモン教の神々や祈祷呪術を除いた教えだったのですが、

<在家信徒の要求により、古代インドの神々を仏教守護神として取り入れていった>

<在家信徒の要求により、古代インドの祈祷法を仏陀の教えとして取り入れていった>

 

これが数百年間発展した結果、

バラモン教は仏教の影響を受けて現代のヒンドゥー教となり、

仏教はヒンドゥー教に近づき後期密教となる。

そして両者の違いはほとんど無くなってしまった。

 

出家僧侶たちが、在家の仏教徒達が持つ数多い祈りに応えようとした事が、

結果として仏陀の教えを徐々に変形させて行った。

 

ここにインドが生み出した仏教が滅びた主要原因がある。

と龍索堂は考えているんです。

 

 

ある時、ふと思ったのです。

秘密仏教の祈祷法によるインドの神々への祈り、

神道の祈祷法による日本古来の神々への祈り、

その他の呪禁(マジナイ)による祈り、

どういう手段を使ったとしても、

祈りを捧げる者・祈りを受け取る神霊(や悪霊)という構造は変わりません。

そして<叶う・叶わない・先に叶う>という結果も変わらない。

 

おおざっぱな言い方だけれど、

宗教の祈り方は基本的に同じで賓客接待作法なんです。

 

事前に家を掃き清める。

食べ物飲み物などの供物を用意する。

神霊をお招きする。

そして神霊の徳を讃えてから、

供物を召し上がっていただき、

祈願を申し上げて、お帰りいただく。

 

であるのなら、太古からこの国に住んで、

今でも子孫を見守って下さる徳高い存在に祈った方が良いんだろう。

ということで今の龍索堂は、日本の神々へ祈りを捧げることの方が多いです。www

 

現在の龍索堂は、産土神(うぶすながみ:初参りをしたお宮の御祭神)を中心に八百万の神々に祈ります。

産土神は私たちが一生を通じて御加護をいただけるとてもありがたい神様なんです。

産土神を知らない場合は、現在住んでいる所の氏神様でも良いです。

 

産土神の御加護は他の神仏よりも恵み大いとされるのは、

人間が生まれて初めてお宮参りで出会うからだけでなく、

私たちがこの世に生まれる前、母胎へ宿った時から

すでにご存じだからです。

 

“じゃぁ、ほんとうに困った時、産土神に祈れば必ず願いが叶うのか?”と問われれば、

以前にも記したように<叶う・叶わない>の2種類の結果しかありません。

厳密にいえば<直ぐに叶う、先に叶う、叶わない>の3種類です。

 

これについては龍索堂だけでなく承服しかねる人も多いでしょうが、

願いの全てが叶うことはない。

むしろ願いが叶わない結果の方が良い。

という場合も少なくないんです。

 

結果がどうであれ、目標を定めてそこへ向かうために一心不乱に努力する。

この過程での学びがとても重要なんです。

学習やスポーツや習い事を教える指導達は、この事をとてもよく知っています。

たった1回の勝利を得るために、

何百何千回もの失敗を繰り返しても尚あきらめない不屈の忍耐を

身のうちに養うことの大切さを教えているから。

 

ちなみに赤子が言葉を話すようになるには、

母親から500回(1日1回ならば1年半ほど)

同じ言葉を繰り返し聞かされる必要があるそうです。

だから女性は本能的にお喋りなんでしょうね。www

 

 

「只管朗読」:反復500〜1000回で自在に使える観念力へ

  
  

 

 * * *

 

龍索堂は名古屋市熱田区の生まれで、

産土神(うぶすながみ)は熱田神宮です。

地元では古くから「あつたさん」といいます。

 

現在は、毎朝自宅の神棚の前で、

家族と縁者すべての人々の安寧をお参りしているけれど、

ことさらに祈願がある時には、お宮へ詣でるんです。

 

但し、この時には御籤はひきません。

御籤をいただくのは1年に1度、正月だけと決めているから。

 

それに、必ず望み通りに御籤を引くコツを見つけてしまったので、この数年は大吉ばかり。

そのコツは言いません。www

 

でもみなさんは御籤を引いても良いんですよ。

御籤は神様の御心を記した御示しですから、

“祈願の行方を示して下さい”と心を込めれば、

進むべき道が記された籤をいただけます。

 

しかし自分が望む御籤がいただけないからといって何度も繰り返すのは、

道理を知らず、わがままを言う赤子と同じで、

神様を困らせるだけですから止めましょう。

 

 

熱田神宮といえば、龍索堂の周りには、

毎年の正月に初詣するお宮の御祭神や、寺院の本尊の名前すら知らない。

そんな人たちばかりでしたから、産土神である熱田神宮についても

教えてもらうことはありませんでした。

 

『昔の熱田神宮はどうだったのですか?』と聞いても、

それを知っていて答えられる尾張名古屋人も少なかった。

 

だから、熱田神宮は、

今在る神明造りの本殿が昔のままだと思っているがほとんどです。

 

確かに他の名社(一宮、二宮、三宮)は、

昔の様式を保っているお宮が多いけれど、

熱田神宮は明治時代の神仏分離令で大きく変わったんです。

たぶん伊勢神宮と政治的権力争いをしたのでしょうね。

(ウィキペディアで少し公開されています)

 

 

ちなみに、熱田神宮は明治26年に皇大神宮(伊勢神宮)と同じ神明造に変えるまでは、

美しい朱塗りの本殿を囲んだ尾張造と呼ばれる様式でした。

 

Network2010

尾張名所図会

 

 

そして室町時代には、境内にあるお宮はほとんど朱塗りで、五重塔もあったんですね。

詳しく見たい人は「新修名古屋市史第一巻」の付録に

カラーコピーが付いていたはずですからお買い求めください。

(熱田神宮古絵図:室町時代の境内を描いた「享禄古図」を江戸時代に模写したもの 熱田神宮所蔵)

 

 

江戸時代、室町時代の私たちの祖先が、

お参りしていた熱田神社境内の風景は現在とは大きく異なっていた。

 

ということは、これから先に

江戸時代、あるいは室町時代の熱田神社に戻るかもしれませんね。www

 

龍索堂は、現代も江戸時代と大して変わっていない、

津島神社のような尾張様式の朱塗りの熱田神社を見てみたい。

と思っているんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に『仙境異聞』の中から名言を抜粋してご紹介いたします。

 

或る人戯れて、寅吉に謂ひけらく、

我は此の世に住み侘びたれば、山人(仙人)に成りたくと思ふを、山に帰るときいかで我をも伴ひ給えと云えば、

寅吉真にと思ひ、居直りて云はく、それは以ての外なる事なり。
神を置きては世に人ほど貴き物はなきに、山人天狗などの境界をききて羨ましく思ふは、心得の宜しからぬなり。
 人は此の世に住みて、此の世の人のあたり前の事を務めて終わるが真の道なり。

(中略)
人と生まれたからには、人の道を守りて外を願ふまじき事なり。
(中略)
夫れよりは人間相応の勤めを第一にし、身の行ひを正しくして、死後には神になる様に心を堅むるが肝要なり。

 

 

 * * *

 

「龍索堂、記事を書いているヒマがあるようだけど、

新しい仕事はどうなったんだ?」

 

『・・・ええっと。

今日も知人の処へ行って就職活動をしてきましたが面接は不可でした。

その際に昔の取引先を紹介して欲しいと言われ、数社を教えてあげました。

(なにやってんだろオイラ)

たぶん、産土神の熱田大神様は忙しいのだと思います。

(結婚式シーズンで多忙なのかな)

その為か、オジサンの仕事先はまだ後回しのようです』

(T_T)v

 

 

 

いつもお訪ねくださる方、

ときどきお訪ねくださる方

お訪ねくださってありがとうございます。

 

 

ナンシー・ウェッブの演奏する
 「チャールダーシュ」

ヴィットーリオ・モンティ作曲

を聞きながら皆様の安寧を祈ります。

龍索堂拝具 m(__)m

 

 

 

 

 

心に残る言葉

  • 2018.05.15 Tuesday
  • 23:23

 

皆様はつつがなくお過ごしでしょうか。

龍索堂も妻も家族も

太陽と地球の加護をいただいて、

息災で過ごしています。(^^)v

 

 * * *

 

新しい仕事が見つかったら記そうと思っていたけれど、

毎日おとずれてくる人たちのために

少し思い出を記そうと思います。

 

就活中は意外と時間があるので、

読書学習や、心の棚卸<自分の過去を振り返って清算すること>

にも飽きてしまうんです。www

 

 

 

昨年9月から4月までの半年間、

夜勤の間の休憩時間に夕食を食べていた。

 

勤め先に近い中華料理屋さんとCoCo壱番屋さんへ

ほぼ一日おきに行っていたんです。

どちらの店も、店員さんがきさくで

感じ良い人たちばかりだったから。

 

職場を辞める数日前、

ふとCoCo壱番屋の女性店員(小さくて可愛い感じ)

にチョコレートをあげたんです。

そしたら、なんと、

「お心づかいありがとうございます♪」

と笑顔で返事をもらった。

龍索堂はとても驚いたと同時に嬉しかった。

また、“もっと高級なチョコレートにしておけば良かったな”とも思ったね。

 

驚いた理由は、そのお礼の言葉を他人から聞いたのは、

社会人になってから数十年間、はじめてのことだったから。

 

 * * *

 

誰でも心に残る言葉を持っています。

「おこころづかいありがとうございます」

この言葉には、龍索堂の特別な思い入れがあるんです。

 

今から数十年前、仏教教団に勤めていた。

でも勤め始めて10年近く経った頃に、

保守派と改革派の争いに巻き込まれる形で退職した。

あの時も5月だったね。

 

