5つの正義

  • 2017.12.10 Sunday
  • 10:10

 

 

 

 

みなさまつつがなくお過ごしでしょうか。

 

龍索堂も妻も、

大地と日月星辰のご加護をいただいて、

息災で過ごしています。(^^)v

 

 * * *

 

先日、テレビ番組ドクターXを見ていてふと思ったんです。

番組のテーマである、権力闘争の中における人間の命の尊さ、

そしてそこで行われている正義と不正義。

それは、いつの時代も終わらずに延々と繰り返されている。
 

ということで今回は正義について考えてみます。

 

私たちの知っている正義とはいったい何なんでしょう?

 

ユダヤ教,キリスト教においては「神の義」の意味で用いられる。
 この際,義は普通の倫理的な意味における「正義」とは異なり,唯一神の属性であり,それにのっとることこそ人間の義なる (正しき) 生活の規範とされた。

旧約聖書では神の義は神ヤハウェの動的啓示的行為として現れ,しいたげられたユダヤ民族はそこに示された神の意志に服従し,律法を遵守するとき民が救われると考えられた (イザヤ書 45・8,51・5〜7など) 。

新約聖書における義の観念もユダヤ教の義の延長上にあるが,パウロにより徹底的に深化され,律法によらずキリストを信じることにより,恩恵的に与えられるものとされた (ローマ書4・11,13など) 。

この信仰による義においては,人間の生は「義の武器として神にささげ」 (同6・13) られたものとみなされる。

このように信仰によって義とされることを義認あるいは義化 dikaiosis,justificatioという。

by コトバンク

 

 

儒教における「義」
儒教における義は、儒教の主要な思想であり、五常(仁・義・礼・智・信)のひとつである。

正しい行いを守ることであり、人間の欲望を追求する「利」と対立する概念として考えられた(義利の辨)。

孟子は羞悪の心が義の端であると説いた。

羞悪の心とは、悪すなわちわるく・劣り・欠け、あるいはほしいままに振舞う心性を羞(は)じる心のこと。

by Wikipedia

 

 

これらは宗教的な定義ですが、

現代人の私たちが正義の言葉を使う場合、

倫理や道徳としての用例が多いんですね。

 

しかしながら、

加害者にとっての正義があるのなら

被害者にとっても正義はある。

善人にとっての正義があるならば、

悪人にとっての正義もある。

権力者に正義があるのなら、

奴隷にとっても正義はある。

裁く側の正義もあれば、

裁かれる側にも正義はあるんです。

 

 

この時期になると、毎年放送される赤穂浪士の討ち入りも同じです。

吉良家、播州赤穂家、どちらにも正義はあるんです。

しかし赤穂浪士たちは夜盗、現代でいえばテロリストなのに義士として扱われる。

それは有名な事件を題材として脚色した

「仮名手本忠臣蔵」(かなでほんちゅうしんぐら)」の作者の意図によるんです。

 

田舎の大名が、朝廷との交渉役であり足利一族に連なる名門吉良家の殿様に切りつけたことで切腹させられる。

そういう殿様に仕えた赤穂藩士は不運だった。

話はここで終わるべきなんです。

 

しかし江戸幕府は、赤穂浪士達の復讐事件をきっかけに、意図的に吉良家を潰した。

それは吉良家が、幕府の中で徳川・松平一族よりも高い地位にいたから。

 

この事件には、いくつもの正義があります。

 

夜陰にまぎれて殺害された吉良上野介と、その後若死にした息子の正義

播州赤穂浪士たちの正義

江戸幕府の正義

どの正義を支持するのかは個人の自由ですが、

なにより忘れちゃいけないのが、

「仮名手本忠臣蔵」を読んで、あるいは舞台で芝居を見て熱狂した江戸町民の正義

そして、その小説や芝居で利益を得た人たちの正義もあるってことです。www

 

 

実はこの正義の構造は、江戸時代以前から続いていて、

今現在も終わらず、日々繰り返されているんです。

 

(1)加害者

(2)被害者

(3)為政者

(4)傍観者・評論者

(5)営利目的の情報発信者

 

正義が主張されるのを私たちは毎日嫌になるほど見聞きしています。

新聞やテレビのニュースです。

報道者たちはどの企業も公正や公平を正義として主張している。

そしてそれらの多くは相反している。

なぜなら、(1)〜(5)どの立場に立つかによって、

優先順位が異なるから。

 

新聞やテレビのニュース制作者たちは頭が良いので、

それらどの立場も、論理的矛盾を抱えていることを知っているんです。

 

だから公正な正義の論争を避けて、

ひたすら弱者の味方のようにふるまう。

“悲しい”や“可哀そう”という感情だけを主張して、

読者や視聴者の同情を得ているんです。

 

つまり私たちは、新聞やテレビのニュースによって、

事実以上に、悲しい・可哀そうを見聞きさせられている。

(ここに現代日本の新聞やテレビニュースの欠陥がある)

 

そうすることで利益を得ているとはいえ、

最近は過剰な演出が多いと思うね。

 

そして、有罪か無罪かも分からない者を名指ししても、

その後の結果については放送しないことが実に多い。

 

 * * *

 

我々の生きている時代の全ての正義は、

過去の時代の正義ではなかったように、

また未来の時代における正義でもない。

 

ということは、正義も不正義も絶対的なものではなくて、

時代や国によって変わる、流動的な物ってことなんです。

 

 

アガサ・クリスティーは「オリエント急行殺人事件」で、

こういうことを言いたかったのかな?WWW

今回の映画は役者たちの演技が素晴らしく良い作品でした。

 

 

 

 

「正義(不正義)」ってなんだろうと思ってみたけれど、

考えれば考えるほど、ますます分からなくなります。www 

 

でもひとつだけ分かっていることがある。 

正義とは人間が幸福を得ようとする時に行う手段や方法です。

 

もっと分かりやすく言えば、

人が心地よく生き延びる為の言い訳。www 

 

それが無くても良いけれど、

あった方が自分や他人を納得させやすい。

ただそれだけなんですね。www

 

 

私たち人間は、

幸福を得る為に、生き残るために、

ありとあらゆる方法をとります。

人を騙したり、窃盗や姦淫をしたり、

時には他人をも殺害します。

 

不正義を犯すその瞬間、

誰の頭の中にも正義がよぎる。

「結果が露見したら罪を得て社会的に抹殺される。

しかしそれでも、分かっていてるけどやめられない」

と思いながらも不正義を行うことがある。

 

つまり私たちは誰もが、

幸福を得るために、生き残るために、

正義ではなく、不正義を選択することがあるんです。

 

しかしながら、実は本当にたいせつなのは、

正義と不正義の中間にある。

 

正義だけ、不正義だけ。

そのどちらか一方に偏っていてはいけないんです。

というと「なぜ正義に偏るのはいけないのか?」と思うでしょう。

(1)加害者

(2)被害者

(3)為政者

(4)傍観者・評論者

(5)営利目的の情報発信者

これらのどの立場も一面的でしかないから。

 

 

正義・不正義

そのどちらにも偏らない立ち位置や生き方がある。

その地点こそ、私たち人間が

大いなる存在から叡智を受け取る場所なんです。

 

 * * *

 

そういえば昔、何人もの経営者たちを傍で見ていた時、

口では正義や道徳や倫理や顧客満足度向上を使用人たちに言いながらも、

実際には、利益を得るために陰では不正や不倫を行い、

また他人を貶めたり虐めていた。

 

最近、有名なテレビ番組に出演して、真面目な顔で、

「利益よりもお客さまのために」とか言ってる人もいたね。

もちろん“オマエガソレヲイウカ”って大笑いしたよ。

 

龍索堂がかつて仕えてきた経営者たちは、

多かれ少なかれそういう性向をもっていたな。

 

“コイツラは絶対に許されるべきではない”

若い時には何度もそう思ったよ。

でも今では彼らの行った不正義の全てを許せるけどね。www

 

 

なぜなら、そういう低レベルの反面教師たちと縁があったのは、

わが身の不徳なんだから。

そう思って、不正や不倫を露見させずに組織を離れたんです。

オイラはお手本のような奴隷です。wwww

 

だって、彼ら組織運営者、経営者たちは

テロリストを一方的な見方で義士と呼び、

可哀そうとだけ思う江戸町民と同じレベルの

至らない人たちだったんだもの。

 

そういう風潮だから、

領地内にいるときは赤馬に乗って民百姓に声をかけて回る、

優しい殿さまを失った三河吉良の人たちの悲しみについては何も語らないし、

知ろうとさえしない。

 

「赤馬に乗った吉良の殿様」

吉良上野介(本名:吉良 義央 よしひさ)は、地元では領民に愛される穏やかで優しい殿さまだったと伝えられています。

(実は龍索堂の妻の祖父は三河國吉良の出身なんです)www

 

 

 

 

いえいえ、昔を思い出して経営者たちを指さしてバカにしているんじゃないんです。

 

私たちは多かれ少なかれ、

犯罪者に向けて石を投げつける資格などどこにもない。

たとえ法律家や判事や裁判官であったとしても、です。

 

ヨハネによる福音書 第 八 章

8:3-4    すると、聖書学者たちとパリサイ人が、1姦淫の時に捕まった女を連れて来て、真ん中に立たせイエスに言った、

    「先生、この女は姦淫を犯している現場で捕まえられました。
 8:5     モーセは律法の中で、そのような女を石打ちにするよう、わたしたちに命じています。

    ところで、あなたは何と言われますか?」
 8:6     彼らがこう言ったのは、イエスを試すためであり、彼を訴える口実を得ようとしたのである。

    しかし、イエスは1身をかがめて、指で地面に書いておられた。
 8:7     彼らがしつこく問い続けたので、イエスは立ち上がって彼らに言われた、

    「あなたがたのうちで罪のない者が、まず彼女に石を投げなさい」。
 8:8     そして再び、彼は身をかがめて、地面に書かれた。
 8:9     彼らはそれを聞くと、老人から始まって、一人また一人と去って行った。

    そしてイエス一人が残され、女はその真ん中に立っていた。
 8:10     イエスは立ち上がって、彼女に言われた、

    「女よ、彼らはどこにいるのか? だれもあなたを罪に定めなかったのか?」
 8:11     彼女は言った、「主よ、だれもいません」。

    イエスは言われた、「わたしもあなたを罪に定めない.行きなさい.今後はもう罪を犯してはいけない」。

 

 

ああ、そうだった。

(1)加害者の正義

(2)被害者の正義

(3)為政者の正義

(4)傍観者・評論者の正義

(5)営利目的の情報発信者の正義

 