辞める直接の原因は、龍索堂不在の全国の職員会議席上で、

「龍索堂は給与が不満で辞めたいと言っている」

と教団代表者が言った言葉でした。

その瞬間、“ああ、これでこの仕事は終わったんだ”と残念に思ったよ。

そのことをわざわざ秘書のKさんが電話してきて、

「龍索堂君はそんなこと言わないと思うけど、どうなの?」と言った。

『言ってませんよ』

「そうだと思った。これからどうするの?」

『突然のことなので、わかりませんね』

「そうか・・」

『連絡をくださってありがとうございます』

「ないしょだよ」www

『もちろん分かってますよ』www

 

結局、教団代表者の体面を守るために、

上司たちや同僚へは何の言い訳も言わずに退職した。

 

その後、龍索堂レポートとそれを届けてくれた同僚の証言によって、

龍索堂の退職理由どころか、

保守派たち幹部が自分の指示とは異なる事を行っていた

事実の多くを教団代表者は知ったのでした。

数日後、激怒した教団代表者は幹部たちを集めて

3時間以上激怒していたと漏れ聞いた時には、思わず笑ったよ。www

 

 

1年経った後の次の職場は、教団に出入りしていた印刷会社だった。

多くの職員は、龍索堂が偽証によって辞めた事を知っていたから、

別に不都合はなかったんです。

 

教団代表者へ偽りの事実を告げて龍索堂を退職に追い込んだ張本人に会った時も、

『〇〇さんお久しぶりです、お元気そうで何よりです。

これからも宜しくお願いいたします』と頭を深々と下げて挨拶したら、

顔と目を逸らして

「あぁ龍索堂君か、元気そうだな。

そういえばOさん(印刷会社の会長で教団代表者の友達で理事)は元気にしておられるかな?」

『はい、おかげさまで』www

「まぁ、ひとつよろしく頼むよ。Oさんにもよろしくと伝えてくれるか」

『かしこまりました。失礼いたします。』

「ああ・・」

ってな具合だった。

前回は孤独な戦いだったけど、

今度はバックに大物を控えている龍索堂。

でも、京都市内の区長を務めた人だから、

もっと陰湿に虐めてくるのかと思ったけれど、

そんな程度の言葉しか言えないのか。

もう一戦あるかと思っていろいろお返しを考えていたので、

ちょっとがっかりしたな。www

 

 

それから数年後、仕事に慣れた頃に、

教団代表者から呼び出されて

印刷原稿と指示をもらう機会が何度もあったんです。

 

そして帰る前に、

「忙しいところを呼び出して悪かったね。

これ蕎麦代、取っておいて」

と白い封筒に入った謝礼をもらった。

“蕎麦代って古い言葉を使う人は初めてだな”

と思いながらも『ありがとうございます』と答えたよ。

 

帰りの新幹線の中で考えた。

お礼の言葉は『ありがとうございます』で良かったんだろうか?

『頂戴いたします』ちょっと硬いのでダメ。

『嬉しいです』女子じゃないからダメ。

龍索堂はもらった現金が嬉しいのではなく、

自分を気遣ってくれた事が嬉しいのだから、

『お心づかいありがとうございます』

と今度は答えようと思った。

 

それから何度か、

「これ蕎麦代、取っておいて」

って言われるたびごとに

『お心づかいありがとうございます』とていねいに答えた。

そしたら、教団代表者はいつも照れくさそうに微笑むんだ。

 

たぶん彼は、龍索堂を不本意に辞めさせたことについて、

いくらかの負い目を感じていたんだろうと思う。

だって、組織の最高責任者が、

印刷会社の営業担当者を呼び出して仕事を発注することなど

ありえないことだから。

 

それに謝礼をくれるたびに、

上から目線ではなく「ごめんね」って下から目線の渡し方をするんだ。

“いいですよ、昔のことだし、私の不徳が原因なんですから”

と私が思っていたことを気づいていたはず。

だって彼は、近くにいる人の表面思考など

簡単に読めることを龍索堂は知っていたから。

 

教団代表者は長所も短所も並み以上に多い人だったから、

いまでも2ちゃんねるで悪口を書かれているけど、

その記事を見ると、傍で親しく話したことが無い人同士の言い合いのように思えるな。

“事実のいくつかを書き込んでみるかい?”

なんて誘惑の声を聞かされたこともあるけれど、

オイラは決して書き込まない。

墓場まで持っていく事はたくさんあるんだ。

なぜなら、それらは龍索堂の見聞きした一面からの事実であって、

本質ではないかもしれないから。

また龍索堂以上に内情を詳しく知っている元職員たちも、

きっとそう思っているんだろうね。

 

何より、団体結成当時、

教義や理論が完成されていなかった頃、

全国の多くの人たちが協力したという事実がある。

世間での名声も金銭もなく何も持たない一人の中年男に、

じつに多くの人たちが陰に日なたに協力し続けた。

その理由はいくつもあるんだろうけど、

「私の悩みや苦しみを取り除いてくれた良い人」

「この人は将来きっと大物になる」

「この男のために何か協力できることがあったら手伝ってあげよう」

多くの人たちにそう思わせるだけの素敵な魅力があった

というのは事実なんだから。

 

 

『お心づかいありがとうございます』

これはとても美しい日本だけの言葉だと思う。

 

龍索堂はそれを聞くたびに、若く未熟だった頃の自分と、

昔懐かしい人たちと場面を、

いまこの瞬間でも思い浮かべることができるんです。

 

 * * *

 

「日本語が世界を平和にするこれだけの理由」

金谷武洋

 

 

 

 英語に代表される他動詞のSVO構文を基本とする言語の根本的な問題は、その構文が発想として「SとOの分離による二元論」、そして「S(主語)のO(目的)に対する支配」へと繋がるということにあります。
 さらに、Sには力とともに「正義」がしばしば与えられてしまうのが、一番危険なのです。英語を始め西洋の言語の話者が何か失敗をしても、あまり謝らないのはそのためでしょう。自分は力と正義が与えられるSの位置を常に保っていたいと思うからです。

 こうして、日本の文法学界や学校では、英仏語など西洋語と日本語における基本構文の大きな違いに明治期以来ずっと目をつぶってきました。例えば日本語の主語(そして形容詞や人称代名詞)は英語などのそれと同じものと扱ってきたのがこれまでの国語文法の悲劇です。学校文法はこうして100年も生き延びてきました。

 黒船ショックに発した明治政府の脱亜入欧を反映した日本政府(旧文部省)の英語中心主義(エイゴセントリズム)は完全に時代遅れのものです。日本語文法の主語や目的語は、基本文に始めから「いらない」のに、「いや、ある。あるが(省略されて)見えない」と言っているのですから、これはまさに「裸の王様」です。
---------
 日本語に即した、第二文法ではない学校文法の誕生が、21世紀に入った今ほど求められているときはありません。
 今からでもおそくはありません。日本語の脱英文法を大胆に進めるべきです。英語公用語化などという愚かで不毛な議論はもうやめて、政府は文部科学省を通じ、日本語を正しい形で世界と日本国内で教えられる方向で大胆に舵を切ってほしいと心から思います。それが、武器や資源などに比べていかに効果的な国家戦略であるかは、言うまでもないことです。
 長年日本語教師だった私が観察したように、
(1)日本語を勉強したいという学生が増え続けていること
そしてそれと並行して、
(2)日本を体験した学生はさらに日本が好きになって、日本にとって大切な味方つまり親日家と呼ばれる人材に育って行くこと

の二点は紛れもない事実なのです。

---------
あなたが使っているこの言葉は、世界に類を見ない、美しい言葉なのですから。
そして堂々と日本語を発して、世界中の人に日本語力を発信していきましょう。

 

 

 * * *

 

 

 

「日本嫌いのアメリカ人がたった7日間で日本を大好きになった理由 」

マックス桐島

 

「謝」の国

そして、彼(マックス桐島の米国人友達)の目に映った、日本人が当たり前と思ってあまり感謝していないが、本当はありがたいジャパニズムとは・・・・。

それは、「ありがとう」の形が多種多様なこと

「感謝の気持ちを表現する方法が数限りなくある国」と彼はいいます。

リムジンドライバーではなく社員を空港に出迎えに行かせる風習、お辞儀や黙礼で沈黙のありがとうを伝える習慣、お中元やお歳暮というギフトで日頃の感謝を贈る国民的トレンド、そして、顔や目で軽く「ありがとう」をいう会釈という日本にしかない挨拶。

 これらすべてが“サンキューを形にしたジャパニズム”だと外国人に指摘されて初めて気がつきました。日本の文化は「謝(礼をいう)」の文化なのだと。

 人を想い、人を憂い、人を敬う日本人の心が、謝恩、謝礼、謝罪などの感情を感じる、つまり「感謝する」ことを突きつめたからこそ、日本中に「サンキュー」が溢れていることを外国人が感じるのですね。

 「日本というと、外国人はまずミステリアス(神秘的)と称するけど、その真の意味が『(God’s secret神の秘密)』だと知れば、日本という国と日本人という民族の日常が、“神様がくれた秘密や知恵で溢れている”ことに気づくでしょう」

 この、友人のニューヨーカーの言葉が魂に響きました。

 

 日本人として生まれただけで丸儲け。

 これが外国人目線から見える日本の原風景なのです。

 ありがとうジャパン!

 

   * * *

 

大和言葉は英語に訳せない単語が多い。

日本語は「感謝する」ことが元、とマックス桐島氏が指摘する通り、

『今日も生きていることのありがたさ』

この感謝の奥には、地震・津波・火山噴火などが多い

火山列島の島国に生きる日本人の感性がもとなんですね。

 

ただ一つ不思議なのが、

集団行動を好む。礼儀正しくきちんと挨拶をする。秩序にこだわる。

綺麗好き。美意識が高い。仕事がていねい。時間や約束を守る。・・・

など数多くの美徳を持つ日本人が<危機管理が甘い>ことなんです。

 

危険な火山列島に住んでいるのに、

必ず起こる地震・津波・火山噴火に万全に備えるどころか、

10メートル程度の護岸工事をしたり、盛土の施工をしたりで、

海抜0メートル地帯に住宅着工許可を出していることを見ると、

危機に対して準備をしているようには思えない。

 

龍索堂は不思議でならないんです。

国土の居住面積が狭いとはいえ、前回起こった、

火山噴火被災地域・地震被災地域・津波被災地域にも、

以前と同じように住民を住まわせていることが。

「縄文人や弥生人なら二度とその地域には住まないだろう」と思うから。

 

 

金谷武洋氏やマックス桐島氏の言う通り、
諸外国語に比べて、日本語は美しい言葉なんだと思う。

けれども、主体があいまいな思考や言語では危機管理もあいまいなままで、

対処が遅れた少子化問題のように、

そう遠くない将来に必ず来る

火山噴火・地震・津波という大きな問題に対処できないのではないのか。

 

また、美しい日本語を話す国民たちが、

なぜ、年間自殺者(2017年)を2万人も生んでいるのか。


【図解・社会】自殺者数の推移

 

日本の年間自殺者は3万ではなく本当は10万を超えている。

そんな過酷な世の中でも生きる意味を見い出すために。

 

少子化・核家族・学歴による差別、

これらの問題を解決しなければ、

本当の意味で「美しい国」とは言えないのでは・・・。

 

 

 * * *

 

“新聞やテレビのニュース報道は、

いつだって情緒的で非論理的で、

すぐにお涙ちょうだいの感情論になる。

 

だって日本語には主語も相手も目的も無いことが多いし、

あいまいで意味不明だから嫌い”

 

脳内に思い浮かぶイメージや、ハートで感じるイメージを、

いちいち記号に置き換えることは面倒くさいったらありゃしない。

 

日本語は共視、共感の言語(感情記号)

英語は自己主張と対立の言語(論理記号)

とは分かっていても、

記号を送る人、受け取る人によって言葉の意味合いが全部違っている。

 

送り手のイメージ →(変換)→ 送り手の言葉 ⇒

受け手の言葉 →(変換)→ 受け手のイメージ

 

イメージから言葉、言葉からイメージの変換時に誤変換が起きているため、

コミュニケーション自体が変換ミスの伝言ゲームみたいになっているから、

結果、分かりあおうとしても分かりあえず、誤解のままでいくことが多い。

そして、次の季節を待つように、問題を即決せず先送りにする。

 

ビジネス以外ならば、それを面白いと見る人もいるんだけどね。

 

いっそのこと、言葉なんていらないよ。

テレパシーさえ使えれば意志疎通は何の問題もなく進むのに。

と、若い時はいつもそう思っていたんです。

 

 

人工知能付きのマイクロチップを、

国民全員に埋め込んで翻訳させれば、

あらゆる言い間違いは0になる。

そして全ての犯罪捜査も0になる。

 

その社会が住み良いか、住みにくいかは、

住んでみなければ分からないけれど。

 

でも、そう遠く将来、

日本が世界中で一番早くそんな社会になるんだろうな、

と思っているんです。

 

 * * *

 

“西洋人のように白黒決めるだけが人の生き方じゃないので、それでも良いか”

大和言葉は英語のように白黒つけなければならないものではない

って思えるようになるまで、ずいぶん長い年月がかかったんです。www

 

龍索堂の心に残る言葉、

『お心づかいありがとうございます』も

別に外国語に訳さなくてもいいと思うんです。

 

日本人の使う言語は感性を表現したものなので、論理的説明がとても難しい。

ギリシャ時代以来、西欧人の築いてきた文化の言語と、

アジア最東端にある狭い島国の言語や文化を

比較することに意味はないんだろうと思う。

 

実際に情報発信者の多く(日本人)は、

論理的説明をしようとすら思っていないからね。

だから、無理に記号を選んで説明する必要などないんだろうな。

 

日本人の使う言語の意味や文化を

本当に知りたいと願う外国人がいるのなら、

実際に四季のある日本列島に住んでみて、

自分が体験の中で理解するべきなんだ。

 

心の中に溢れる複合的な感謝の想いを表そうとする日本語は、

「I Thank You」のようなカンタンな記号の寄せ集めでは

絶対に表現できないから。

 

 

 

いつもお訪ねくださる方、

ときどきお訪ねくださる方

お訪ねくださってありがとうございます。

 

 

加藤和彦と北山修_あの素晴しい愛をもう一度(ライヴ)

を一緒に歌いながら皆様の安寧を祈ります。

龍索堂拝具 m(__)m

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7:3と8:2 (部分改訂)

  • 2018.04.23 Monday
  • 23:23

 

 

 

皆様はつつがなくお過ごしでしょうか。

龍索堂も妻も家族も

太陽と地球の加護をいただいて、

息災で過ごしています。(^^)v

 

 * * *

 

この前、仲良くなったお客さんに、

人間の類型分類、*Flood Map(洪水地図)を使った土地の選び方、

健康を維持管理する方法等々、

いろいろなことを教えてあげたんです。

けっこう端折ったけれど、2時間ほどかかりました。www

 

http://www.floodmap.net/

*Set Elevation /Height / Water Level (0-800 meters):
 の下に10メートルなら10と海水潮位のメートル数を入れる。

 

 

 

 

そして今度、いつも問題を抱えたまま

解決できずに悩んでいるような顔つきをしている、

カレーショップの店長にも、

いろいろなことを教えてあげることにしたんです。

 

『じつは、この4月末で勤務先を辞めて名古屋に帰るんだ。

ほんとうはもう少し長くいるつもりだったけれどね・・・』

 

「あ、そうなんですか、、残念ですね。ボクも名古屋の中川区なんです。」

 

『で、いろいろな事を教えてあげるつもりだったけれど、もう時間が残っていないんだ』

 

「じゃあ、来週の休日に教えてくださいよ」と言う。

 

『良いよ。仕事、健康、家庭、どのテーマが良い?』って聞いたんです。

 

FCの若い店長たちは、多くのアルバイト達を上手く管理できずに、

相談する上司も少なく独りで悩んでいる人が多いため、

てっきり人事管理かな?と思っていたら、

 

「そうですね、、健康でお願いします」と言う。

 

『ふ〜ん健康ね、良いよ』

 

「はい、よろしくお願いします」って頭をさげた。

 

“真面目な人だな”と思ったよ。

 

で、数日後にいろいろな事を教えてあげるんです。

 

普通の人には分かりやすい「7:3の法則」も教えてあげようと思っている。

 

個人的には、パレートの法則(2:8の法則)が好きなんだけどね。www

 


【萩本欽一の都市伝説】「世の中はすべて7:3でできている」

欽ちゃんの名言が深すぎる! あさりど・川本成が解説
-----
これもまた、ある日突然「世の中は全部『7:3』になってるよな」って言われたことがあるんです。

野球だって、ピッチャーは投げる練習ばっかりしていて、バッターは打つ練習ばっかりしてるのに、どんなに頑張っても打率は5割に届かなくて、だいたい3割ぐらいになるだろう、と。

それで、いろいろと考えてみるとスティーブ・ジョブズとかウォルト・ディズニーみたいな後世に名を残した偉人って、あらゆる面で7じゃなくて3の側ですよね。つまり、どんなことでも成功できる存在は3割しかいないんですよ。

そもそも勝負は7か3のどっちに入るか、なんだと。

だから、欽ちゃんはいつも3の方に行くんです。

3っていうのは、つらい道なんですよね。

つらいことだから誰もやりたがらない。

でも、人がやらないことを避けたらプロじゃないだろ、っていう。

-----

 

 * * *

 

龍索堂は7:3ならば3、8:2ならば2の側にいることが多い。

 

明治時代から日本での集団教育は、

全体の70%か80%の人たちを保守的に育成しようとした。

それは全体を支配しやすいから。

 

そしてその効果はあったんです。

わずかな訛りはあっても全国民は標準語を話すようになったし、

白人帝国主義によるアジアの植民地支配を防いで、

欧米人にアジア人の優秀さを見せることができたから。

 

現実には、太平洋戦争終戦後70年経った今でも、

GHQの支配は続いているけれど、

それは欧米人がいまだに日本人(の報復)を恐れている証拠なんだね。

 

 

また、明治政府が作った集団教育は今でも残っていて、

現代社会でも組織運営のマニュアルも、

全体の70%か80%の人たちの為に作られている。

集団を維持・管理するには効率が良いから。

 

組織運営のために70〜80%のイエスマン・奴隷を必要としているってことは、

つまり、いつも20%〜30%の人たちは落ちこぼれることになる。www

 

もちろんだけれど、人間は誰の資質の中にも

20%〜30%の改革を望む気持ちはあるんだ。

でも、日中の集団の中ではそれをほとんど言わず、

仕事帰りの飲み屋談義でそれを話している。

 

集団の中で仕事をしている時には、

保守的イエスマンを演じているのに、

集団を離れて上司がいなくなった時に、

改革を望む20%〜30%の側に回って体制を批判するってのは、

どういう心持ちなんだろう。

羊の皮を被った狼のつもりなのかな?www

 

平時ならばそれでも構わないけれど、

しかし危機管理の観点から見ると

「あってほしくない事」が起こった時、

その他大勢のイエスマン集団ばかりではとても危ういんだ。

 

危急存亡をかけた時に、持てる力を発揮して、

葛藤や混乱を解決する対処するのは

大抵の場合、全体の20%か30%の人たち。

通常、彼・彼女たちは、

異端者・変わり者・社会的少数者 (マイノリティ)と呼ばれていて

集団を統括する側ではなく、統括される側の端っこにいる。

 

おもしろい事なんだけれど、

異端者・変わり者は、

イエスマンよりもむしろロイヤリティ(忠誠心)の意識が高い。

だから、集団を離れた飲み屋談義では、

無関心や保守的な立場をとることが多いね。

ということも多くの組織の上層部は知らない。www

 