これら以外にも多くの人が語らない正義があった。

(6)吉良家、播州赤穂家の家門が零落すべき正義

 

悲しいとか可哀そうとかの次元ではなく、

両家の零落は、起こるべくして起こった。

と龍索堂は思っているんです。

 

現在、破竹の勢いで事業を発展拡大している組織や団体であったとしても、

その発展の裏側で不正義を行って、

多くの人たちを泣かせているのなら、

どれほど大きな組織団体であったとしても将来は危うい。

間違いなく一気呵成に零落して行くんです。

 

 

これを運命学で論証・考究すると論文がひとつ書けるね。www

でも、龍索堂にはその気力がありません。

どなたかに、このテーマをお譲りいたしますです。

 

 

 

いつもお訪ねくださる方々、

時々お訪ねくださる方々、

お訪ねくださりありがとうございます。

 

 

サラブライトマンとアンドレア・ボチェッリの

タイム トゥー セイ グッバイを歌いながら、

皆様の無病息災を祈念申し上げます。

 

 

 

 

 

有り続けること難し

  • 2017.11.15 Wednesday
  • 23:23

 

 

 

 

みなさまつつがなくお過ごしでしょうか。

 

龍索堂も妻も、

大地と日月星辰の御加護を頂いて、

息災で過ごしています。(^^)v

 

今日は2日の休暇をもらって、

久しぶりに妻とお伊勢参りに行きましたので、

少し機嫌が良いから記事を書いています。

 

 

妻は「特別参宮章」を持っているので、

外宮でも内宮でも、

御垣内参拝(みかきうちさんぱい)を致しました。

 

ところが、龍索堂は運転のために、

タートルネックのセーターとジーパン姿だった。

せっかく用意したスーツとネクタイを自宅に置き忘れてしまった為、

御垣内参拝はできませんでした。(T_T;)

 

御垣内参拝は、お守り頒布所の横にある「造営資金受付」で

数千円程度以上の初穂料を奉納すれば、誰でも垣根の内側で特別参拝できます。

(但し正装などキチンとした服装でなければ垣内には入れてくれません)

 

次回、参拝するときには忘れないように、

スーツを着込んだまま行きます。

 

 * * *

 

私たちには、

離れてから・失ってから・無くなってから、

『常に有(り続け)ることが難しい物だった』

と気づく物があるんです。

 

両親や家族、親戚や友人知人。

お気に入り大切な物。

いつも私たちを取り巻いて

生かしてくれている空気や水。

香りを放って微笑んでくれる花たち。

雲を彩り、朝焼けや夕焼けを見せてくれる太陽。

 

 

この世界にある全ての物は、常に移ろい行くので、

私たち人間が“愛しい”と思う全てが、

無きこと易し(いとも簡単に無くなってしまう物)なんだね。

 

「有ること難し」は、

その前提として常に

「無きこと易し」がある。

 

それだからこそ、

他人から自分に差し向けられる

暖かい思い遣りを感じた時、

心で嬉しいと感じることを

私たちは“有難う”と表現するんだ。

 

 

友達もほとんど作らずに

一人ぼっちで生きているような龍索堂にだって、

いつも変わらぬ思いを灌いでくれる人たちがいるんです。

 

今では、妻と息子と親戚や友人知人、

数えてみても両手の指が余るほどだけどね。www

 

それでも良いんだ。

表面的な体裁だけの付き合いよりは、

気心を知り合った数人だけで良い。

 

この世界を去る時、

わずか10人ほどの知り合いだけが

「サヨナラ」を言う為に集まってくれれば良い。

 

ああ、それから、毎日見慣れた太陽も、

龍索堂に暫しのお別れを言ってくれると思うよ。

最近、週に5日の田舎暮らしをしている中での楽しみは、

「朝焼けスッゲェー!」

「夕焼けスッゲェー!」

って心の中でルフィのように叫びながら、

太陽と雲の素晴らしいショウを見る時なんだから。www

 

 

 * * *

 

今日は「創造・維持・破壊という3つの機能

について記そうと思っていたけれど、

ここまで書いてきて気が変わったので、

共感について少し記します。

 

 

龍索堂の妻は、強い共感(維持・管理)能力を持つんです。

私自身は、強い切断(破壊・創造)能力を持ちます。

 

そのどちらの能力も合わせ持っていれば、

立派な祈祷師や宗教家や創業者に成れるんだけれど、

二人の能力を足してやっと一人前なので、無理なんです。www

 

 

妻は幼い頃から霊感が強いため、

寝ている時に金縛りにあうことが多かったんです。

たいていは自分に縁があって苦しんでいる亡者だったと言いました。

そして、亡者の抱えている恐怖に心底怯えていたそうです。

 

龍索堂と一緒に暮らし始めてからも、

金縛りは起こっていました。

この世界に怨念や強い執着を残した近親者を供養し始めてから10年ほど経つと、

あれほど頻繁に起こっていた金縛りは無くなりました。

 

でも、神社や寺院にお参りしたり、

知らない人に出会った時には、

たまに負の意識に同調して金縛りにあう。

そういう時には龍索堂が祈祷法で祓ってあげたんです。

 

妻も習って知っているはずだけれど、

恐怖に襲われて混乱している中では、

冷静に祈祷が出来ない。

だから、傍にいる私は妻のお守り係なんです。

 

この事は以前、

カラス天狗とお茶を

でも記しましたので、過去記事をごらんください。

 

 

目に見えない負の意識からの影響を受けなくなってからの妻は、

出会った昔とは別人のように見えるほど変わりました。

人相もそうですが、持っている雰囲気がぜんぜん違うんです。

 

だから最近の妻は、高次元の神霊と仲良しです。

 

龍索堂は相変わらず妻の隣で、馬頭明王のように悪霊を追い払う係です。

いろいろ工夫努力したけれど、

神霊や他人や亡者との共感は、どうも苦手なんです。
 

 

 

 

神様の覗き穴」87-88P 保江邦夫
 愛と神様
  (中略)
  また当時イエスが生きた地域を支配していたローマ帝国の言語であるラテン語では、愛はcaritus(カリタス)という言葉になり、その後に英語のcarity(チャリティー)となります。
   今ではチャリティー番組とか、チャリティーショーなどのように慈善行為を表す用語として日本語の中にも定着していることからもわかるように、本来の愛は生殖行為や愛欲とは無縁の、慈善や慈悲という意味だったのです。

 

 では、日本や中国などの漢字文化圏において、愛はどのようにとらえられていたのでしょうか。
   「愛」の字の天井部分は人の手を表します。また、床の部分もやはり人の手を表しています。似たような漢字で「受」についても、やはり人の手を表しています。そして船を表すワ冠の部分は一般的な「物」を意味します。
   ということは、「受」という漢字の意味は「物を手渡す」ということになります。
   そうすると、「愛」という漢字の意味は「物に心をこめて手渡す」ということになるのではないでしょうか。まさに日本における職人気質そのものといってもよいでしょう。その物を受け取る人の身になって作り上げた物を手渡すのが愛の原点であれば、愛とは他の人と共感することだともいえるのではないでしょうか。
   慈善や慈悲あるいは慈愛というものも、この世に存在するすべての人や物との共感を得ることだと理解することもできますので、やはり愛とは共感であり、愛するとは共感することを意味するのがもっとも腑に落ちる気がします。
   そして、誰かとの共感が愛であるなら、究極の愛といえばやはり究極の存在である神様との共感を得ることになるのではないでしょうか。
   そう、愛とは神様と共感することなのです。だからこそ、神様は愛そのものだという考えも生まれてくるのではないでしょうか。
   愛を得る、つまり神様と共感するには神様と同じものを見たり感じたりする必要がありますが、そうするためには他の人が周囲にいてはじゃまになります。そこで独りになって過ごす時間が大切になってくるわけです。この世界を1人だけ
  で見つめることで、同じくこの世界を孤独に眺めている神様の視点に立って共感を抱くことができるようになり、愛を得ることができるのです。

 

 

愛は慈善や慈悲という意味

   ↓

物に心をこめて手渡す

   ↓

愛とは他の人と共感すること

   ↓

愛とは神様と共感すること

 

 

保江邦夫先生は、このように記されていて、龍索堂も同感しますです。

 

龍索堂の人生の最大のテーマが、

愛=他者との共感であるので、

妻から長年それを教わっているんです。

 

でも、気に入ったモノへの思いやりは深いんだけど、

創造のための破壊は得意なんだけど、

愛=他人との共感は難しいな。(T_T;)

 

 

だから今の龍索堂にできるのは、

一週間に一度の休日に、妻へ『ありがとう』と心から何度も言うこと。

 

それから、残り5日の一人でアパート住まいの時には、

遠くから妻の身心にまとわりつく負のエネルギーを取り除くこと。

あとは、空と海と太陽に共感することだけなんだ。

 

 

妻が「愛」のエネルギーと共に

疲れた私の身体を癒すとき、

その治癒能力は最大限に発揮されて、

自分では癒せないゆがみを正す。

 

龍索堂が「愛の」エネルギーと共に

負のエネルギーを妻の身体から取り除くとき、

その除災能力は最大限に発揮されて、

自分では祓えない怨念を除く。

 

私たちは、生まれながら持っている「愛のエネルギー」と共に

他者や他の物に思いを遣わすとき、

(それが人生の定めの内である場合)

誰もがただ手を当てるだけで、

最高のヒーラーや祈祷師になることが出来るんです。

 

 

なぜなら、
愛こそが生命の神髄(クイントエッセンス)だからだ。

by アルベルト・アインシュタイン

 

 

この記事を読んでくださっている皆さん、

利害関係の無い家族や友人知人は

特にたいせつにしましょうね。www

 

そして家族や友人知人がいない人、

何物も持っていないと思っている人。

大地と空と海と太陽だけは、

そして「愛のエネルギー」だけは

いつまでも変わらない貴方の味方だよ。

 

 

自分の周りにいる人たちへ

出会った人たちへ

大地と空と海と太陽へ

なにより自分の身体と心に向けて

愛を、暖かい思いやりを、

惜しみなく灌いであげる。

 

それこそが、

この世界に生まれて来た人間としての使命なんです。

 

 

 「有ること難し」は、その前提として常に「無きこと易し」がある。 

しかしながら、

愛のエネルギーは「有ること易し」「無きこと難し」なんだ。

 

 

いつもお訪ねくださる方々、

時々お訪ねくださる方々、

お訪ねくださりありがとうございます。

 

 

カテリーナの歌とバンドゥーラ演奏による
カッチーニ アヴェマリアを聞きながら、

皆様の無病息災を祈念申し上げます。

 

 

 

 

 

 

自由の翼

  • 2017.11.06 Monday
  • 12:12

 

“記事を更新しないから訪ねて来ないで”

って言ってるのに、

更新していた時よりアクセス数が増えている・・・(*_*)

 

みんな、こんな変なオッチャンのブログなんか読んでないで、

真面目な奴隷稼業に専念してくださいね、

まったくもう。

 

でないと出世街道から脱落して、

龍索堂のように田舎の雑用係に成ってしまいますよ。www

 

家族や友人から何をどう言われても、

“そんなの自分には関係ないよ”って言える

度胸があるなら、まぁそれでも良いけどね。

 

 * * *

 

龍索堂も妻も日月星辰と大地のご加護をいただいて、

ありがたいことに、今日もなんとか無事に暮らしておりますです。

 

最近は余生が短くなってきたためか、

「ありがとう」

「美しい」

「美味しい」

を心がけて言うようにしているんです。

 

楽しい時も、寂しい気持ちの時も、

空を見上げると、美しい世界が広がっているから。

 

 

ビルの谷間で蠢いている月給鳥さん達には、

山も海も見えないだろうけど、

 

田舎住まいの龍索堂には、

毎日まいにち、太陽や雲から

「オマエのちっぽけで

つまらない思いなんてどうでも良いんだよ。

ほら見上げてみろ、素晴らしく美しいだろう」

って言われているような気がする。

 

 

 

 

 

たしかに。

大空の荘厳なショウを見ていると、

何もかも忘れてしまう。

 

いったい何時からだろう?