ちなみに、日本政府にいる野党の人たちは、

全体の20%か30%の人たちではないよ。

彼・彼女たちは、

日本政府にとっての敵国に与する保守的な人なんだ。

 

だから野党の人たちの言うことは現状の否定や反対ばかりで、

日本人にとっての将来的な建設的見解はとても少ないんだ。

ウソだと思ったら訊ねてみて、

「貴方の見解は多数の日本人の国益に合致しているのか?」

「100年後の日本国はどうあるべきか?」ってね。www

 

 

私たち人間の多くは葛藤や混乱が長く続くことが嫌いなので、

いつも平和や平時(安定的成長)を願っている。

それは間違いではない。

けれども、戦時や非常時を想定すること

それすらも嫌うってのはやり過ぎです。

 

なぜなら、戦時や非常時の葛藤や混乱を収めるためには、

平時では優秀さを発揮するその他大勢のイエスマン集団たちの持つ

「今までこうだった・・」という行動原理では対応できないんだ。

 

戦時や非常時には、いつもそうだけど、

従前とは異なる新しい枠組みやルールが必要になる。

そういう創造作業を行うのは、

孔子やイエス・キリストやブッダのような、

社会における異端者たちなんです。www

 

 

しかしながら、

異端者たちが混乱する枠組みを安定させて、

平和や平時を創ったとしても、

その後の安定期になると、

異端者たちは、どんどん除外されてゆくんです。

大河ドラマで再び業績が見直されている西郷隆盛もそうでしたね。

 

 

人間には4種類あるんです。

平時における維持・管理が得意な人

平時における破壊・創造が得意な人

非常時における維持・管理が得意な人

非常時における破壊・創造が得意な人

 

では、いつが平時で非常時なのか?

また、平時でも勢いを得て上昇している時期なのか、

あるいは衰退し下降している時期なのか?

頂点はいつなのか、底点はいつなのか?

 

これらの見極めができる集団指導者はとても少なく、

「ほとんどいない」と言っても過言ではない、残念だけれど。

 

また大きく変化している社会情勢に対応できないのに、

自らの引き際を知らず「後継者が未熟」という言い訳で

居残っている人がなんと多いことでしょう。

 

チコちゃんに「ボーっと生きてんじゃねえよ!」と叱られますよ。www

 

 

 

私が、萩本欽一氏を尊敬するのは、

従前からある前提条件や既定理論をつねに破壊して、

いつも新しい(最も古い)価値観を創造している。

 

それは、まるで禅門僧侶のような取り組みにも見えるから。

 

 

 

龍索堂も、その他大勢が嫌で、

いつも全体の20%か30%の中にいる異端者なのですが、

さずがにこの年になると、

「いい歳して何やってんだ」と怒られたり笑われたりしている。

 

でもね、もうこのまま最後まで行こうと思っているんです。

いまさら全体の70%〜80%には戻れないほど、

大きくはみ出てしまったような気がするので。www

 

 * * *

 

実は4月末日に現在の職場を辞めたんです。

そして5月1日から就活を始めた。

 

高齢者になってからの転職先は、

3K(キツイ・キタナイ・キケン)しかないことは重々承知のうえなんだけど、

老いて目が見えなくなった知的障害を持つ姉と、

妻を1人残したまま、遠方に単身赴任しているのは都合が悪いから。

 

そして、命がけの仕事ではないけれど、

いつも非常時の葛藤や混乱を収めるために

勇敢に戦って、そのつど社会的に何度も何度も死んできた

龍索堂自身の為に「Amazing Grace」を歌います。

 

 

-----

私たちは毎日まいにち、誰と戦っているんだろう。
敵国兵士を殺害して、その家族の心を痛めるために
この世界に生まれてきたのではないはずなのに。

もしかすると真の敵は、
“自国民を守るためにという大義名分によって仮想敵国を決めて、

敵兵や味方の兵士、時には民間人さえも大量に殺戮すること”

それを命じ続けている味方集団の為政者達じゃないのか?

あるいは、古い軍事兵器を戦地で消費しつつ、

新しい軍事兵器を開発させることで、

軍需産業の株主達=世界中の1%の富裕層を

更に富ませる仕組みを止めようとしない人達ではないのか?


 

----


「 人の行く 裏に道あり 花の山 どちらを行くも 散らぬ間に行け 」

 

龍索堂は、本間宗久氏や是川銀蔵氏のような

大物異端者の句を心に抱いて、

棺箱(桶ではない)に入る迄、

散ることなく学習を続けて

残る日々を過ごして行こうと思います。

 

 

新しい職を得て落ち着いたら、

また、記事を更新しようと思います。

それがいつになるかは・・・

今のところ分かりませんが。www

 

 

 

いつもお訪ねくださる方、

ときどきお訪ねくださる方

お訪ねくださってありがとうございます。

 

きれいなオネイサン Yuval Salomon の演奏する

Best of QUEEN | Piano Medley

を聞きながら皆様の安寧を祈ります。

龍索堂拝具 m(__)m

 

 

 

 


 

 

 

 

 

祝700回

  • 2018.04.13 Friday
  • 13:13

 

 

 

 

 

 

皆様はつつがなくお過ごしでしょうか。

龍索堂も妻も家族も

太陽と地球の加護をいただいて、

息災で過ごしています。(^^)v

 

 * * *

 

20008年5月21日に記事を書き始めてから

今日(2018年4月13日)で9年と329日が過ぎました。

思い返すとこの10年は短かったです。

でもこんなに長く書き続けるとは思っていなかった。

今回の記事で700件目なので、みんなが気に入るような

気の利いた文章を書いてみようと思いましたが止めました。

 

ということで、今回は皆の好きなオカルトネタにしようと思います。www

 

 

3月に保江邦夫先生の

「合気完結への旅: 透明な力は外力だった」

を購読した頃、十二指腸がシクシク痛み出したんです。

 

 

もう数十年も前に、いろいろな治療をしたけれど治らず、

結局、高槻市のカイロプラクターに治してもらった。

 

その時は、頸椎1、2番の歪みを中心に

十数回かけて調整してもらいました。

なぜ、腹部の調整をするのに、頸椎の歪みを治したかといえば、

脳の指令を神経系統で全身に伝える際に、

7個の頸椎の歪みが障害となっているためでした。

 

 

 

カイロプラクティックの施術を受けた後、

野口整体を習い、頸椎の歪みを自分でも調整できるようになったのですが、

それをしてみても、最近は効果は得られませんでした。(><)

 

 

保江邦夫先生の「合気完結への旅: 透明な力は外力だった」

にもオーラについて記してあったので、

“そうだ、自分で自分のオーラを治療しよう。

そうすれば十二指腸潰瘍なんて直ぐに治るな”

と思い立ったのです。

 

↓普通はこんな感じ。

 

 

それを数日続けたけれど、あまり効果はなかったので、

今度はパドマサンヴァバの虹の身体にしてみた。

 

 

 

それから、今度は日泰寺の仏像↓のように

龍神様のオーラを加えてみたんです。

 

 

 

 

 

 

そして休日に自宅へ帰って

『さいきん30年前のように、たまに十二指腸シクシク痛むんだよ』

と妻に言ったら、

「じゃあ、少し頭に手をあててあげるわ」と言うので、

おとなしく彼女のマッサージ+整膚を受けていたんです。

 

“でも、いつもいつも治してもらうばかりじゃもうしわけないな”と思い、

マッサージを施している彼女の後側へ(意識で)行って

龍神様のオーラで包んであげた。

この間2、3分。

 

そしたらとつぜん妻が、

「ちょっと待って、頭がいたい」

と言うなり自分の頭を抱えてうずくまってしまった。

 

『どうした?具合が悪いのかい。なにか(龍索堂が)持ち込んできたのが憑いたかな?』

と聞くと、

 

「あたまの中に蛇がいる」って言う。

 

『?蛇』

 

「そう、それもいっぱいいる。まるでメドゥーサみたい」

 

 

『メドゥーサ???もしかしてインドのコブラじゃない?』

 

「そう、そんな感じ」

 

『あ、ゴメン』

 

「なに、なんなのこれ。気持ち悪い」

 

『あ〜。怖いものじゃないんだ。コブラの姿をしたタイの龍神様。』

 

「なにそれ?」

 

『ゴメンゴメン。言ってなかったけれど、

最近、虹の身体に加えて龍神様のオーラで自分を守っているんだ』

 

「え〜〜〜、もっと早く言ってよ。アタシもともと蛇が苦手なんだから」

 

『う・・・ん。でもお釈迦様を守護した龍神様はキングコブラの姿だよ』

 

「あたしはもっと小さくてカワイイ白蛇なら良いわ」

 

『あ、、そう・・・。わかったタイの龍神様はやめるよ。』

と言って自分のオーラからタイの龍神様を消したら、

 

「ああ、スッキリしたわ。」と言う。

 

“オーラの変更にも気づくんだ・・・”

 

龍索堂がどんなオーラのイメージで自分を覆っているのかを

ピアニストの妻は指先接触で気づいたんです。

ということは、

人間が持つ自分のイメージは、

肉眼では見えなくても物質(相手)に影響を与えることができる。

ということでした。

 

 

その次の休日に自宅へ帰ったら、

妻が「あれから数日後にね、良い夢を見たわ」と言う。

 

『へえー良かったじゃないか、で、どんな夢なの』

 

「それがね、白くて長くてところどころ金色に光っている蛇なのよ♪」

 

『オマエ、蛇は嫌いじゃなかったのかい?』

 

「うん昔はもっと嫌いだったし、今でも嫌い。

でもね、その蛇が可愛くて神々しいのよ♪ああいう蛇は良いわ。」

 

“どうも話を聞いていると、頚部を広げていないだけで、

それ、オイラがオーラで纏っていたキングコブラなんですけど・・・”

と思ったけれど、言えませんでした。(T_T)v

妻を驚かした龍神様の恩返しなんだろうか・・・。

 

 

皆さんも、良からぬ邪悪なオーラを纏っていると、

見える人には簡単にバレてしまいますので、

気をつけましょうね。wwww

 

 

 * * *

 

実は4月末に単身赴任を辞めて自宅へ帰るんです。

残る人生をなるべく妻のそばにいて過ごしたいから。

 

そして転職先が決まっていないので、

5月からハローワークへ行って就職活動をします。

 

この年での就職先は3K(キツイ・キタナイ・キケン)しかないんでしょうね。www

 

なんだか、どうしようもないロクデナシで妻にはいつも苦労ばかりかけている。

 

龍索堂は、今まで片手で数えられないほど職業を変わって来ましたが、

辞めるか、それとも留まるかを選択する際には、

収入や地位などを選択基準にしませんでした。

その結果いつも低収入で、結局、妻には(兄弟姉妹のように)一軒家を建ててあげられなかった。

 

普通の人のように、地位と高収入に頑張ってしがみついてさえいれば、

彼女に好きなだけ大きな音でピアノを弾かせてあげることができたのに。

(今では小さなマンションで最小の消音グランドピアノ)

その事だけは申し訳ないと思います。

 

でも、精神世界のプレゼントは、

普通の主婦では、とうてい抱えきれないほどあげた。

そのことだけは良かったのかもしれない。


などと、自分を慰めているんです。

 

 

最後にラム・ダスの「覚醒への糧」から

数行を紹介して終わります。

 

 

 

 

――――

 

自分の心が語る言葉だけに耳を傾けてください。
心の声に従っていけば、怖れはなくなります。
私たちの行動が、神を求める純粋な心にもとづいているかぎり、心配はありません。
状況に対して不安になったり怖れを抱くときにはいつでも用いることのできる、

美しくて非常に強力な真言マントラがあります。

「神の力は私の内側にある。神の恩寵は私を包んでいる」

これを心で繰り返すのです。

きっと守ってくれることでしょう。

恩寵が、静かな磁場のように私たちを包んでくれるます。

ひらかれた心には宇宙の声が聞こえるのです。

「覚醒への糧」131頁

 

 

 

いつもお訪ねくださる方、

ときどきお訪ねくださる方

お訪ねくださってありがとうございます。

 

 

 

龍索堂は、レナード・コーエンの「ハレルヤ」を歌いながら

お訪ねくださった方々の身心の安寧を祈ります。

龍索堂拝具 m(__)m

 

 

レナード・コーエンの「ハレルヤ」はとてもたくさんの人が歌っていますが、

龍索堂のハートの奥まで響いて来るのはこれです。

 

 

オマケです。

でも、レナード・コーエンのような

2種5種体癖の人が歌うのも捨てがたい。www

 

 

 

 

偉大なる者_部分改訂

  • 2018.03.28 Wednesday
  • 11:28

 

 

 

 

今年も桜が美しく咲きました。

 

 

皆様はつつがなくお過ごしでしょうか。

龍索堂も妻も家族も

大地と日月星辰のご加護をいただいて、

息災で過ごしています。(^^)v

 

 

 * * *

 

今回は、昔の夢について考えてみます。

 

人間は誰もが、

たくさんの夢を持った小さな頃の少年(少女)の自分を

心の奥に持っています。

そしてそれは若い人だけでなく高齢者にもある。

 

高齢者の中に孫のような少年や少女がいるなんて

おかしなことのように聞こえるけれど、

小さかった頃に抱いたいくつかの夢が、

その人の人生体験に大きな影響を及ぼしているんです。

 

龍索堂はときどき、相手の会話の端々に

昔の夢を見る(聞く)ことがあるんです。

 

「こうなりたかった(なれなかった)」

「この夢は叶った(叶わなかった)」

 

もちろん当人はそれを言ったとは思っていないし、

そのことに気づいてないかもしれない。

けれども、幼い頃の夢を抱いたまま何十年を経た高齢者が

長い年月の間に、夢が叶ったことに満足していたり、

夢が叶わなったことに不満を感じていたりしている。

 

 * * *

 

龍索堂は昔、

“大きくなったら画家かデザイナー、武術者か魔術師に成りたいな”

ってなんとなく思っていた。

 

豪邸や、大企業の高層階に住む大金持ちになって

社会からの賞賛を得る、

そういうイメージは持たなかったんです

 

その後何十年も経つ間に、

実際にそれらの世界をいくつも垣間見たし、

なにより夢に思い描いた者に少しは成れたんです。

ただし、薄っぺらでしたが。www

 

 

それ以外では「偉大なる者」に成りたいと思っていた。

 

多くの人が簡単にできない事をしたかった。

多くの人が簡単に成れない者になりたかった。

 

自分の精神と身体と周囲の人と環境を、

思う通りに動かしたかった。

 

初めは少年期のコンプレックス(複合的劣等感)が

これらの夢を抱かせるんだろうと思っていたんです。

 

けれどもコンプレックスを解消してからも

そのイメージを思い浮かべるので、

どうもそうじゃないんだろうと思い至ったんです。

 

人間は誰もが、幼い頃からいくつもの夢を持つけれど、

両親や周囲の誰からも、何の影響も与えられることなく

自分の心の中に現れる夢がある。

 

そして、そのイメージの淵源は誰にも分からない。

なぜなら、その夢は時間と空間を越えたところから現れるのだから。

 

この世界の面白いところは、

人生のプログラムとそのイメージを持った一個の受精卵が

過去や別次元から母胎に現れるところにある。

 

この幻想世界を創造した存在は、ほんとうに素晴らしい。

 

 

「偉大なる者」に成りたいと願った龍索堂少年は、

長い年月をアレコレ過ごしているうちに、

普通のオジサンにしかなれなかった。(T_T)v

 

特にコレといった特定の目標がなかったのが

ダメだったのでしょうね。www

 

「飽きっぽいからだろ!」と世間の人たちから言われます。

 

『そうなんです。

いろいろな事をしたかったため、

1つの明確な目標を定めることはできなかった。

でも普通の人より少しだけ集中力が高いため

“分かった”と思うと直ぐに飽きてしまうんです。

飽きっぽい性格で熱しやすく冷めやすい。

社会人としては、まったく困り者です。

でも、全く後悔をしていないので

“まぁ良いか”ですけどね』wwww

 

 * * *

 

 

2100年の世界人口は112億人、国連予測
 アジア・アフリカが8割、世界が高齢化社会に

 

国連が最新の世界人口予測を発表した。
 現在の世界人口が約73億人なのに対し、

2050年までに97億人に増えると予測、
 2014年の予測を約1億5000万人上回る数字だ。
 さらに2100年には、112億人が地球上にひしめくことになるという。

 

 

私たちは世界人口73億人の内の1人、

取るに足りない1個の生物です。

例えるなら、大海の中のたった一粒の水滴。

 

有っても無くても、居ても居なくても

家族以外は誰も困ることの無い

まったく取るに足りない存在です。www

 

 

では、皆は余暇に何をしているんでしょう?

 

「なぜ突然余暇の話なんだ?」

 

『私たちは働いて生活費を稼ぎ、

自分と家族を養って生きています。

少年少女時代に抱いていた夢を叶えている人はごくわずか、

行きたい所へ行き、成りたい者に成れる人はごくわずかです。

多くの人は生活の為だけに生きている。

そこで余暇です』

 

「だからなんで余暇なんだ。偉大なる者の話だったろ?」

 

『日々の生活の為に生きる中で、

誰もがわずかであっても余暇を得ます。

みんなは、その余暇に何をしているんでしょう?

その時間は誰にもじゃまされることはない自分だけの物。

幼い頃心に描いた夢を叶えるために、

余暇を使って進んでいるでしょうか?

 

もしそうしていないのなら、

少しだけでも夢に向かって

一歩とはいいません、

半歩だけでも足を踏み出しましょう。

 

私たちの心身に残された時間は短く、

自分の左側にいる死が微笑んで手招きしているからです』

 

 

いえいえ、若い方々を脅しているんじゃないんですよ。

 

永遠の未来を信じている若者だって、

明日にはどうなっているかは分かりません。

 

 

哲学者のカントだって、

六十歳になってから「純粋理性批判」を記しはじめて、

それが終わってからこの世界を旅立ちました。

 

 

 

 

龍索堂は保江先生の柔術の門人の端くれです。

(単身赴任に加えて夜間勤務のため稽古はお休み中ですが)

 

師匠の最新刊の表題は「合気完結への旅」です。

今回は2人の物理学者が武術の心髄である

オカルトを語る感じがとても良かった。www

 

 

保江先生を初めて知ったのが

「合気開眼―ある隠遁者の教え」2008年ですから10年。

始まったものにはいつか終わりが来るんですね。

 

 

「おい、偉大なる者はどこへ行った?」

 

『あっ、それは現在も進行中なんです。

夢には、直ぐに叶う夢と、

長い年月の先に叶う夢の2種類があるんですよ。

そして龍索堂の抱いた究極の夢は、

とても長い年月が必要なんです』www

 

 

ということで〈放蕩息子〉龍索堂は

幼い頃に〈なぜか〉思い抱いた究極の夢に向けて、

今日も余暇を使って進んでいます。

 

でも地龍(ミミズ)のように目が無く道を進むのだから、

アチコチをうろうろしているだけ。

なのかもしれませんね。www

 

 

今日は猫の妙術を紹介して記事を終わります。

 

 

孔子曰く。匹夫も志を奪うべからず”と。

もし迷うときは、その心が敵を助けるのだ。

私のいうことは、ここまでである。

 