空や道端の草花を見なくなったのは。

 

 

「みんなで仲良くしなさい」って言われたけれど、

『あなた達大人は皆、

群れから離れようとする子どもを見ると

お決まりのようにそう言うんだね。

群れと個人の意味を、自分の中で深く考えたこともないのに』

って本当に思っていたんだよ。

 

そして、『そんなのどうでも良いよ。

友達なんて一人もいなくたって良い。

だって楽しいことは人間関係の中には見つけにくいもの』

って思っていた。

 

 

だから、小学生低学年の時には独りで、

毎日ワクワクするような楽しいことだけを探していたっけ。

だから明日の空模様も、

雪が降る前の匂いも知っていたし、

名前を知らない草花や昆虫も見知った仲間だった。

 

でも、一人前の社会人って名前の大人になるために、

仲間から遠ざかってしまったんだ。

 

あれから数十年の間に、いろんなことがあったよ。

沢山の人と出会って、

たくさんの人と別れた。

いろんな処へも行った。

 

子どもの頃には想像できなかった長い年月を経た今、

昔のように空を見上げてみると、

そこには昔の仲間が今でも変わらずに居た。

 

太陽も雲も道端の草花も、

人間の想像を超えた力によって

今日も荘厳なショウを演じていてくれる。

かれらから見たら、

人間の一生なんてほんの僅かな時間なんだろうな。

 

だから、今一人ぼっちで苦しんでいて

誰も助けてくれないと嘆く時には、

果てしない大空を見上げてほしい。

 

私たちは100年ツアーで地球に訪ね着いた旅人なんだ。

 

何をしても良いし、何をしなくても良い。

何処へ行っても良いし、何処にも行かなくても良い。

 

どのみち、この記事を書いている龍索堂も、

それを読んでいる貴方も、

100年後にはこの世界に居ないんだから。www

 

 

今この記事を読んでいる貴方の周囲には、

物知り顔で偉そうに説教する

両親や家族や教師や友人たちがいるよね。

でもね、彼らは自分とは深い縁があるけれど、

しょせんは異なる人生を過ごす他人なんだよ。

 

他人の意見なんて自分にはぜんぜん関係ない。

聞き入れたい意見だけを採用すれば良い。

 

と言うと、

「わがまま」「自分勝手」「無責任」「無自覚」って他人は言うよ。

もちろんだけれど、

今生きている社会からの束縛も責任もあるから、

罪を得れば犯罪者にされることだってある。

 

でもね、誰が何と言おうと、

自分の身心は自分に責任がある。

 

自分のやりたいことをやる。

ただそれだけで良いんだ。

あとはなんとかなる。

何ともならないときはならない。

それでも良いんだ。

 

努力や根性や成長や成功が好きなら、

20代の龍索堂のように、

社会での成功者たちの自伝を読むと良いよ。

 

でも、それらは結局のところ、

生まれ育った条件の異なる

他人の人生に起こったことだから、

読んでいる自分とは何一つ、ほんとうに何一つ関係なかったんだ。

 

 * * *

 

私たちは自由なんだ。

たとえ今、鉄の足枷がついた奴隷や使用人だったとしても、

心の奥に秘めた想いは誰にも縛ることはできないんだ。

 

人間は生の1/3を寝ている。

その間だけは、自分だけの自由な時間。

だから、睡眠時間にまで人間同士の争いやいがみ合いや

喜怒哀楽を持ち込む必要はないんだ。

 

 

私たちは自由なんだ。

だから夢の世界では、

自分の望みどおりに大空を飛ぶことができる。

 

私たち人間の感情による思いはちっぽけなんだけど、

その奥にある広大な意志全体は自由の翼を備えているんだ。

ただ、誰もその広げ方を知らず、

飛ぶ練習をしていないだけなのさ。

 

だから、意志の奥にしまってある翼を引っ張り出して、

少しづつ夢の世界で飛ぶ練習をしてみよう。

最初は不格好に飛び降りることしかできないけれど、

すぐに慣れて、好きな空間を思うように舞うことができるようになる。

 

 

夢の世界で自由に飛ぶためのコツは、

夢の門へ着く直前に、一日に起こった事を全て事実のままに思い出すんだ。

その事実について、自分の感情で判断や評価を繰り返してはいけない。

そして、起きたことを重要なことも些末なことも全て忘れてしまう。

忘れるってことが、執着しない・執着されないコツなのさ。

<夢の門の前に立ったまま一日を過ごした自分を見ると、その場所に自分はいない>

ってことが分かるよね。

それで飛び立つ準備ができたことになる。

 

龍索堂は、自分で思いついたこの方法で自由の羽を広げて

空を飛ぶことが出来るんです。

 

他人に勧めるのはこれが初めてだから、

何日も何週間もかかる人がいるかもしれない。

あるいは飛べない人もいるかもしれない。

 

けれども、飛べる飛べないは別にしても、

朝起きた時に、昨日の感情の塵芥を引きずっていることは少ないはずだよ。

むしろ過去の苦しみや悩みを引きずっている人にとっては、

夢の世界で飛ぶよりも、

身心を休息させる事の方が重要かもしれないね。

 

 

夢の世界で飛ぶ方法を教えたけれど、

何処かで誰かが、

今いる所でもがきながら、

出口が見えないために苦しんでいるのかな?

 

でもね、そう言ってる龍索堂自身が

出口が見えずに、今でも毎日、

あがいてもがいて苦しんでいるです。

 

「長く生きているのに、どうしてそうなんだ」って?

 

オイラも並みの人間だからね。

この世界の旅を終わるその瞬間まで、

毎日まいにち、あがいて、もがいて、苦しみながら、

喜んで・怒って・哀しんで・楽しんで過ごすんです。

 

それが人間としての生だものしょうがないよ。(^_^)v

 

おバカな記事を書いているオイラのような貧乏人も

それをヒマつぶしに読んでいるみんなも、

世界の1%のスーパーリッチな人たちも、

みんな同じなんですよ。

世界人口の1%、全体の富のほぼ半分を保有

「たったの62人」大富豪が全世界の半分の富を持つ、あまりにも異常な世界の現実

2016年、「1%」の最富裕層が世界の半分以上の資産を握る(調査結果)

 

 

とはいえ、龍索堂は時々ふと

いろんな情景をフラッシュバックのように思い出すんです。

オイラは昔(過去生)、

何不自由ない大貴族だったはず。

また女性だったこともある。

独裁者の暴君だったこともあるし、

大衆に尊敬される賢者だったこともある。

虐殺者だったことも、虐殺されたこともある。

 

ということは・・・

この記事を読んでいる貴方だって、

きっとそうに違いない。

 

そして、誰にも身心の役目が終わった次には、

必ず新しい生がある。

 

過去や未来の生(人間ではないこともあるので人生とは断言できない)を思う時、

自分も他人も、

人間は無限の時間を自由の翼で飛ぶ旅行者なんだよ。

 

よくよく考えてみよう。

自分にとって外せない足枷だと思っている現実の物質が、

実はただの幻に過ぎなかった。

そんな驚きの日が早く来ると良いね。

 

最近はそう思っているんです。

 

 

以上で「自由の翼」を終わります。

 

 

あっ、記事は頻繁に更新しませんので、

毎日訪ねて来てはいけません。

 

 

努力や根性や成長や成功が好きでない貴方www

ヒマつぶしに毛色の変わった記事を読みたいのなら、

坂爪圭吾

ふぐり玉蔵

飯山一郎

さん達の記事を読んでくださいね。
 

毎日まいにち、奴隷として働いている優秀で賢いアナタ、

少しだけ立ち止まって、

自分の遠い過去と未来に想いを馳せてみてください。

 

釈尊に襲いかかろうとしたけれど、

神通力によってどうしても襲いかかれず、

「御身よ止まれ」と言ったら、

「私は止まっている。御身こそ止まれ」と言われて心底驚いた

アングリマーラ尊者のように。

 

 

いつもお訪ねくださる方々、

ときどきお訪ねくださる方々、

お訪ねくださってありがとうござりまする。

 

 

ダイアナ・ロスの歌う

「マホガニーのテーマ」を聞きながら、

家族と、縁あってお訪ねくださった方々の

末永い安寧を祈ります。

 

 

 

訳詩付

 

 

 

結局のところ

  • 2017.10.19 Thursday
  • 23:58

 

 

みなさまつつがなくお過ごしでしょうか。

龍索堂も妻も、

大地と日月星辰の御加護を頂いて、

息災で過ごしています。(^^)v

 

 

 * * *


結局のところ

運期の鍋底だった夏頃に

龍索堂が目論んだ新しい道や

身心の脱皮を見ることはなかったんです。

そして変化どころか、その兆しも無かった。(T_T)

 

だから記事の更新を止めたのでした。

 

それにもかかわらず更新していた頃のように

毎日まいにち過去の記事にアクセスが有るんですね。

インターネットは不思議で恐ろしいな〜 (*_*)

 

 * * *

 

いつもお越し下さる方々に

少しだけ近況報告をいたします。

 

仕事は三河湾に近い田舎のホテルで雑用係をしながら、

仕事場の側にあるアパートで寝起きしています。

 

仕事の間はテレビ、新聞、雑誌など

大衆向けメディアとは一切無縁ですが、

ごくたまには読書をしています。

 

又、神仏との関係も、

祈祷も運命学も精神世界でのアプローチも、

青少年育成活動も、柔術の稽古も止めました。

 

そして毎日、ロボットのように働いている。

 

「それで楽しいのか」って?