あとはただ、自ら省みて己に求めることだ。

師はその事(わざ)を伝え、その理を悟すだけだ。

その真を得るのは我にある。

これを自得という。あるいは”以心伝心”ともいう。

禅学だけではなく、聖人の心法から芸術の末に至るまで

自得のところはすべて以心伝心である。

教えるというのは、己に有っても

自ら見ることのできぬところを指して知らしめるだけである。

 

師から授かるのではない。

教えるのも易く、それを聞くのも易い。

ただし、己にあるものを確実に見つけ、己のものとするのは難しい。

これを修行上の一眼目という。

悟りとは、妄想の夢のさめたもので、

覚(さとる)ということとも同じであり、

格別変わったことではないのである。


「天狗芸術論・猫の妙術」(引用↓)

http://www.dokidoki.ne.jp/home2/ghh00713/neko.html

https://sites.google.com/site/kjodokai/home/kobudosyo/neko-no-myojutu2

 

 

 

 

いつもお訪ねくださる方、

ときどきお訪ねくださる方

お訪ねくださってありがとうございます。

 

 

高齢者にはなつかしい、

ブラザーズフォーの「The Green Leaves Of Summer」

を歌いながら、

お訪ねくださった方々の身心の安寧を祈ります。

龍索堂拝具 m(__)m

 

 

自分と向き合う

  • 2018.03.12 Monday
  • 12:12

 

 

名古屋市名東区の夕焼け

 

 

ベトナムの海棠椿(ハイドゥン)ツバキ

白い海棠椿は希少品でとても高価です。

(1鉢5万円!!!)

龍索堂は買えませんが、眼福でした。www

 

 

皆様はつつがなくお過ごしでしょうか。

龍索堂も妻も家族も

大地と日月星辰のご加護をいただいて、

息災で過ごしています。(^^)v

 

 

 * * *

 

今回は、幸せについて考えています。

 

 

まずは、

「A Healer's Journey」/ SREE CHACRAVARTI

「聖なる旅路_あるヒーラーの人生」

229頁を引用します。

 

 

本書を執筆しながら、私はいろいろなことを考えました。

なぜ私が息子を失わなければならなかったのか、今でも考えることがあります。

すると、苦痛は人間を偉大にする神のハンマーであることを思い出すのです。

苦しみがなければ、私たちは自分の中に眠る最高の部分を引き出すことができないでしょう。

それは、光を出すランプであり、燃えた時だけ芳香を放つ香のようなものです。

金は精錬してはじめて使うことができます。

私達の人生もそうです。

苦しみなくして神に到達することはできません。私たちは苦しい時、神を見つけようとします。

そして、この人生で唯一真実で、永遠なものは神だけであることを認識するのです。

神は実在です。その他一切のものは、役に立ちません。

一時的な慰めや喜びを与えてくれるだけです。

それなのに、私たちは存在しないものを存在すると思い込んで探し求めます。

 

 * * *

 

それにしてもこの書籍、印刷が残念。

用紙の質が低くて、

長辺に用紙の流れ目がくるべきなのに、

それを短辺にとってあるから

開くと波打って読みづらくてしょうがない。

これは製本所の間違いではなく、印刷所の間違い。

 

こういう書籍、案外多いんですね。

原因は2つのどちらかです。

1)発注担当者が用紙の流れ目について知らない

 (ために縦目と横目の指定をしなかった)

2)印刷会社の製造担当が用紙の購入を間違えた

 (書籍用紙には縦目と横目の製品がある場合が多い)

 

印刷・製本の基本中の基本ができていないのは、

有名なDNP蠅任靴拭▲ックリ。(T_T)

 

 

 

話が逸れました。www

 

次は玉造さんの記事です。

 

弁証法から抜け出す方法◆_岷爐浪岷爐紡海い討襦〆この瞬間を生きる

 

 

多くの人は幸せは苦労して手に入れるものだと思ってる。
でも、そんなことは全然ない。
むしろ苦労の後には苦労しか来ない。

苦労して苦労して、やっと幸せになるというのは作られたストーリーで、それは嘘。
苦労の後は苦労しか来ない。

ぇえ?
こう聞くと普通の人はびっくりしますよね。

皆様がつらい受験勉強を乗り越えた先には何があったでしょうか。
なんだか、やっぱりつまらないサラリーマン人生が続いてますよね。

今を犠牲にすれば将来楽になるよ。
この洗脳ストーリーに騙されて皆さんはまんまと奴隷になってしまったのでした。

斎藤一人さんは言います。

例えば、あなたが看護婦になったとして
病人に親切にしてて幸せになったかい?

幸せは苦労の後に来るわけじゃないよ。
ほとんどの人は苦労の後に幸せになってないんだよ。

今が不幸なら不幸な方向に向いてるんだよ。

幸せは幸せになりながら幸せになるんだよ。
心が幸せの方向に向かってるから幸せになるんだよ。

花園は花園につながっている。
旅路から幸せなんだよ。

 

 * * *

 

斎藤一人さんは、

「幸せは苦労の後に来るわけじゃないよ。
ほとんどの人は苦労の後に幸せになってないんだよ」
と言う。

 

チャクラバルティ女史は、

「苦痛は人間を偉大にする神のハンマーであることを思い出す」

 

 

一見すると、どちらも正しいようで、

なんだか矛盾しているように思えます。

 

でも、実は、どちらも矛盾していないんです。

 

 

ずいぶん前、釈尊の言葉を記したことがあります。

(パーリ経典の名は忘れました)

 

『人間には4種類ある。

闇に生まれて闇に向かう者

闇に生まれて光に向かう者

光に生まれて闇に向かう者

光に生まれて光に向かう者』

 

玉造さんが紹介している斎藤一人さんは、

闇に生まれて闇に向かう者のは、他者からの洗脳の結果であり、

人間は本来『光に生まれて光に向かう者』であると言っています。

 

チャクラバルティ女史は、

人間は闇の中にある時こそ神と向かい合うことができる。

だから苦しみの中であっても人間は『闇に生まれて光に向かう者』であると言っています。

 

 

『人間は光に向かう者(であるべき)』という点では共通しているんですね。

 

 

私たちの誰もが苦しみを望んではいません。

できれば、ドラッグやアルコールやタバコの助けを借りることなく、

毎日毎瞬ハッピーに生きていたい。

 

それでも、

独りで苦しみや痛みの中で悩みもがいているとき、

人生の目的や意味やあれこれを考えます。

 

私たちは苦しみや痛みや悩む機会がなければ、

神や聖なる存在や自分の本然と向き合うことはない。

仕事や家庭や趣味の中で「生きる目的とは何か?」などとは考えない。www

 

 

こう考えてみましょう。

 

苦しみや痛みや悩みは光や神に向かうための道具。

それらが無ければ良いけれど、

それを道具として使って光に向かうことができる。

 

幸せ楽しみや開放感は光や神に向かうための道具。

それらが有れば良いけれど、

それを道具として使って光に向かうことができる。

 

 

最近、そんなことを考えて

ジャパ瞑想をしながら仕事中をしているんです。www

 

 

いつもお訪ねくださる方、

ときどきお訪ねくださる方

お訪ねくださってありがとうございます。

 

 

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン/交響曲第9番

を聞きながら、

お訪ねくださった方々の身心の安寧を祈ります。

龍索堂拝具 m(__)m

 

 

 

憧れ

  • 2018.03.09 Friday
  • 23:23

3月4日の夕焼け

 

 

皆様はつつがなくお過ごしでしょうか。

龍索堂も妻も家族も

大地と日月星辰のご加護をいただいて、

息災で過ごしています。(^^)v

 

妻と私のインフルエンザは、やっと治りました。www

 

 * * *

 

 

 

昔から、どうしてなのかは分からないけれども、

つい聖者たちの伝記を読んでしまうんです。www

 

ラーマ・クリシュナ、 スワミ・ヴィヴェーカナンダ、

スワミ・スリ・ユクテスワ・ギリ、 パラマハンサ・ヨガナンダ

ラマナ・マハルシ、 ニサルガダッタ・マハラジ、 スワミ・ラーマ、

ニーム・カロリ・ババ、 カビール・・・・

 

 

聖者たちの世界は、

私たちの知る常識とはあまりにもかけ離れているため、

刺激的で魅惑的でとても面白いんです。

 

特に高名な聖者たちの伝記は、

(人間が記した)一般書籍とは比べものにならないほど楽しい。

 

なぜなら、一般書籍に記されている論説=私たちの得る知識とは、

それが実体験によるものであったとしても、

ほとんどは限定的な仮説の域を出ないからです。

 

学校の教科書もまた同じ、

例えば考古学なんてのは仮説のオンパレードです。

古代の化石や遺物の発見で、

それまでの学説が一瞬でひっくり返ってしまう。

“だから現在の学説には何の価値も無い”

とまでは思わないけれども、

仮説はどこまでいってもしょせん仮説なんです・・・。

 

 

その点、聖者の伝記は、

私たちの理解や仮説をはるかに超えていて

驚くような刺激的な事柄が数多く起こっています。

 

人の一生としては、刺激が強すぎる為か、

読み終えると、ほとんどの場合惨めな気持ちになることが多い。

まるで、効果の切れた麻薬患者のようです。

 

“そんな刺激的なことは、私の人生には起こらなかった”

“そんな刺激的なことは、私の人生にはこれからも起こらないだろう”

神仏や精霊たちによる刺激的な事柄が、

私の人生にも幾つか起こって欲しかったな。

な〜んて憧れてしまうわけです。www

 

 

聖者たちの人生に憧れることは簡単なことだけれど、

彼らの多くは、命がけのような状況が何度も起こっている。

それを常人が実際に体験するとなれば、

命が幾つあっても足りないんだろう。

ということも知っているんですけどね。

 

 

龍索堂を知る知人は、

“アンタもそうとう変化の多い一生だったよ”

というけれど、自身を振り返ってみても

『意外に平凡な一生だったな。

もっと刺激的でもよかったな』

なんて思うんです。

もちろん、神仏や神霊のお使いには

とても耐えられないでしょうけどね。www

 

 

人間は死ぬ直前まで、

今まで見たことも聞いたこともない力や現象や刺激を求めて、

それらに憧れながら生きています。

 

多くの場合は、スポーツですね。

妻のように、羽生結弦君や内村航平君や、

石川佳純・伊藤美誠・平野美宇さんを応援したりする。

(ふだんは読まないスポーツ新聞も読んでるwww)

 

社会人男子ならば、スティーブジョブズや松下幸之助など

社会的成功者たちに憧れます。

彼(彼女)たちが発揮する力や業績は常人の領域を超えているから。

 

 * * *

私たちが心に抱く憧れには2種類あるんです。

 

目に見える現実的な成功に憧れる場合と、

こうあって欲しい未来に憧れる場合です。

 

 

先回、瞑想と瞑想を司る神々の力で

中学生の龍索堂に豊かな明るい未来を与えることを記しました。

 

この記事を読んだ人は、

「過去の自分は過ぎ去ったものだから変更はできないだろう?」

と思ったでしょう。

 

 

もちろんできませんよ。

中学生の龍索堂はあの場所にはもういないから。

 

でもね、自分の中には今でもいるんです。

 

独りぼっちで泣き疲れたのを隠して、

世の中の人と物を凍るような冷たい目で見ている少年が確かにいる。

 

少年の彼に伝えるのは、

長い祝詞やマントラじゃなくても構わないんです。

温かなまなざしと思いやり、たったそれだけで良いんです。

 

たとえば斎藤一人さんの「白光の誓い」でも良い。

 

「白光の誓い」

自分を愛して 他人を愛します

優しさと笑顔をたやさず

人の悪口は決していいません

長所をほめるように努めます

 

 

人間はつらい時、悲しい時、

誰にも言えない苦しみに悩み、

泣きたくても泣けない時が必ずある。

笑顔で隠そうと思ったって隠しきれない時がある。

 

辛く悲しいとき、泣いている誰もが、

心の奥底で待っているんです。

好きな人から温かなまなざしと思いやりが与えられるのを。

 

それだけが、自分の感じた辛さと悲しさを熔かしてくれるのを知っているから。

 

もし、優しい言葉をかけてくれる人がいなかったら、

独り、涙が涸れるほど泣きつくした後で、

毎朝、太陽が昇るのを見て笑ってしまおう。

 

どれほど厳しい冬の寒さだって、

春の嵐と共に融けて去ってしまうのだから。

 

 * * *

 

そしてその後、夢を見よう。

もちろん超人的な力や業績の発揮に憧れても良いさ。

 

『でもね、つねに麻薬のような刺激的な毎日の中で、

答えを求めて生きていなくても良いんだよ』

 

『ごくありきたりの平凡な人生で良いんだ』

 

たぶん、タイクツだと思うだろうね。www

 

しかし、その平凡な生活すら満たすことができない人にとっては、

夢のような暮らしに見えるはず。

 

だいたい、オマエさんは聖者でも悪魔でもない、

ただの普通の人間なんだもの。

 

もしかすると超人(ユーベルメンシュ)を見る機会に恵まれるかもしれないし、

そうでないかもしれない。

 

でもね、実際そのどっちでも良いんだ。

多くを高望みしないで平凡に生きて、

少しは自分の周りにいる人や物に穏やかな笑顔をプレゼントして、

そしてこの世界を去って行くんだ。

 

生まれて来た時とは別の「憧れ」を胸に抱いてね。www

 

 

 

 

 

そういえばバンパイアハンターDも言っていたっけ。

「しょせんこの世は仮の宿」って。www

 

 

いつもお訪ねくださる方、

ときどきお訪ねくださる方

お訪ねくださってありがとうございます。

 

 

ジョージ・ウィンストンの「あこがれ/愛」

を聞きながら、

お訪ねくださった方々の身心の安寧を祈ります。

龍索堂拝具 m(__)m

 

 

 

14歳の深夜

  • 2018.03.02 Friday
  • 11:11

 

久しぶりの朝日です。

 

 

皆様はつつがなくお過ごしでしょうか。

龍索堂も妻も家族も

大地と日月星辰のご加護をいただいて、

息災で過ごしています。(^^)v

 

 

30年ぶりにインフルエンザに罹ったので、

仕事を休んで自宅静養中です。

 

インフルエンザでそうとう辛い思いをしているとはいえ、

これからも効くかどうかは誰にも分からない

予防ワクチンを接種するつもりは毛頭ありません。

(製薬メーカーの皆さんゴメンネ)www

 

 

今回、微熱・頭痛・眩暈・両手の痺れと共に

数日間寝ていて思ったことは、

“昔の知人たちとの繋がりはほとんど無くなったな”ってことでした。

 

現在の仕事のこと以外、

この30年間知り合った誰のことも

まったく夢に見なかったんです。

 

 

前職と前々職を辞めたのは、

『ビジネス、青少年健全育成、宗教団体、

自分や自分の所属する組織のために

龍索堂をどこまでも利用しようとする

多くの人たちから離れたかった』

これが本音でした。

だから、願いは叶ったんです。www

 

もちろん、おとなしく利用されていれば

中小企業管理職と年収を定年まで確保できたわけだから、

龍索堂を利用していた前職と前々職関係者たちは、

退職の意味が分からなかったはずです(たぶんいまでも)

 

でもね、龍索堂は、

いつもみんなが期待する以上のプレゼントを差し上げたはずです。

しかし、誰もがみな

「君ならもっとできるはず(=もっと自分の為に提供して欲しい)」と言う。

それ以上を望むのは強欲ですよ。www

 

 

良い子でおとなしく利用され続けるのを止めたら、

人間関係はなにも残っていなかった。

 

実際にフェイスブックを退会しても

問い合わせてきた人はわずか3人だけ。

ビジネス、青少年健全育成、宗教団体、

そこで知り合った数百人の先輩・後輩・知人たちとの関係なんて、

しょせんそんな程度だったんだね・・・。(T_T)/~~~

 

 * * *

 

社会人になってから今まで得てきた人間関係を

すこしづつ削ぎ落としていったら、

残ったのは、社会との関係を始める前、

中学生の頃に抱いていた幾つかのイメージでした。

 

 

名古屋市内にある養護施設にいた小学〜中学生の頃。

 

消灯時間を過ぎたらみんな寝静まっている。

ときおりスキマ風が窓を叩くけれど

寒い部屋では誰も起きようとはしない。

 

だから深夜はいつも龍索堂だけの独りの時間。

 

たいくつしのぎに

何度も館内を忍び足で巡回してみるけれど

職員に見つかったことは一度もない。

 

深夜の巡回にも飽きてしまうと、

結局、龍索堂はせんべい布団を身にまとい

道路の向こうにある公園の木々を眺めている。

 

“ここは自分の家じゃない。

もっと辛い施設があるのも知っているけれど、

とにかくここには居たくない。

母と一緒に暮らしたい。”

 

この時の逃避思考だけで

毎日1時間×約12年間=4,380時間

 

本当ならば、多感な少年・少女期には

未来の明るい豊かなイメージを与えるべきなんです。

 

学習という名の受験技術や方法を与えるばかりでは

人間性の観点から見ると、未来は危うい。

たとえ優秀な少年少女であっても。

むしろスポーツの方が良いでしょうね。

 

しかし、この時期に負のイメージばかりを与え続けると、

未来の自分に希望が持てなくなる。

そして早晩、自死を選ぶことだってあるんです。

 

でも、龍索堂は、何年もかけて

自分に強い逃避思考を植えつけてしまった。

だから逃げ足は誰よりも早い。www

 

しまった、、、この壊滅的な逃避思考を修復しなくちゃ。

 

ということで、

急遽、中学生の龍索堂に

新しくステキな未来をプレゼントしています。

もちろん瞑想の力と、瞑想を司る神々の力を借りてです。

 

 

 

 

30年ぶりに出会ったインフルエンザヴィルスたちは、

未来に持ち越すには相応しくない記憶と

未来に持ち越すべきたくさんの夢を思い出させてくれました。

 

ありがとうという言葉では表せないくらい、

とてもとても感謝しているんです。

 

 

今回は短い記事ですが、

病人なのでカンベンしてくださいね。

 

 

 

いつもお訪ねくださる方々、

ときどきお訪ねくださる方々、

お訪ねくださって、ありがとうございます。

 

 

ローラ ブレタンの歌う

「ネッサ・ドルマ」と

「オー・ホーリー・ナイト」

を聞きながら、

お訪ねくださった方々の身心の安寧を祈ります。

龍索堂拝具 m(__)m

 

 

 

見捨てられた勲章

  • 2018.02.19 Monday
  • 23:23

 

 

皆様はつつがなくお過ごしでしょうか。

 

龍索堂も妻も家族も

大地と日月星辰のご加護をいただいて、

息災で過ごしています。(^^)v

 

 

今日も雲の画像を紹介いたします。

 

「どうして最近は雲ばかりなんだ!」って?