 

楽しくはないですよモチロン。

 

でもね、これも何かの縁で

もう少しの間は此処にいることになっているのだろうから、

どうにもしようがないです。はい。(T_T)

 

社会との唯一の交流は、

朝の休憩時間と夜寝る前に

フェイスブックや、たまにウエブサイトの

ニュースヘッドラインを見る程度です。

 

それに90%以上の人が望まない仕事をしている事を思えば、

“仕事ってこんなものかな”とも思うんです。

 

 

そういえば「楽しく仕事をしてますか〜♪」

って、ネーネーズが昔「黄金の花」で歌っていたっけ。

 

 

 

今まで長く生きてきたけれど、

勧められて、頼まれて勤めたことはあっても

自分から“この仕事をしたい”と強く思ったことは一度もない。

そのせいか、楽しく仕事をしたという記憶が全くないんです。

 

龍索堂にとっての仕事とは

いつもいつも、強い義務感と緊張感の連続でした。

 

とはいえ、自分を可哀想とか不幸とは思わない。

 

仕事が無くて困っているわけではないし、

仕事が出来無くて困っているわけでもない。

たいていの仕事は少し習えばできるから。

“器用で貧乏だな”とは思うけどね。www

 

ただ、平日に妻の顔を見ることができないので、

もうそろそろ、尾張地方での勤務に戻ろうと思っているんです。

 

どなたか、簡単で高収入の仕事があったら、

是非ぜひ紹介してくださいね。www

 

 

独りでアパートに居る時に、ふと思うんです。

こういう状況だと他の人は
「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」
と疑問を持つんじゃないかな?

 

 

あるいはそれを考えすぎてウツ病になったり、
または疑問から逃げて、お酒やバクチや異性で気を紛らわそうとする。
(そう言う龍索堂自身が若い時にはそのどれも経験したので、
独り者の気持ちはよく分かりますwww)

 

 

でも今では、その答えようのない疑問に対する答えを
龍索堂はすでに受け取って持っているんです。

 

 

 我々はどこから来たのでもない
 我々は何者でもない
 我々はどこへも行かない

 

 

詳しい説明はいたしません、

言葉での説明は難しいから。

 

 

それでも敢えて言うのなら、

われわれ人間は、
喜怒哀楽を持って動き回る一個の粒状フィルタであり、
そのフィルタを通して後ろに見るものがいる。
 
  
  
ジッドゥ・クリシュナムルティは、
その状態を指して
「見る者は見られるものである(観察者は観察されるものである)」と言ったけ。

 

 

私たち個人の意識は1個だけれど、
私たちを(直接的・間接的に)見る者の意識は74億個ある。
でも本当は、もっともっと多い!!www

 

 

だから

「YOU ARE THE WORLD」(THE WORLD IS YOU)
なんだね。


私たちは人間は
幼かった昔も、年を経た今も何も変わってはいない。

 

ただこの世界での経験を少しだけ積み重ねて、

身心が経年劣化しただけ。www

 

 

つまり進歩も進化もしてはいないんです。

 

 

ほら、お年寄りでも社会のことを何も知らない人がいるでしょ?
また、幼児なのに教える側の大人以上に利発な子供がいる。

 

 

じっさいには、小中学生だった時の自分と
今の自分がまったく同じ人間だとは
とうてい思いたくないけどね。www

 

人間が生きるテーマは、喜怒哀楽という感情を持って

現実と思っている幻想世界を
輪廻転生(時間旅行・次元旅行)することであって、
人類全体が進歩したり進化することではない。

  

 

それは個人の願いや望みや夢であったとしても、
あるいは現実に起こる事実であったとしても、
私(貴方)1個人の持つテーマとはまったく関係ないんです。

 

でも龍索堂は、本当の意味での神人が

もうすぐ現れてくるのを、
何の意味もなく確信して待っているんです。
昔、アドルフ君もそういう意味のことを言っていたっけ。www

 

 

できれば、私が生きている間に、

“真の進化を遂げた新しい人類を見てみたいな”と思うんです。
(私は新人類の持つ能力を想像できるから。たぶん・・・)


しかしながら、そんなオバカな妄想をすべて捨てて、
明日も朝7時から夜8時迄の仕事に向かうんです。

 

龍索堂は会社の使用人なので。www


いつもお訪ねくださる方々、

時々お訪ねくださる方々、

お訪ねくださってありがとうございます。m(_ _)m

 

でもね、当分の間、記事は更新しないので

頻繁に訪ねて来てはいけませんよ。www

 

 

今、龍索堂が“楽しいな”と思う時間は、

休日に笑顔の妻の隣にいて、

昔の歌を聴く時だけなんです。

 

『ザ・ピーナッツは上手かったな〜』

「そうね〜」で見解は一致しています。www

 

もうすぐどちらかがこの世界を去ってしまう年代だから、

何かをしていても、していなくても

家族といっしょに過ごす時間は、とてもとても貴重なんです。

 

この話は、以前書いたことがありますので、

これで終わりにします。

では、また。

 

あなたの笑顔はダイヤモンドより美しい_(部分改訂)

 

 

 

ホンネとタテマエ

  • 2017.08.04 Friday
  • 22:41

 

みなさまつつがなくお過ごしでしょうか。

龍索堂も妻も、

大地と日月星辰の御加護を頂いて、

息災で過ごしています。(^^)v

 

 * * *

 

人間はなかなか本音を言いません。

ウソを言わない人であっても、

本当の事を言わないで毎日を過ごしている。

 

“何も思っていません”

と言っても、本音を隠しているだけのことが多いですね。www

 

龍索堂が小学生高学年の頃に、

“この世界に生きている人間も、動物のようにウソを言わないで暮らしたら、犯罪は激減するはず“

そう思っていました。

今でもそう思っているから、あんまり進歩していないのかもしれません。

 

動物や昆虫は嘘をついて暮らしてはいません。

但し、猿のような霊長類や鳥たちは、

エサを取りあう時、異性を取りあう時に、

自分を大きく強く見せようとして、

少しウソをつくようです。www

でもそれ以外の日常ではウソは必要ないんでしょうね。

 

しかし、人間はエサや異性を取りあうわけでもないのに、

ウソで塗り固めた生活をしていることが多い。

 

恐怖や不安に怯える自分の弱さを隠すため。

他人から攻撃されないように強く見せるため。

本音を言うと嫌われて、集団から排除される恐怖を知っているから。

 

独りぼっちで生きているような、

気ままな生活の中では、誰かに気兼ねすることもないし、

必要以上に自分を大きく強く見せることもない。

ただ、その日を安穏に過ごすだけ。

 

趣味が高じてそれを仕事にしている人は、おおむね本音で生きています。

 

でも、どこかの会社の従業員として、

月給取りを仕事にしている人は、

会社の、会社による、会社のための仕事をしなければならない。

 

会社という集団の中では、

個人の本音やは存在することはできないし、

ごくささやかな自由しかない。

全国規模の大きな組織になるとそれすら認めてもらえず、

組織の中の一個の歯車として、定年を迎えるまで40年間、滅私奉公をする。

定年を迎えたら、翌日からは組織とは関係ないタダの人になる。

 

日本中がそんな組織団体の会社だから、

「自由闊達な討論、討議をする」なんてのはありえない。

 

なにせ日本は100年以上も、

暗記・記憶・抽出作業が中心の詰め込み教育を、

幼児〜大学生まで、

20年近くも繰り返し行わせているんですからね。

 

たいていの場合、本当のことを言う子は教師からは排除され、

同年代には仲間に入れてもらえない。

周囲全員を敵に回す状況に普通の幼い子供たちが耐えられるわけがない。

龍索堂は、それに近い状況でしたが、なんとかグレるだけで耐えられました。www

なにせ養護施設にいた時点で、同級生からは異端児扱いでしたから。

 

 

そういえば、10年ほど前、

某全国団体の某県連盟の組織(拡張)委員会席上で

何度も皆に言ったことがあるんです。

『みんな、平日の夜に早く仕事を終えて1〜2時間もかけて名古屋に出て来て、

何も言わないで帰るなんてもったいない。

尾張人も三河人も、他府県民に比べると人前でも本音を言う方じゃないか。

せっかくの機会だから、思っていることを言い合って、これからの改善につなげよう』と。

 

そうしたら、みんな本音を言い合う・・・そんなわけはありません。

次の瞬間、各地区の上席委員長たち全員は沈黙・・・・。

(オイオイみんな、お通夜じゃないんだから)www

 

『みんなは自分の思う本当の意見を言うと、

後ろにいる地区委員長やコミッショナーから、

“おつかれさん、明日から辞めてもらっていいよ”と言われるのが怖いんでしょ?』

 

龍索堂を見ていた各地区の上席委員長たち全員は再び下を向いて沈黙・・・・。

も〜っ。www

 

結局、本音を言い合う討議討論は成立しませんでした。

それから、機会あるごとに『本音で話し合おうよ』と言ってみたけれど、結局ダメでした。

 

組織の末端加盟員や、社会人でもある地区役員同士が、

本音や本当の意見を出して討議・協議できないような組織団体は、

一刻も早く解散してください。(これ、龍索堂の本音です)

 

 

では、催眠術以外の通常会話で、

他人から本音を引き出す方法はあるんでしょうか?

 

ありますよ。。。でも教えません。

ちょっと難しいから。www

(じっさいには100人ほどの教育者に教えたけれど、

めんどうくさい類型分類なんて誰も興味を示さなかった)

 

少しだけ言うと、頭脳・感情・運動・勝負・愛情など、

人間が持つこれらのエネルギーに働きかけるんです。

その場合、相手がどういうタイプの

エネルギー発散・鬱屈を行っているのかを見極めることが難しいんです。

 

 * * *

 

自分の精神的・肉体的欲求を偽る。

これこそが、自分にとってダメージが最も大きい。

と知りながらも、龍索堂自身は、

家族の為に、生活を支える金を得る為に、

自分を偽って生きて来ました。

 

「自分を偽らず、素直に生きなさい」

そんなキレイゴトを実行できる好運を持ち合わせていなかったんです。

 

しかし、ウソをついたことは少ない。

(そんな程度の低いTVCMのような大衆洗脳の口調はすぐバレルからwww)

けれども、本音を語ったことはそれ以上に少ないですね。

 

 

では、本音を何処で言うのか、

「王様の耳はロバの耳」のように、

人里離れた土に埋めたツボの中で?

いいえ、自分が毎晩見る夢の中で良いんです。

そこで大声で何度もなんども叫ぶんです。

 

 

自分の夢の世界とはいうものの、

そこは、自分以外の別人の作った世界か、

今では忘れてしまったかつての自分が作った世界です。

つまり、自分のモノでありながら、自分のモノではない。

けれど、それでも良いんです。

 

夢の中で夢見る自分を見て、その夢の中で・・・

自分の立ち位置が分からなくても構わない。

夢の中で大声で叫んでみてください。

自分の心の裡から想う本音を。

 

宇宙に向けて発した本音の願いは、

きっと(別次元かもしれないけれど)どこかで叶うと、

龍索堂は確信しているんです。

 

 

 * * *

 

しばらくの間、休暇を取ります。

記事の更新はいたしませんので、

訪ねて来てはいけません。www

 

8月節入りの後に、新しい道が見える予定ですので、

それ以後に、新生龍索堂が誕生したら再び記事を更新します。

でも、脱皮できなければ・・・

記事は二度と更新することはない。

(これは本音です)www

 

皆様、新生龍索堂の誕生を、

生あたたく見守ってくださいね。

では、これで本当にサヨウナラ。

 

 

いつもお訪ねくださる方々、
時々お訪ねくださる方々、
お訪ねくださってありがとうございます。

m(_ _)m

 

アンドレ・リュウの演奏する

名曲「オールド・ラング・サイン」を歌いながら、

皆さまの日々の安寧を祈ります。

 

 

 

 

あの日に帰りたくない

  • 2017.07.27 Thursday
  • 17:27

 

 

みなさまつつがなくお過ごしでしょうか。

龍索堂も妻も、

大地と日月星辰の御加護を頂いて、

息災で過ごしています。(^^)v

 

 * * *

 

最近の読書は2冊です。

大東流合気柔術の錦戸先生の伝記。

素晴らしい。

 

 

 

 

 

それから、萩尾望都先生が40年ぶりに記した「ポーの一族」

う〜ん、、エドガーもアランも

キングポーも元気そうで、なによりです。

生と死の間で繰り広げられる

甘くせつないラブロマンスの展開が懐かしくて

涙がでちゃいます。(TT)

 

 

昔なつかしいといえば、

少し前に妻が聞いてきました。

 

たぶんテレビのバラティー番組で聞いたんだと思います。

 

「ねぇ、昔に帰りたい?

もしそう思うのなら、それは何歳の頃?」って。

 

『う〜ん。みんなが若かった頃を思い出して

懐かしむ気持ちは分からないでもないけれど、

オイラは、昔に帰りたいと思ったことは今まで一度もないなぁ・・・

こんな自分でも、日々、少しづつ進化していると思っているからね』

 

「そう!、あたしもそう思うのよ」

 

『どうして?』

 

妻は言いました。

「10代はつらい事が多かったわ。

20代は意地悪だったわ。

30代は未熟だったわ。

40代はまだ至らないところが多かった。

だから、ただ若いだけの昔には帰りたくないわ」って。

 

『そうだね、オイラはオマエと暮らす今がいちばん良いよww』

って言うと、妻は喜んでいました。

 

 

昔がなつかしい。という気持ちは誰にでもあるけれど、

“昔に帰りたい”。と思うのは、

いま現在に不満や不安を抱えている場合でしょう。

また、明るく素晴らしい未来や来世を

思い浮かべることができない時もそうですね。

 

一休さんの虎退治の逸話じゃないけれど、

自分の抱えている不満や不安を、

目の前に取り出すことは誰にもできない。

ということは、それらのネガティブな感情は

今の自分の中で作り出している幻想でしかない。

 

 

そういえば、坂爪圭吾さんも言っていました、

「自分の感情は選べる」って。

 

ご機嫌に生きるのだと決めてしまえば、多分、ご機嫌に生きることは意外と簡単なのだと思う。

自分の感情は選べる(これは最近の発見!ビビった!)し、自分の感情は先取りすることができる。

幸せになりたければ「おれは幸せに生きる」と決めてしまうだけでOKで、多分、自由になることは1秒でできる。

20:20 - 2017年7月12日


坂爪さんは普通の人とは違って遍歴の行者のような生活をしているけれど、

修行僧や神職でもない人が、日々の生活の中で、

感情はコントロールできるモノだということを発見できるのだから

世の中は広いな、いろんな人がいるんだな、って思うんです。www

 

彼が自分の感情は選択できんだと発見したように、

たしかに人間の持つ感情、喜怒哀楽は選択できるモノなんです。

 

ただ、それが選択できるという事実、

選択できるやりかたを

誰からも教わらなかっただけです。

 

もちろん、小さい頃は誰でもできたはずです。

道行く少年少女を見てください。

何も持っていないのに、ただ歩いているだけなのに、

楽しそうにしています。

 

でも少しづつ大人になるにつれ、

社会との軋轢の間で、

やりたくない学業やスポーツを強制され、

みんな、楽しく在ることを忘れてしまった。

 

大人の言うことをそのまま鵜呑みに聞いて

そのとおりに実行する子供だけが優秀だと評価される歪んだ洗脳教育の結果、

楽しくないことすら隠して生きている。

そして、お金の為にやりたくない仕事に就いている。

そう、それはアナタも私も同じですね。

 

 

では、楽しさや嬉しさを感じる(思い出す)

感情のコントロールの方法を教えましょう。

実はこれ、とてもカンタンなんです。

鏡の前で笑うだけです。

 

1)まず、微笑む。

2)次に口角を左右に広げると同時に細目にする。

3)次は「ハハハハハ」って声を出して笑う。

 

これを朝晩2、3回繰り返すだけで、

毎日笑顔でいることができます。

やってみてください。

 

これができるようになると直ぐに分かります。

周囲の人たちも笑ってくれるからです。

 

龍索堂は仕事をしている時、

最後に必ず相手に微笑んであげるんです。

そうしたら、10人の内8人は微笑み返してくれる。

 

でも2割の人は笑ってくれません。

笑い返す余裕が無い人なんです。

そういう人は、たいてい「勝ち負けが判断基準」の人が多い。

かれらは「笑うと負け」と思っているんでしょう。

だから、自分の笑みに対して100%の笑みを期待してはいけません。

目標は80%で良いんです。

 

また、“自分が(一所懸命に)微笑んでいるのに周囲の人は自分に微笑んでくれない”

と文句を言ってはいけません。

 

そういう時には、自分の意識のどこかに、

相手が感じるネガティブな思いがあるはず。

だから、まず笑顔を作って出会う人にプレゼントするよう心掛けてください。

そうすれば、やがてネガティブな思いを感じる余裕が無くなり、

自然に心の底から笑えるようになります。

(※コツは身心全体で笑うこと)

 

これを繰り返していると、

嫌いと思っている人、苦手と思っている人も、

やがて笑い返してくれるようになります。

 

思い出してください。

小学生1、2年の頃、貴方の目は澄んでいた。

この世界は輝いていたし、知りたい物や触れたい物ばかりだった。

あの時の世界と、今の世界は何ひとつ変わっていないんです。

ただ、貴方の知識と経験がほんの少し増えただけ。

そして生きる為に妥協と諦めを覚え、

知らない内に、澱んだ瞳で世界を見るようになってしまった。

 

思い出してください。

母親と赤子が何の意味もなく見つめ合って笑うように、

幼かった自分が、何も考えず周囲や社会や地球を笑って眺めていた頃を。

 

そうすると、大地も空も、周りのみんなも、

自分を笑って見てくれます。

これが「トホカミエミタメ(遠神笑み給へ)」の意味です。

 

 

感情コントロールの方法はとても簡単です。

喜・怒・哀・楽の感情のうち、

喜と楽は笑顔で行いますが、

怒も哀も同じやり方で作ることができます。

 

 

では、もう少し高度な方法を教えましょう。

 

喜・怒・哀・楽をコントロールしようとする時、

自分の意識の視点を脳内の視床下部(目の奥)じゃなくて、

後頭部かその後ろの空間に置くんです。

そして目の前にある自分を、

物体かロボットと思ってコントロールする。

 

たったこれだけのことですが、

効果はとても大きいですよ。

 

とはいえ、聞いたとしても

やらない人がほとんどですけどね。www

 

 

 

以上、龍索堂の近況報告でした。

 

 

 * * *

 

いつもお訪ねくださる方々、
時々お訪ねくださる方々、
お訪ねくださってありがとうございます。

 

 

 

少し懐かしい曲ですが、www

名曲「We Are The World」を歌いながら、

皆さまの日々の安寧を祈ります。

 

 

 

 

牽牛星と織女星

  • 2017.07.17 Monday
  • 11:45

 

 

 

 

みなさまつつがなくお過ごしでしょうか。

龍索堂も妻も、

大地と日月星辰の御加護を頂いて、

息災で過ごしています。(^^)v

 

 * * *

 

最近、単身赴任先で仕事を終えて、

ひとりベランダに座って煙草を喫っているとき、

ふと考えているんです。

 

家族っていったいなんだろう?

家庭っていったいなんだろう?

 

自ら望んだこととはいえ、

どうしてこんな山と海の間にある田舎町で

妻と離れて暮らしているんだろう?

 

困っていた知人を助けるため、

以前の職場で居場所がなくなったため、

・・・だったはず。

 

 

でも妻は、平日に龍索堂と一緒に晩ご飯を食べたり、

話ができないで淋しがっている。

まるで、一年に一度しか出会えない、

七夕伝説の織姫と彦星(牽牛星と織女星)のように。

 

言葉の端々にそれを聞くと本当に困ってしまうんです。

“2、3年は知人のホテル業務の手伝いを続けようかな”

と思っていたけれど、最近の妻の様子を見ていて、

“半年くらいで前倒ししなくちゃいけないかな”

なんて思い始めているんです。

 

 

毎日、ホテルに来る

旅行ツアーのガイドさんやドライバーさんのように、

一週間に一度しか家族に会えない 

そんなサービス業の人だってたくさんいる。

 

藤沢に家を建てた義理の弟は、

上場企業の管理職になった今でも家族を置いて、

しょっちゅう単身赴任している。

 

家族っていったいなんだろう? 

家庭っていったいなんだろう?

 

毎週、休暇の前日に妻の待つマンションに帰る。

たった2泊2日の休暇を過ごした翌日には、

また職場へ向かう、そんな日々の繰り返し。

 

“でも遠洋漁業の船乗りのように

1年間家に帰ることができない人に比べれば、

まだましなのかも知れないな”

なんて自分を慰めてみる。

 

家族っていったいなんだろう? 

家庭っていったいなんだろう?

 

高齢者と呼ばれる歳になるまで、

長い間そんな事を考えたこともなかったよ。(*_*)

 

 

四柱推命という運命学で見ると「駅馬」という特殊星を持っているためか、

住所を7回、職業を9回変えた龍索堂です。www

幸いなことに、正官、正財が主星なので、

なんとか普通の暮らしができているんでしょうね。

 

それにしてもあと半月後、

9年間で最も低い運期の底に向かうこの時期はキツイです。

8月の節変りで運期の底に到達したら、

後は上るだけなのでオイラの目論見どおりに行くはず。

それまで、おとなしく辛抱して耐えて過ごします。

 

 

家族っていったいなんだろう? 

家庭っていったいなんだろう?

 

僧侶や尼僧、修道士・修道女のように

家族や家庭や住居を捨てたわけではないので、

ふつうの平凡な暮らしでも構わないはず。

でも、わずか100年に満たない

この世界での旅の住処として、

大豪邸や高級マンションで暮らすのは、

龍索堂にとって望ましいことではない。

 

30年前に妻と出会って

『この女性と一緒に暮らしてゆきたい』と強く思った。

その時には、家庭の大小なんてどうでも良かったはず。

結果は、小さな箱庭のようなマンションにしか

住まわせてあげられなかったけれどwww

 

つまり、龍索堂にとって、笑顔の妻こそが家族で家庭なんだ。

一緒に暮らして、一緒にご飯を食べて、一緒に寝る。

それ以外のことはどうでもいい。

 

ただ、それだけのことを行うのが生活なんだ。

 

かりに、妻が先にこの夢の世界から旅立ったのなら、

その時は、妻の笑顔と過ごした思い出や、

なにげない日常生活を思い出して残る人生を過ごせば良いんだ。

 

 

でも、ふとしたはずみに思うんです。

 

家族っていったいなんだろう? 

家庭っていったいなんだろう?

って。

 

 

この記事を読んでくださっている貴方にとって、

家族っていったいなんでしょうか? 

家庭っていったいなんでしょうか?

 

 

暑い日々が続きます。

龍索堂は、汗をかいて不足するミネラル分を

毎日、黒にがり数滴を、

麦茶に垂らして飲んでいます。www

みなさまも、お身体にご自愛くださいね。

 

 

 

 * * *

 

いつもお訪ねくださる方々、
時々お訪ねくださる方々、
お訪ねくださってありがとうございます。

 

 

シルヴィ・バルタンと共に

「Love is blue/恋はみずいろ」を歌いながら、

皆さまの日々の安寧を祈ります。

 

青色、青色、私の世界
あなたのいない悲しい世界
灰色、灰色、私の人生
あなたが去って凍てついた心

赤色、赤色、私の瞳
ひとりぼっちで泣いたから
碧色、碧色、未熟な私
あなたを疑い別れた二人

(コーラス)
二人が出会って太陽は輝いていた
愛が消え果てた今、虹も消えてしまった

黒色、黒色、夜の闇
あなたを失いひとりぼっち
終わった、終わった、二人の恋
あなたのいない悲しい世界

 

 

 

経営者の憂鬱

  • 2017.06.26 Monday
  • 12:20

 

 

 

みなさまつつがなくお過ごしでしょうか。

龍索堂も妻も、

大地と日月星辰の御加護を頂いて、

息災で過ごしています。(^^)v

 

今回は、今まで龍索堂が出会った、

経営者達の心情の一端を記そうと思います。

但し、まだ存命の方もいらっしゃいますので、個人名は省略致します。

もちろんですが、使われる部下からの目線ですwww。

 

 

事業展開、金、部下、不動産、地位、異性、名誉、勲章。

できれば最後は王となって一国を支配する。

かりに王と成れなくても、その次に偉い宰相となる。

あるいは、官位(勲章)を貰う。

 

人はこれらの順で、より多くのモノを集めるために、

経営者や団体・組織の長となろうとしますね。

それを達成できた人が、

人間社会での成功者と呼ばれるわけだから。

そして勲章をもらってから、この世界を去る。

 

 

しかし、経営者・団体責任者に共通しているのが、

豪邸や高級外国車、美しい愛人を持っていても、

自らの家庭に住む家族や、あたたかい家庭に恵まれないことが多いんです。

そしてまた、子孫に恵まれない人も多い。

 

「家族・家庭って何?」

そう思いながらも、

社会的成功を手に入れることだけに

自らの人生でのエネルギーの大半を注ぎ込むわけですから、

当然と言えるかもしれません。

 

 * * *

 

社会的成功を考える時、

龍索堂にとって忘れられない人が1人います。

それはいままで仕えた経営者や、

経営能力を持ちながらそれを発揮しなかった人ではなく、

龍索堂が修行時代に出会ったKさんです。

 

彼のことは以前にも記したことがありますが、もういちど記します。

(記憶がおぼろげですから文言は以前と違っているかもしれません、ゴメンナサイネ)

 

二十代前半に龍索堂がお寺で修行を始めて5年ほど経った頃でした。

あるとき、こざっぱりした身なりで背が高く、

坊主頭の中年男性が訪ねてきました。

 

「お願いします。〇山先生の元で修行させてください」

 

『スミマセン、今ここは僧侶の養成機関を創設する話はありますがまだ出来ていません。

もし直ぐに僧侶になりたいのでしたら、個人的には高野山か永平寺へ行かれることをお薦めしますが?』

 

「いえ、僕は〇山先生のところで修行させてほしいんです」

 

『家庭の事はどうするんですか?』

 

「いいんです。龍索堂さん、ウソじゃなくて

僕はお金も、美味しい酒も、美人の女性も、もう飽きたんです。

だから本当に何も欲しくないんです。」

 

中年男性のKさんは、ほんとうに純真な目をしてそう言った。

それを聞いている若い龍索堂はといえば、

物質欲、権力欲の炎が消せないで困っていたのにwww

だから“いったいどれほどの贅沢や豪遊を重ねれば、その心境に至るんだろう???”

お金も、異性も、ご馳走も要らないというKさんの心底を、

龍索堂は計り兼ねていたんです。

 

Kさんは、それから数回訪ねてきて僧侶になりたいと

何度も懇願したけれど、龍索堂は上司に取り次げなかった。

(そうしても無駄だったから)

結局、Kさんは元の仕事に帰っていったのか、

あるいは別のお寺に行ったのか、今でもわからないままです。

 

龍索堂は社会的成功を思う時、

「社会的成功の全てを捨てて、残る人生を仏道修行で過ごしたい」と言った

Kさんの穏やかな言葉とまなざしが今でも思い浮かぶんです。

もし10年後に来たら、

Kさんは誰よりも立派な僧侶に成っていたんだろうな・・・。

 

 

 * * *

 

社会的成功者たちにとって、最も重要な仕事はたったひとつです。

それは、<運の良い後継者を残すこと>

もちろんですが、家族や息子や娘ならば良いけれど、

身内に後継者候補がいない場合は、他人でもかまわないんです。

後継者問題を考えるとき、多くの人が間違えるのが、

高学歴や社会的実績を修めた人を選ぶことです。

 

しかし、本当の意味ではそんなものはどうでもいい。

高卒程度の学歴で、社会的実績の無い人でも構わないんです。

必要な知識や経験は、後継者になってから少しづつ学べば良いし、

地位に相応しい周囲の人たちから教われば、何の問題もない。

 

社会的成功者とされる上場企業経営者たちの

失敗の原因はいろいろあるけれど、

彼らが、長年続いている粉飾決算を発見できないままでいるのをニュースで知るとき、

経営者資格には高学歴や社会的実績は意味がないことを証明していますね。

 

もちろんですが、高学歴や社会的実績は運の良さの表れの一つです。

しかし、しょせんそれは過去のモノ。

未来における運の良さとは違う。

 

もし貴方が、ある日とつぜん、大組織の経営者に抜擢されたとしたら・・・・

カンタンです。

困っている人や貧しい人、恵まれない人を助ける。

落ちているゴミを拾う。

たったこれだけのことで、運が良くなります。

(どこかの風水師の言うように、部屋の壁紙やカーテンの色を直さなくてもいいんですwww)

 

ゴミを捨てる人は運を捨てる人。

ゴミを拾う人は運を拾う人。

 

大組織に成長する過程では、地域奉仕活動や福祉活動を続けていたのに、

大組織に成長した後には、だんだんとそれらをやめてしまう。

顧客や社会の人のためでなく、

利益追求を目標にする株主を儲けさせるためだけに働くようになる。

 

その過程において、関係する多くの人の不興や恨みを得る。

そしてその目に見えない塵や芥が、

組織を支える重要な基礎部分<多くの従業員たち>を腐らせるんです。

 

どれほど大きな団体組織や会社であっても、

それを支える従業員たちの持つ不興や恨みを

そのまま放置しておいたのでは長く存続できるはずはないんです。

 

子孫や後継者に恵まれないと悩む経営者たちには、必ず余殃(よおう)がある。

 

これを逆にいえば、何十年何百年と続く国家・団体組織・会社には、

かならず多くの人から受ける余慶(よけい)があるんです。

 

余殃に泣く人は、これから幸運を拾って行けば良い。

余慶に笑う人は、今まで以上に他人に幸せを贈れば良い。

 

このやり方がわからなければ、教えます。

とても簡単ですよ。

<自分の周囲にいる人やモノ、出会う人やモノを助けること、

自分を見る相手やモノが、いつも笑顔で居られるように接すること>

たったこれだけのことなんです。

 

でもね、ちょっと面倒くさい。

だって、誰も見ていないときでも、

毎日まいにち、これをひたすら繰り返すのですからね。www

 

そして、誰がなんと言っても、

絶対に自分の持つ信念と夢をあきらめないこと!!!

(その信念や夢が今生で達成できなくても良いんです。

信じていようといまいと、

私たちはこれから何度も生まれ変わって、

次の人生に繰り越して持って行くのですから)

 

 

最後に<誰か黄金の金玉を知らないか>の

玉蔵さんの記事を引用して終わります。

キャリン・ジョンソンさんの話

お金もないし、スキルもない。車の運転さえできなかった。
 車社会のカリフォルニアで、運転免許がないのは大いに不利だ。
 「私には高校の卒業証書もない」とキャリンは言う。
 「私が持っていたのは、自分自身と娘だけだった」
 あとは、そうだ。
 「私は演技がしたい」というあの夢だ。

(中略)

マンハッタンの福祉住宅で育ち、

シングルマザーで、かつかつの生活をしていた彼女が
堂々たるハリウッドスターに上り詰めることができた。

----------

後は記事を読んで下さい。www

 


いつもお訪ねくださる方々、
時々お訪ねくださる方々、
お訪ねくださってありがとうございます。

 

 

本名 キャリン・ジョンソン 

芸名 ウーピー・ゴールドバーグと共に、

映画「天使にラブソング」の、

I Will Follow Him を歌いながら、

皆さまの安寧を祈ります。

 

彼女たち尼僧の歌うHimは、イエスキリストと、

その代理人であるローマ教皇(映画の中で最後尾にいる白服の観客)や、神父達のことです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

組織の人

  • 2017.06.13 Tuesday
  • 19:16

 

みなさま、息災でお過ごしでしょうか。

龍索堂も妻も

大宇宙と日月星辰の御加護を頂いて

元気で過ごしています。

 

写真は名古屋市名東区でみかけた

マツバボタンとツツジです。

 

この日の前日に、30数年前に出会った修行者時代の先輩で、

私たち夫婦の仲人をしてくれた〇〇敏江さんのお別れ会がありました。

敏江さんは亡くなる前日まで、いつものように元気でした。

でも、翌日の朝には起きてはこなかった。

眠ったまま他界されたそうです。

参拝者へ返礼を言うご主人の涙声がとても悲しかった。

西三河に住む元同僚を誘い、

“いつもいつもありがとうございました”って

故人にお別れを言って来ました。

 

“50代を過ぎると昔の事を思い出すようになるよ”って、誰かが言っていました。

 

楽しかった経験がたくさんある人は、

“あの時は良かった” “あの時は楽しかった”

と思うんだろうなと想像します。

 

けれども、龍索堂はそれほど昔の事をアレコレ思い出さないんです。

『楽しかった部分だけが記憶の全てじゃなかったはず』

『総体的に辛かった過去の、何を思い出して感慨にむせぶ必要があるのか?』

って思うんです。

いつものようにアマノジャクですね www

 

 * * *

 

いつもお越しくださり

記事を読んでくださる皆さまはすでにご存知のように、

龍索堂は組織に向きません。

 

組織が嫌い、と言っても間違いではない。

以前に何度も記したように、

私たちは、国、社会、金融ネットワーク等の大きな組織から逃れて生きてゆく事はとても難しい。

またそれ以外にも、宗教、政治、教育団体等、数えきれないほどの組織団体が有ります。

当然、誰もが目に見える、目に見えない何かの奴隷として生きているわけです。

 

奴隷生活が好きならそれで良いんです。

けれども、そこに自由はあるんだろうか?

虐げられる環境の中で、

ひたすら堪え忍んでいて

“しょせん人生こんなものさ”と

偽りの満足で自分を騙していないだろうか?

組織に所属している多くの人は、

「自分は大きな団体に守られている」と感じている。

けれども、本当にそうだろうか?

それは、抑圧を誤魔化すための錯覚じゃないのか?

 

 

幼少期から養護施設という組織団体に長く居た龍索堂は、

組織団体で生きてゆくのは苦ではないんです。

しかし、表面はおとなしく穏やかに見えても、

強い反抗心を持っているので、

自分の望まない組織団体に居るのが

嫌でイヤでしょうがない。

実は、歳とった今でもその傾向が残っている。www

 

その為か、いつも誰かに反抗したり、

今いる場所から逃げていたような気がします。

反抗する何も無ければ、自分の精神や肉体を虐げていた。

まさに隠れた精神的患者でした。www

 

「それによって誰か喜んだり、得する人がいるわけでもないのに、まったく困った人ですね・・・」

と精神科医や心理学カウンセラーはアドヴァイスするでしょう。

 

でも、今は知っているんです。

龍索堂の身心の葛藤によって生まれるエネルギーを

オイラの知らない処で喜んで食べている存在がいた事を。

 

狂喜をくぐり抜ける

 

<占星術SIMPLE AND DIRECT>秘密ノート

 

 

 * * *

 

人間には生まれつき、組織に属する事で安心や満足する性格の人、

一人あるいは数人で満足する性格の人、

大きく分けると、この2つのタイプがあるんです。

 

当然ですが、龍索堂は集団に属さない個人プレイヤーです。

どんな集団でも3日〜1週間で飽きてしまうんです。

 

多くの集団は、味方や敵対する集団のメンバーであることは許すとしても、

龍索堂のように、味方でも敵でもなく、

どういう集団にも属そうとはしない異端児を許さない性質を持っているんです。

 

なぜだと思いますか?

オイラは、長い間、集団が大好きな人たちが持つ感情の根本的な動因の原因を調べていて分からなかった。

いつもいつも、群れ集おうとする彼らや

彼女たちが不思議でならなかった。

そしてみんな仲良くやっているのかといえば、

毎日まいにち、集団内の誰かや、

組織の在り方に不平不満や愚痴を言っているのに、

誰もそこを去ろうとはしない。

気に入らないのに、いつまでも集団から離れてないでいる。

何がどうあっても、組織集団にしがみついているんです。

 

どうしてなんだろう?

あれほど陰口や文句を言っているのに

どうして集団から離脱しないんだろう?

 

いろんな会社組織や集団や団体に属しても、

そこから簡単に離脱した龍索堂には、どうしても分からなかったんです。

 

 

今では、その原因を知っています。

人々を集団から離脱することを留めようとするモノがある。

それは<恐怖>です。

そしてそれは自分本来のモノではない。

 

確かに、多くの生物は生まれながら

集団で生きていくよう本能的にセットされている。

 

でもちょっと待ってほしいwww

アダムやイヴの時代、人類が今ほど多く無かった時代。

その時から社会性が、本能というプログラムでセットされていたのだろうか?

それは違うんじゃないか・・・

その社会性は、今では本能に近い部分にあるプログラムだけれど、

人間が本来持っていたものではなくて、後から付け足されたモノではないのか?

(人間の持つ社会性は、生存の為に学習して得た結果だと人類学者は言うけれど、

しょせん、その論説さえも類推や仮説でしかない)


 

ドンファンがカスタネダに伝えたように、

集団性、社会性は「外来の装置(その正しさを証明するための装置の一部)」ではないか。

 

だとするならば、集団で生きている人たちにとって、

集団に属さず一人で生きている人は、

敵よりも早く抹殺すべき対象なんだろうなwww

だってありとあらゆる集団を否定しているように見えるわけだから。

 

 

私たち現代社会の人間は、

生まれてからこの世を去るまで、

両親、教育者、宗教者、政治家、思想家、学者、成功者たちから、

日々ありとあらゆる方法で与えられる洗脳の嵐の中に住んでいる。

 

そして洗脳者自身が、自らを動かして洗脳行為をさせている

大元の洗脳者の意図すら考えることはない。

 

“それならそれで良いじゃないか”

“知らぬがホトケだよ”

“生きてゆくのに、物事の深い意味を知らないまま死んでも良いじゃないか”

“誰かにあやつられたままで、奴隷頭に成りあがって生きるのも悪くない人生さ”

と、多くの先輩たちが言っていたっけ。・・・

 

 

でも、龍索堂は知りたいんです。

余命短くても、この世界を創造した存在に触れてみたいと思っていた。

 

しかしながら、

現代人が持っている歪んだままの思考や、

洗脳(汚染)されたままの脳に知識を溜め込んでみたり、

また、どれほど考究を積み重ねてみても、

大いなる(聖なる)存在を理解できないことに気づいたんです。

それは40代半ばを過ぎてからだった。

ずいぶんと長くかかり過ぎてしまった。

遅かった!!!と今になって思うんです。www

 

 

<麻布日曜会>さんが、6月11日のフェィスブック記事で

とても良い事を記していました。

名言でしたので、引用して紹介いたします。

---------------------

「理解という矛盾を超えてゆく」

本質は常に理解の向こう側にある・・・(中略)

現代人は人の中にある「理解しようとする」という「自己矛盾」を超えた時。

人は無限の創造力の泉の中に浸かっていることになる。

「解放」とはそういうことである。

我々はそれを知る必要はなく、ただ受け止めるだけで良い。

それが「自然」ということである。

---------------------

 

要は『知恵を求める道』と、『知恵を生きる道』があるってことなんでしょうね。

龍索堂は『知恵を求める道』を生きていたような気がする。

だから今後は残る余生を『知恵を生きる道』で行こうと思っているんです。

 

 

 * * *

 

現在の龍索堂は、三河地方の田舎にあるホテルでフロント業務の仕事をしています。

そして、時間があるときには、

駐車場の草むしりやゴミ掃除をしているんです。

【塵を払え、垢を除け】

と言いながら。

 

この短い言葉を唱えるようお釈迦さまから言われて、

毎日まいにち掃除をして、やがて解脱を完成した

チューラパンタカ周利槃特尊者・しゅりはんどくそんじゃ)のように。www

(仏教では解脱を完成した人を尊者や聖者と言います)

 

もちろんですが、清掃作業だけで

阿羅漢(ブッダと同じ涅槃の境地を獲得した聖者)に成れるわけではありません。

周利槃特尊者の心は愚鈍なため、瞑想をしたり、論理を積み重ねることはできなかった。

 

けれども彼は掃除という行為によって過去世の悪業消滅を行うと共に、

【塵を払え、垢を除け】の言葉だけに集中することで、平等観・無分別観・専心念仏を行っていたのだ。

と龍索堂は思っています。

 

過去世に積み重ねた悪業をキレイに取り除くためにも、

そして身心に相剋をもたらしている

外来の装置である恐怖心や判断基準を

無思考によって粉砕するためにも、

日々、身の回りの掃除と、心の掃除は欠かせませんね。

 

 

以上、龍索堂の近況報告でした。

 


いつもお訪ねくださる方々、
時々お訪ねくださる方々、
お訪ねくださってありがとうございます。

 

現在の龍索堂は、記事の更新を1か月に一度くらいしか出来ませんので、

悪しからずご了承ください。

毎日訪ねて来て下さる方には恐縮・感謝しています。m(_ _)m

 

 

ダイアナ・ロスとライオネル・リッチーの歌う名曲

「マイ エンドレス ラブ」

を聞きながら、皆様の息災と繁栄と安寧を祈ります。

 

 

 

 

愛のロボット(部分改訂)

  • 2017.05.23 Tuesday
  • 17:18

今日の花:マツバボタン

 

 

 

最近の読書

 

 

みなさま息災でお過ごしでしょうか。
龍索堂も妻も、地球と日月星辰の加護をいただいて、
平穏に暮らしています。


交通事故で左足をひかれた息子君は、
手術も無事に終わり、松葉杖を使ったリハビリ中です。
不自由が残るとはいえ、左足がそのままで息子君はラッキーでしたが、
加害者君はどうやら真摯な方のようで、
息子君以上にラッキーでしたねwww


最近は、土日仕事のサービス業に転職したので、
青少年健全育成の奉仕活動も、
愛魂柔術のお稽古も休んでいます。
青少年健全育成の奉仕活動はともかく、
お師匠様のご尊顔を拝することができずに、
まことに残念でなりません。(T_T)


でもダイジョウブ。
龍索堂は、今までにない新しい夢を見ているんです。
ひとつは新しい仕事。
もうひとつは・・・秘密です。www


龍索堂は、今まで沢山の本を読んで知識を得てきました。
霊的指導者の伝記、オカルトの技法、運命学、心理学、整体技法、栄養学、類型分類学等々。
また沢山の仕事も経験してきました。


龍索堂の知識と経験に触れた人たちは皆、
初めは対等に近い立場でいろいろと聞いて参考にするのです。

しかし、私を雇った経営者たちは、
数か月も経つとそれに飽きてしまい、
他の従業員と同じように、上から目線での奴隷扱いを始める。
龍索堂の出会った経営者は、そういう人が多かったんです。


結局のところ、企業の新しい未来を創るのではなく、
昨日までの業務を少しだけ変化させるために、
毛色の変わった奴隷が欲しかっただけなのかもしれませんね。


九星術で言うと、龍索堂を使おうとした経営者は、
五黄土星、二黒土星、八白土星の人が多かった。


かれら土星の性格は、一様に泥臭いのです。
だから、輝いて見える完成された六白金星や九紫火星にいつもあこがれている。
けれども、強力なバイタリティーを発揮しても、金を払っても、
実際にはそれに変わることも、身に着けることもできないんです。
ここに土星が常に抱えるジレンマがあります。


彼ら土星生まれの多くは、
「新しい知識や他の業界の合理性を取り入れて改善しよう」と口では言うんです。
しかし、実際は一時的なサルマネで終わってしまうことが多い。

 

実際のところ、合理性や改善変化を受け入れられる人は多くないんです。

“爺さん婆さんたち、お前たちのやり方は古くて甘いんだよ!!”
と言いたいところですが、
傍目から見れば、龍索堂自身が老境に入っていますので、
(気分は中学生なんだけど)じつにおかしな話です。www


それだから、知識と経験を秘かに行ったり、
個人的に伝える事はあっても、
職業の中で具体的に活かす機会はほとんど無かったんです。
というより、龍索堂の得た知識や経験を必要とする経営者には出会わなかった。
おそらく“目の前の儲けにつながらない”と思われたんでしょうね。

 

身心の不調の原因や健康、家族や子孫繁栄は、
いつの時代、誰にとっても、儲け以上に重要なことなのにね。

 

だから土星の人たちを、当人が気づかないように、
陰から支えた事は、数えきれないあるのだけれど。

 

 

目先の利益を得るための徹底的な合理性の追求が良いとは思えない。
けれども、公私混同のドンブリ勘定や変化する社会を無視した、
新しい取り組みをしない昔のままのやり方が良いとも思えない。

要はバランスだと思うんです。

 

利益や合理性追求だけの経営、
家族的経営のどちらにも偏り過ぎてはいけない。

 

しかし現実には、生き残りの方策として、
高い顧客満足度を得た結果として利益を得ることを声高に言う成功者達がいて、それらがもてはやされている。
それはそれで間違いではありません。

 

しかしながら、どういう成功体験であろうとも、
それらは一時的な仮説でしかないんですね。(*_*)

 

 

けれども、それよりは、
現在勤務している従業員の
勤務条件における満足度を上げる方が、
組織を存続させる取り組みとしては
優れていると思うんです。


ところが、従業員が給与や勤務状況に満足していると
勤続年数が伸びて、高い給与、高い賞与を支払わなければならない。
だから、それをさせないために、
あ・え・て・従業員の平均年齢を下げる取り組みをしたり、
社会保険料の企業負担を減らすために、
パートやアルバイトなどの期間従業員を増やしたりしていますが、
我々は、低賃金に甘んじて何十年も同じ作業を行うだけのロボットじゃない。
(従業員全体の8割は、常に命令された作業だけを行いたいと思っていることも知っているけどね・・・)


 * * *

 

<人間はロボットよりも幸せか?>

アイザック・アシモフが「夜明けのロボット」、「ロボットと帝国」で記したように、
ロボットが人間の感情や愛を理解できるのは時間の問題と龍索堂は思っています。


 

 

そして、そう遠くない時代に、

ロボットがロボットを創造し始めると、

やがて、人間が創造主であることを知らないロボットが生まれるのでしょう。
その頃には、ロボットたちも人間と同様に、
悩み苦しみ、また幸福について考えることと思います。
そう遠くない未来において、
ロボットたちが、人間と同様に悩む時代が必ず来る
龍索堂はそう信じているんです。
とうぜん、人間とロボットの境界は限りなく0に近づきますね。
これは、ジェイムズ・P・ホーガンによるSF小説
『造物主の掟』(ライフメーカーのおきて、原題 Code of the Lifemaker)
のテーマです。
ロボットたちが「感情」や「愛」を知ったとき、
人間社会はいったいどうなるのか?
とても面白いテーマです。www

 

これからの人間とロボットが共生する社会の究極は、

【1】ロボットに人間としての生き方を指導してもらうようになる。(ロボットに支配される)

【2】感情を持ち夢を見るスーパーロボットさえも支配できる超人が現れる。

これら以外はあり得ないでしょう。

 

ロボット工学者たちは、

R・ジスカルド・レベントロフや、

R・ダニール・オリボーのようなスーパーロボットを

早く創り上げてくださいね。www
 * * *
「置かれた場所で咲きなさい」

保江邦夫先生の名誉母親である故シスター渡辺は、

「置かれた場所で咲きなさい」とおっしゃられました。
置かれたのは自分で、置いたのは神様というわけです。

 

もちろん、置かれた場所が気に入って耐えきれるのならそれで良い。
けれども、
『置かれた場所は地球上なんだから、どこで咲いてもいいじゃないか』
『嫌な生活や、身心が壊れそうなほど辛い生活や職業からは逃げても良いじゃないか』

と龍索堂はちょっとアマノジャクに思うんです。
だって自分の人生なんだもの。


常に他人の視線や評価を気にするのは、
人間が生まれつき持っている社会性とはいえ、
現代都市生活者の持つそれは、
親や教師が(自分たちはその意味も知らずに)子供たちに埋め込んでいる洗脳が多いんだから。

他人の視線ばかりを気にして、
常に何かや誰かに怯える必要はどこにもないんです。
だから、風に舞う一粒の種のように、
気ままに暮らしてみるのも悪くはないはず。


<仮に神様や創造主がいるとして>

宇宙や惑星や動植物や人間を創造した瞬間に、

今日、わたしたちが知る様々な宗教的戒律をも

創造したのでは無かったわけだから。

『ほとんどの宗教的戒律や倫理や道徳や主義や思想は、

宇宙創造から数十億年後(歴史的に見ればつい一昨日くらいの期間)に出来た後・付・け』です。

お〜っと、これ以上詳しく言うと、どこかの誰かに狙われてしまいます。(**)

いつもお越しくださる方々ならば、この意味するところが分かるでしょう?www

 

 

じっさい、身心がくたびれ果てている人にとっては、

いばや通信の坂爪圭吾さんが記す々の言葉が、

心の奥に響く人も多いんじゃないかな。
彼の言葉は、まるで高僧のように秀逸です。
多くの人が、彼のように、<何もない幸せ>を感じることができれば、
日本からもっと自殺者が減るのに・・・。
 * * *

龍索堂は、この記事を、

単身赴任先のネットカフェのマッサージチェアの上で記しています。
(最近、立ち仕事や草むしりがハードで身体にこたえるんです)
それに、単身赴任先のアパルトマンには、テレビも新聞もPCも無いwww

そして読書も映画もDVDレンタルもしなくなり、

思考を使わない生活を始めたら、

なんだかとても違和感を感じます。

その反面、毎日まいにち、処理できないほどの
重商主義の洗脳情報を見聞きしないのはとても良いことです。

 

国営放送が宣伝をして、みんなが騒いでいる北方ミサイル発射ショーは、
日本や韓国が高額な軍事防衛システムを※国から買うのと同時に、
な_ぜ_か_飛んで来なくなりますから、心配はありませんよ。

だって、もし秘密の約束を間違えて一発でも日本列島に届いたのなら、

その数分後には北国は壊滅してしまうんだからwww

 

 

それよりもオイラにとって残念なのは、
笑顔の妻と共に、日々の夕食をいただけないことです。(T_T)

それを叶えるためにも、がんばって新しいを夢を見続けて、
この世界に物質化しなければwww。

【 息子よ、この大宇宙は意識である。
意識によりこの夢が生まれ、
夢は一部が物質として目に見える。
おまえがすべての果てに到達したとき、
新しい始まりと続きをおまえの意識が開くのだ。
無から、新しい、美しいおまえが誕生する。
おまえとおまえのほとばしる希求、魂と夢を映しながら、
私の息子よ、おまえは無限であり永遠、
おまえの内に創造の夢がある 】
アナスタシア ロシアの響きわたる杉シリーズ 6巻
「一族の書」61頁より引用

 

みなさん、自分や他人を損ねたり破壊する悪夢ではなく、
他人も自分もみんながハッピーになる夢を見て、
その夢によって物質を創造して
楽しい人生を過ごしましょう。

夢見るのは、タダなんですから。

それに、とうぶんの間は、

人間のように愛のエネルギーと共に夢を見るロボットは

創造されないでしょうから。wwwww

 


以上、龍索堂の近況報告でした。

 


いつもお訪ねくださる方々、
時々お訪ねくださる方々、
お訪ねくださってありがとうございます。

 

アヴィ・アヴィタルがマンドリンで弾く、

バッハ:ハープシコード協奏曲第1番ニ短調 第1楽章

を聞きながら、皆様の息災と繁栄と安寧を祈ります。

 

 

 

聞き比べをしたい人は、コチラ↓
J.S Bach: Harpsichord Concerto No.1 in D minor BWV1052 Allegro -
バッハ:ハープシコード協奏曲第1番ニ短調 第1楽章

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