『スイマセン、他に紹介するものがないんですよ』www

 

 

 

 

 

 

 

雲たちはいつも綺麗な夕焼けを見せてくれるので、

じつにありがたいことと感謝しています。

 

 * * *

 

龍索堂は昔から穏やかに仕事をしようと思っているんです。

けれども、そうはいかない状況にいることがとても多い。

 

表面は穏やかに見えるんですが、

内に強い闘争心を持っているのを気づいた人からは気が強いと言われます。

<第三者評価です:本人はこれが普通と思っている(^^;)>

 

でも最近は、他人が評価するように、

少し気が強いのかな・・とも思い始めているんです。

(みんなオイラ程度の闘争心ぐらい持ってると思うけれど)

 

だからなのか、希望や願望も人一倍強く、

その為に望みどおりに行かず

絶望を感じる場合も人一倍多い。

 

“いつも絶望を感じるのなら、

そんな希望なんていっそ捨ててしまえばいいじゃないか”

と思ったことも数えきれないほどありました。

 

また、“自分のことならどうにかするけれど、

他人を望むとおりに動かすのは難しいな”

そう思う時は、どうしようもなくつらいと感じるんです。

 

以前は思い通りに行かない時に、

怒りのエネルギーを発散させて仕事に向けていました。

 

しかし若いうちはともかく、年を経てくると

肝臓をはじめ内蔵たちが激情の戦闘モードに耐えられなくなるんです。

(キレル=不安や怒りの状態は血液凝固の状態になり、

これが長く続くと高血圧になります)

 

 

人間として感じる怒りや哀しみの感情を

吹き飛ばす方法はいろいろあるけれど、

最近は雲たちにそれをしてもらっています。

 

だから、感情の起伏が激しい時は空を見上げて

夕日や雲と無言の会話をしているんです。www

 

太陽も雲も、地球上にうごめく人間を遥か彼方から見ている。

(我々がアリを見るように)

そして膨大な量の水を世界各地へ届けるために

風に乗って地球上を駆け巡る雲たちは、

一瞬で人間の感情を変化させることができるんです。

“人がそれを強く望み→雲たちが応えてくれれば”

ですけどね。

 

若いころ、大空を風に乗って舞う虹色の雲たちに

そんな力があるとは思わなかった。

けれども、最近は雲と意思の疎通ができるようになって来た。

(・・・・ような気がします)

 

いつものことですが、

オジサンにありがちな妄想と笑って忘れてください。www

 

 * * *

 

龍索堂の誕生日を祝って

妻は私の産土神である熱田神宮への参拝に誘ってくれたので、

久しぶりにスーツにネクタイ姿でお宮参りへ行きました。

 

祈祷殿で年祝いのご祈祷をしてもらったら、

他の人達が申し込んでいた「浦安の舞(巫女舞)」もオマケについてた。www

 

舞の間、目を閉じていたら、

ほんとうに真っ暗で音も無い闇の世界へ行けたんです。

舞が終わる数分後に目が覚めたら

熟睡して起きた時のような爽快感がありました。

うたた寝じゃありません。www

 

それから帰り道の参道横で、

忙しそうに歩いている鶏を見つけました。

(鶏は熱田大神のお使いとされているので、

境内で放し飼いされているけれど、

こんなに体格の良い鶏は初めてみました。)

 

そして黒柳徹子さんのように動物に話かけてみた。

『おお、いい体格してるじゃないか。

今から写真を撮るからね、そこで止まって。

そう、そのまま今度は顔をコッチへ向けて。

そ〜うです。そのまま動かないで。

(カシャ・カシャ)

オッケー!、ありがとうね。もう良いよ。』

 

 

そしたら、また忙しそうにうろうろして何処かへ行ってしまった。

 

龍索堂が写真を撮るために鶏に話しかけていたのを

後ろで見ていた夫人や周囲の人たちはクスクスと笑っていました。

 

『ほら、綺麗に撮れたでしょ』

「ほんとに出来るんだ、黒柳徹子さんみたいに」

『ああ。昔、小鳥を飼っていたし、

鶏も雛から大きくなるまで育てたことがあるからね。

鳥たちとは仲が良いんだ』(^^;)

 

 

鳥といえば、誕生日の前日に雲たちが祝福してくれました。

いつもは龍の形が多いのだけれど、

その時は南向きの黒い鳳凰でした。

 

 

 

この画像を夫人に見せて

『鳳凰といえば赤か白なのに、なぜ黒なんだろうね?』

「さぁね〜」www

 

てな話をしていたら、

その翌日に北向きの大きな白い鳳凰が現れた。

 

上の画像が下の画像に数分で変化したんだけど、

その間に伊藤若沖の描いたような白い鳳凰が現れたけれど撮り損ねました。

みなさんにも見せたかったです。(T_T)

 

 

 

 

 

誕生日の前日に黒い鳳凰、誕生日の翌日に白い鳳凰。

う〜ん、なんだか意味深です。

 

黒い過去を南に捨て去って、白い未来の北へ向かえ

ってことなんでしょうか。

 

以上、鳥つながりの誕生日でした。www

 

 * * *

 

見捨てられた勲章

---やっとタイトルにたどり着いた。(^^;)

 

以前、勤めていた会社の

先代経営者の遺品が残してある部屋を訪ねたことがありました。

そこには立派な神棚や仏壇、表彰状や勲章が置いてありました。

 

しかしその部屋、

家族に見守られることのない

遺影や勲章や表彰状のある部屋は

異様な冷たさの白い世界でした。

 

生前は地元の業界で出世した成功者として扱われていたけれど、

高齢とともに認知障害となり、

家族も分からないまま亡くなっていった。

 

生前、何十年も何百万円もかけて手に入れた勲章が

放置されていたのを見たのがショックでした。

(龍索堂は、一流ホテルの豪華な叙勲パーティーを見たことがあるんです)

 

どれほど苦労して手に入れた物であっても、

亡くなったらそれで終わりなのか。

 

人が世間において目指している「出世」とはいったい何なのだろう。

あの故人は、いったいどんな気持ちで子孫たちを眺めているのだろう・・・。

 

 

仏教では、資産を蓄えて社会的名誉を得ることを<世間福>と言います。

そして霊的完成に至ることを<出世間福>と言います。

 

一般常識では、世の中に出て名を成すことを出世と言いますが、

仏教用語では、世の中(人間世界)から超越することを出世と言う。

ですから「出世する」は、

一般的に使われるのと仏教用語では正反対の意味なんです。

 

一般常識:出世する(世俗の中における達成)

仏教常識:出世する(世俗の中から超越する)

 

 

な〜んてことを知っていながら、

龍索堂はどちらの出世にも至りませんでした。

たぶんこれからも、、、難しいんでしょうね。

 

 

ということで、龍索堂と夫人は

世俗を享受しながら、霊的世界に憧れつつ、

この世界での残り少ない時間を過ごします。

 

そして今までもそうだったように、

人生はこれからもきっと、

思う通りにはいかないのでしょうね。wwww

 

 

龍索堂の旅はもう少し続きます。


 

いつもお訪ねくださる方々、

ときどきお訪ねくださる方々、

お訪ねくださって、ありがとうございます。

 

名曲「I will Always Love You 」を聴きながら、

お訪ねくださった方々の身心の安寧を祈ります。

龍索堂拝具 m(__)m

 

 

 

 

 

 

 

 

 

意思ある雲

  • 2018.02.11 Sunday
  • 11:11

 

皆様はつつがなくお過ごしでしょうか。

 

龍索堂も妻も家族も

大地と日月星辰のご加護をいただいて、

息災で過ごしています。(^^)v

 

 * * *

 

最近は特記するような記事がありませんので、

読んだ書籍を紹介いたします。

 

どちらも素晴らしい良書ですので、

あえて書評はいたしません。www

 

 

 

 

 

 * * *

 

それから雲の画像を紹介いたします。

 

『雲には意思があるんだ。

たんなる水の集まりなんかじゃない

と思っている変なオジサンなので。www

 

2月10日

 

2月7日

 

 2月7日

 

 2月4日

 

 2月7日

(スマホレンズでは撮影できなかったけれど、太陽に最も近い雲が彩雲でした)

 

 * * *

 

最近の龍索堂は、いつも空を見上げて

太陽の光を受けて七色に輝く雲たちを見ています。

 

それは人間が表現しようと思っても

決して描くことができない、

神秘的で豪華絢爛なショウです。

 

雲たちを見るとき

『この世界は常に不思議な奇蹟にあふれていて、

私たちはそれを見過ごしているだけなんだろうな』

そう思っていると、

一年に何度かは彩雲(瑞雲)も見せてもらえる。www

 

 

そういえばこの前、夜10時過ぎに7〜8歳の痩せた中国人少女が来て

“I Want Chopstick (お箸をください)”ってカタコト英語で言ったんです。

少女が好きな龍索堂は『Yes I Understood』って答えたら、

その後ほんとうに可愛い声で

“サンキュー,アイアム ハングリー”って言うので思わず笑ってしまった。

そしてお箸を上げて二人で目を見合わせて笑っていた。

少女と無邪気に笑い合ったのは記憶にないほど久しぶりでした。

 

そのあとで思ったんです。

『人が発する無邪気な声も笑顔も、

雲たちと同じように奇蹟なんだろうな』って。

 

 

今、つらい思いをしている人は、

マンディ ハーヴェイの「Try」と「Smile」

ぜひこの奇蹟のような歌声を聴いてください。

 

聴覚障害によって音が聞こえなくなった彼女が

自分で歌を作り他人に聞かせている。

それがどれほど困難を極めるのかは、

私たちの想像を越えています。

 

「本人と家族が拭った涙の重さを量ることはできない。

けれども、そこから立ち上がることはできる。

人は生ある限り歌を歌って生きているんだから」

と彼女は言っているように思えます。

 

しかし、そんなことを臆面にも出さず、

彼女はただ笑って歌う。

 

いまこの記事をネットカフェで書いているんだけど、

彼女の作った「Try」を聴いたらまた涙ぐんでしまった。(T_T)

 

 

今回はいつになく短い記事になりました。

でもたまには良いか。www

 

 

いつもお訪ねくださる方々、

ときどきお訪ねくださる方々、

お訪ねくださって、ありがとうございます。

 

マンディ ハーヴェイの歌を聴きながら、

お訪ねくださった方々の身心の安寧を祈ります

龍索堂拝具 m(__)m

 

 

 

PR

calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< June 2018 >>

selected entries

categories

archives

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM