N-netぶろぐ

名古屋市内で、青少年育成活動を支援する、
[NPO法人 名古屋青少年活動支援ネット]
担当staffが、日々感じていることをつづります。
世俗と反世俗_改訂
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    皆さまは息災でお過ごしでしょうか。

    龍索堂夫妻は、大地と日月星辰の加護をいただいて、

    毎日気楽に過ごしています。(^^)v

     

     * * *

     

    「私が10歳の日本人なら、ただちにこの国を去るでしょう」

    ジム・ロジャーズが語る! クーリエ・ジャポン記者も直撃

     

    という記事をみかけました。

     

    “それは合理的ですね、じゃあ国外に出ます”と思う人より、

    “そんなこと言われたって家族もいるし、仕事もあるんだから、

    直ぐに国外に出れるわけはない”

    というのが多くの人の実感じゃないかと思うんです。

     

    龍索堂もそろそろ高齢者ですし、

    また妻や姉を扶養しているので、

    そう簡単には国外脱出できません。(T_T)

    もし家族がいなければ、今すぐにでも海外へ出たいwww

    行き先はシベリアが良いなと思っているんです。

     

    極東で1ヘクタールの無償土地、

    ほぼ100万人のロシア国民が取得可能
    https://jp.sputniknews.com/russia/201603041723332/

     

    それを妻に伝えたら、

    「シベリアだけはイヤ!」って大反対されました。

    山崎豊子の小説『不毛地帯』を読んで感銘を受けた妻なので、

    シベリア行きは叶いません。

    残念です。(T_T)

     

     * * *

     

    日本は、明治時代から始まった人口バブルが

    2004年から急激に減少しています。

     

     

    その影響によって、これから政治・経済・産業、

    ありとあらゆる分野が急激に縮小し続ける。

    ジム・ロジャーズが言うように、国外へ脱出することが出来ないのなら

    この日本で、いったいどう生き残れば良いんでしょう?

     

     

    最近、龍索堂が読書学習している橘令(タチバナアキラ)氏は言います。

     

    伽藍を捨ててバザール(世界)に向かえ。

    恐竜の尻尾の中に頭を探せ。

     

    ヒトの社会では、「評判」は貨幣よりもずっと価値が高い。

    評判が瞬時に世界中に広まる現代ネットワーク社会に出て、

    自分の評判を高め続ける。

    その為には、伽藍(既成の社会構造)を捨てて、ニッチ(隙間)に生きる。

    ニッチとは隙間のことで、現代マーケティング用語では、

    商品やサービスの供給・提供が行われていない

    未開拓の市場、隙間市場(すきましじょう)のこと。

    ニッチには自分の好きなことを選ぶ。

    そうすれば、その分野で他を圧倒することができて生き残れる。

     

    これが、

    『伽藍を捨ててバザールに向かえ』、

    『恐竜の尻尾のなかに頭を探せ』

    ということであり、残酷な世界を生き延びる方法だという。

     

    確かにそうだと思います。

    なぜなら龍索堂も比較優位について、

    20代後半からず〜っと考えているんです。

    この身体そのものを海外に動かすことができないのなら、

    YouTubeや有料ネット記事配信のように、

    インターネット空間に躍り出て、

    そこで自分の長所を世界に売り込めばいいじゃないか。

    (でも、その取り組みは頭の中でしか成功していません)

     

     * * *

     

    1月1日に年筮を求める人たちが多かったので、

    占術の事を少し記します。

     

    今から約40年前のことです。

    インターネットで占星術の受付を公開したい。

    という提案が会員から上がりました。

    実はその時、龍索堂は本部スタッフでして

    “へえ〜良い提案じゃないか”と思ったんです。

    “さて、どう決裁するんだろう?”と思い聞いていたら、

    最高責任者の鶴の一声で直ちに却下でした。

    “あ〜、もったいないなー”と思ったのを覚えています。

    それ以後、イントラネットでは処理されるようになったけれど、

    一般公開されることは無かった。

     

    今では、様々な占星術サイトが無料で公開されています。

    もちろん無料サイトでは、占術体系の全てを知ることはできません。

     

    じっさいに、占術を求める人々の大半は、

    恋愛・結婚、就職・転職など身近な問題について

    自分の判断以上の、高確率な推定結果を求めています。

     

    龍索堂のようなシロウトに毛の生えた程度でも30%程度、

    優れた占術家ならば、その倍の50%〜60%を推定します。

    (70%以上の鑑定は、神仏による霊感を得なければ難しいでしょう)

     

    しかし多くの人は、占断結果を裏付けるための、

    高度で複雑な論理体系による世界観を知りたいわけじゃない。

     

    だからその時、いち早くウェブサイトで

    初級・中級程度は公開しておくべきだったと思うんです。

    それによって、占術を学びたいと思う底辺層を集め広めてから、

    有志を集めて高度な占術を有料で教えれば理解が早い。

    スポーツくじtotoのようにwww

     

    当時の最高責任者が学んだ時代もそうですが、

    かつては、占術の高額なテキストや資料を求めるためには

    古書店をいくつも訪ねて歩いたり、

    専門書店の店主と仲良くなり

    余所へ流れる前に手に入れる必要があったんです。

    あの四苦八苦した資料蒐集の時代がまるでウソのように、

    現代はとても便利になりました。

    高額の稀覯本さえ、古書店を探し回ることなく、

    ネットオークションでも見かけるとガックリしますwww

     

    実は今でも専門古書店には、有名文献や稀覯本の発掘依頼があるんです。

    そうして、稀覯本が世の中に流れないようにすると共に、

    自分だけで独占する為に、何冊も手に入れる。

    そういう金に糸目をつけないマニアックな蒐集家がいるんです。

     

     

    ということで、これからもいろいろな占術サイトが増えるんでしょう。

     

    そこで気を付けなければならないのは、

    会ったこともない人の生年月日と名前だけでは、

    50%以上の未来を計算することは難しい。

    (龍索堂の想像数値です)

    だから、普通に占術サイト運営者に尋ねたい場合、

    依頼者は、自分の人相・声質・言葉に対する反応を

    占術者に直接会って見てもらう必要があります。

    そうすることで未来に起こる事の

    予想確率を上げて行くのが望ましいんです。

     

    ウェブサイトでの未来予測は50%を上回ることは少ない。

    と龍索堂は思っているんですが、

    もちろん達人は別です。

     

    占術者として開業していないにもかかわらず、

    会ったこともない人の名前と生年月日と名前を聞いただけで、

    90%以上のことを言い当てる人がいる。

    (中には占術のことも知らないまま

    インスピレーションだけで近未来をほぼ正確に予測する人もいる)

    そういう人がこの世界には沢山いて市井に埋もれたままでいる。

    だから、この世界は面白いなと思うんです。

     

     

    古代中国の春秋戦国時代に占術が重んじられたのは、

    多くが軍事戦略の為でした。

    軍師が行う兵法とは戦略・戦術の事ですから、

    軍師を現代風に言えば、国策・軍事コンサルタントということになります。

    占術のことだけを学んでいると専門バカに陥りますので気を付けましょう。

    (そういう知人が何人もいました)

    コンサルタントは、政治・経済・宗教・哲学をはじめとして

    ありとあらゆる社会情勢や最新の流行、

    その本質だけでも通じていなければならないんです。

    その為日々の学習は欠かせませんね。

     

    龍索堂は、ときどきGIGAZINE(ギガジン)を読んで

    最新の流行を学んでいますwww。

     

    軍師は、自軍の王族や将軍の運命を調べ、

    また敵の王族や将軍の運命を調べる。

     

    そして自国民を生き残らせる為の方策を憂慮している王に

    攻める時期か、動かない時期か、撤退する時期かを進言する。

     

    彼ら古代中国の軍師たちが、現代日本人に会って、

    「70年の間、戦争が無かったから平和で安心」

    「誰も攻めてこないから安心・安全」

    「いざとなったら米国や国連が守ってくれる」

    などの幻想を聞いたら、

    腰を抜かして驚くはずです。

     

    なぜかといえば、古代中国の春秋戦国時代は

    戦争で争った敵国の王族を、

    一族郎党皆殺しする風習を持っている人たちの集団国家でした。

     

    その証拠が漢字「鏖(みなごろし)」です。

    「鏖殺(おうさつ)」、「鏖尽(おうじん)」、「鏖戦(おうせん)」などの熟語もある。

    どれほど過酷な世界だったかが分かります。

    美しいキレイごとだけで生き残れると考える人達ならば、

    そんな文字や熟語を創って残さなかったはずです。

     

    私たちの持つ遺伝子も、そして生き方も感性も、

    古代中国で戦争に明け暮れた人から、たいして進化してないんです。

     

     * * *

     

    龍索堂夫妻は、今年も正月三が日に初詣へ出かけました。

    一つは、龍索堂夫妻の趣味と、

    もうひとつは運動不足の姉の手を引いて歩かせるためです。

     

    だから神社へ詣でても、特別何かをお願いするわけじゃない。

    ただ「熱田の大神様、いつもありがとうございます」って、

    生きてお参りできる感謝のお礼を申し上げてくるだけ。

    でも多くの参拝者は、熱心に祈っています。

     

    むかしふと思い立って、周囲の人たちにリサーチしたことがあるんです。

    『貴方がお正月に初詣で拝んでいる神様や仏様の名前を知っていますか?』と。

    そうしたら誰一人として知っている人はいなかった。

    1人や2人はいるだろうと思っていたので、とても驚きました。

    「初詣は日本の伝統文化だし、皆が毎年行くから、自分もお参りに行く」

    「誰もがみんな初詣に行くのだから、

    きっと何か良いことが、たぶんご利益が頂けるんだろう」

    とも言いました。

     

    「神霊など見たことも聞いたこともない。

    そんなモノにお参りするなんて迷信で非合理的、

    だから初詣なんて行かないよ」という剛毅な方はいませんでした。

     

    多くの人が、名前も知らない日本の神やインドの神様を

    熱心に礼拝してご利益を頂こうとしているけれど、

    礼拝対象である神仏の名前や、神社仏閣の由来を知ろうとしない。

     

    “名前も知らない相手から物をもらってはいけません”

    って小さい時に教わらなかったんでしょうか??

     

    ちなみに龍索堂の産土神(うぶすながみ)である熱田大神とは、

    【草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を御霊代(みたましろ)として依らせられる天照大神】のことです。

    たまに行く伊勢神宮の大神様は、日本書紀では【撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかき いつのみたま あまさかる むかつひめのみこと)】と記されていますが、公式には、【天照坐皇大御神(あまてらします すめおおみかみ)】です。

     

    もちろんですが、神名や仏様の名前を知っていてもいなくても、

    それでご利益を差別されることはありませんから、

    安心してください。

     

    もしこれを読んで不安になった人は、

    仏教寺院ならば「お釈迦様どうぞ行くべき道を教えてください」と、

    神社に詣でるなら、そのお宮の名前の後に大神様を付けて、

    「○○の大神様どうぞ行くべき道を教えてください」と言えば良い。

     

    「何としても願いが叶うように」と頑なな心持ちで祈るよりも、

    『自分が進むべき道を指し示してもらいたい】

    と穏やかに願う方が良いんです。

     

     

    話は違いますが、初詣参拝者のランキングを

    よくテレビや新聞で発表しています。

    どなたに尋ねてもらっても良いですが、

    主催者発表の数字は???です。

     

    誰も計数していないのですし、

    また調べたくても参拝者数が多すぎて

    カウンターで計数できないのが事実です。

     

    龍索堂は、良い塩梅の主催者発表ではなく、

    ほんとうに初詣参拝者の数字が正確なのかを

    総務省統計企画局で調査をしてもらいたい。

    国税庁でも構わないwww

    と、昔から思っているんです。

     

    ここで龍索堂が言いたいのは、

    日本人は、みんなが思っているほど

    信仰心が厚い民族ではないということです。

    毎年、お正月に初詣に行くけれど、

    神社や仏教寺院のことも、

    その主宰神や本尊のことも知らないし興味もない。

    また、セントバレレンタインのことも知ろうと思わないし、

    イエス・キリストのことも、知らないまま。

    お盆の時に、田舎では祖先を迎えて祀る風習を行うけれど、

    当人たちは祖先の系図すら見たことがない人が多い。

     

    そして、みんなはそれで良いと思っている・・・

     

    “日本人はみんな同じ良い人”のように見えるけれど、

    その動機を深く掘り下げて調べていくと、

    直ぐに逃げ出すことの難しい狭い集団の中では

    邪な人、悪い人と思われると、

    みんなに嫌われて損をする事が多い。

    また、良い人を演出していると、みんなが優しくしてくれるし、

    会社ではお給料も良いし、女子会にもみんなが誘ってくれる。

    つまり得な事が多い。

     

    もちろん、損得を考えることなく、

    自分のことより他人を世話したり、

    時には命を投げ出して他人を助けようとする人もいる。

    けれども、本音を言えば、

    自分さえ良ければ他人のことはどうでもいい、

    そう思っている人が多いんじゃないだろうか。

     

     * * *

     

    日本中には1000年前からの神社や仏教寺院もあり、

    多くの人が礼儀正しいし、思いやりも深い。

    だから、〈昔の日本人のように?〉神や仏の力をいただいて、

    混沌とした世界を拓くリーダーシップを取ることができる。

    そんな夢を読んだり、聞いたこともあるんです。

     

    若い時の龍索堂も、“そうかな、できるかな?”と思いながら、

    宗教的な枠組みからの世界平和を夢を見たこともあったんですが、

    最近は、“たぶん無理だろうな”と変わってきた。

     

    べつにことさら日本と日本人に悲観しているわけじゃないんです。

    (先進諸国のどこへ行っても大差ないから)

     

    神や仏を礼拝する風習を誇る人もいるけれど、

    実際には、礼拝対象の神仏の名前すら知らない高齢者の方が多い。

    ということは、次世代も同じ人たちばかり。

     

    信仰や宗教という反世俗世界にいて、

    現世利益という世俗をひたすら追い求める人間。

     

    それならいっそ、信仰や宗教的な枠組みではなく、

    世俗の徹底的な極みから、新しい世界が生まれても良いじゃないか・・・

     

     

    橘玲氏が『(日本人)』で記しているように、

    世界中で宗教や倫理からほど遠いように思える

    世俗の極みのような国民こそが、

    実は、自由のユートピアへ最も近いという。

     

     

    そこは理念的には、いかなる超越者(絶対神)も信じない徹底的に世俗的なひとびとによって構成される、誰もが自由に自己表現・自己実現できる社会のはずだ。

    それこそが「後期近代」の完成形で、ロバート・ノージックの夢見た「ユートピアのためのフレームワーク」が実現可能な唯一の場所に違いない。

     

    ユートピアの自由市場をつくるには、すべてを支配する超越者がいてはならない。

    いかなる超越者からも自由な〈私〉性の最先端にいる日本人だけが、ノージックのユートピアにたどり着ける。

    すべてのローカルな共同体(伽藍)を破壊することで、国家をフレームワーク(枠組み)だけにして、そこに退出の自由な無数のグローバルな共同体を創造していく。

    後期近代(再帰的近代)の終着点となるその場所がユートピアへの入口だとするならば、そこに最初に到達することが、歴史が日本人に与えた使命なのだ。

     これが私の〈夢〉だ。

     

    戦後日本の繁栄を支えてきたシステムが崩壊しつくしたとき、残骸の中から新しい世界が始まる。

    国家に依存しない経済的に自立した自由な個人だけが、その混乱のなかで、ユートピアへと達する道、

    すなわちエヴァンゲリオン(福音)を伝えることができるのだ。

     

    ****
    他者に依存しなければ生きて行けない遺伝的宿命をもった人間が、

    明るい未来を創造できるとしたら、

    世俗的な枠組みの中で最小限の依存を維持しつつ

    宗教や倫理に全く触れない道を探すより他は無い。

    なぜなら、宗教や倫理という反世俗では、

    どの民族同士でも絶対に交わることができないから。

     

    宗教や倫理という枠組みをほとんど持っていないと思える世俗的日本人。

    龍索堂はそれを悪しく言いたいのではないんです。

    むしろ、世俗の極みにいる日本人、

    なんでもありの日本人だからこそ、

    橘玲氏の言うように新しい未来を創造できるのではないか。

    と思っているんです。

     

     

    さて、この国の行く末は、いったいどうなるんでしょう。

    なんだか先の見えない暗〜い話になりましたwww


    でも、それほど悲観することはありません。

    龍索堂は、つらいことがあると、
    【愛の鎧-2】で引用した
    神と愛の会話を読んで自分を元気づけています。


    人間を創造した真の絶対神がいたとしても、
    毎日、自らを礼拝するよう強制したり、
    また意にそぐわないから罰するということはないと思うんです。

     

    絶対神の意図は、花屋で購入してきた水仙を、

    まいにち愛でる龍索堂の気持ちと同じではないのかな。

     

     

     

    いつもお越しくださる方々、

    ときどきお越しくださる方々、

    お越しくださってありがとうございます。

     

     

     

    世俗の極みのように見えるけれど、

    その実は反世俗的で高い精神性さえ垣間見える

    フレディ・マーキュリーの名曲

    We Are The Champions - Queen -

    を聞きながら、

    皆さまの、身心の安寧と意識の進化を祈ります

    龍索堂拝具

     

    | 龍索堂 | 精神世界 | 18:18 | comments(0) | - | - |
    カラス天狗とお茶を
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      皆さまは息災でお過ごしでしょうか。

      龍索堂夫妻は、

      大地と日月星辰と諸仏諸菩薩、

      諸天善神のご加護をいただいて、

      毎日気楽に過ごしています。(^^)v

       

       

      1月1日にアクセス数がなんと1208件を数えました。

      (いつもは30件〜300件をキープして

      それを上回ることのないように頑張っている)

       

      ははぁ「年が明けたから、龍索堂は新しい年のことを何か記すに違いない」

      って思った人がいますねw。

      でも残念。 九星術による診断は休業中なんです。

      もっと偉い先生の処へ行って、

      お金を払って年筮を得てくださいねwww。

       

       

      今日は、先回約束した不思議な話です。

      勝手な作り話を書くとバチを当てられるので

      ネタではありませんwww

       

       

      12月16日いつもの時間に自宅へ帰りました。

       

      “ただいまー”って言いながら居間を見ると妻がいない。

      それに晩御飯の用意もしていない。

      “あれっ、今日は具合が悪いのかな・・・”

      そう思って、寝床を見に行くと妻が布団をかぶって寝ています。

      “ただいま、帰ったよ”と言っても返事がない。

       

      布団をめくって顔を見ても、目を閉じたまま反応がない。

      (よっぽど具合が悪いのかな?こんなことは初めてだな)

      と思ってドアを閉めて、別の部屋で着替えをしていたら、

       

      「・・・ちゃん」

      「・・・・・けて」

      「・・・ちゃん」

      「・・・・・けて」

      かすかな声が扉の向こうから聞こえてくる。

       

      “??いかん!”

      そう思って寝室のドアを開けると、

      寝床の妻が起きたまま上半身を伏せてつぶやいている。

       

      「たすけて・・・・」

       

      妻の肩に両手をかけて声をかけた。

      『どうしたっ!?身体の具合が悪いのかい?』

       

      「おかしいの、誰かが憑いてる・・」

      (身体じゃなくて霊障か!?)

       

      そう言うと、妻は小さな女の子の声で歌いだした。

      (ん〜?聞いたことのないメロディーだ。

      口元で耳をすまして聞いていたら、どうやらインドの神への賛歌みたいだ。

      そうか、この数日インド人のスワミからヨーガのレッスンを受けていたっけ。

      彼から付いてきたんだな)

       

      『よし、払ってあげるから、おとなしくしていて』

      妻の左側から右手で後頭部を支えて、左手でこめかみを押さえて、

      観世音菩薩消伏毒害陀羅尼呪というマントラを何度も唱えた。

      そしたら、少し楽になったみたい。

       

      『どう、具合は?』

       

      「う〜ん」と言いながら少し首を振ってる。

       

      (う〜んまだ錯乱しているな。

      インドの娘なのにインド由来のマントラが効かない、

      さてどうしようか?)と考えていたら、

       

      今度は野太い男の声で「わしじゃ!」と言う。

       

      『???』(だれかな?別の霊か?)

       

      また「わしじゃ!」と言う。

       

      そして私を見ながら口を尖らせて

      「わしが分からんのか!」と怒鳴るように言う。

       

      (そんなこと言われたって分かるわけないだろ〜)

       

      今度は妻の声で「誰か聞いて」って言う。

       

      (あんまり低級霊と会話するのは良くないんだけど)

      と思って一瞬ためらったら、

       

      「誰か聞いて」ってまた言う。

       

      (そうか私の表層思念を読めるんだ)と思いつつ、

      『誰っ!?』と大声で聞いた。

       

      そしたら、口を尖らせたまま私を見て、

      なぜ分からないのかという不思議な顔をしている。

       

      もういちど、

      『誰っ!?』と大声で聞いた。

       

      今度は、口を尖らせたままギョロリとオイラを睨みながら、

      「アキハじゃ」と言う。

       

      夏の終わりに夫婦で参拝した遠州秋葉の大神

      (伊弉諾イザナギ、伊弉冉イザナミ)の御子神である

      迦具土神(かぐつちのかみ:火之迦具土神)を騙るなんて低級霊かもしれないな。

      と思いつつ、もういちど『誰っ!?』と大声で聞いた。

       

      そしたらまた、私を睨んで口を尖らせながら、

      「アキハじゃ!!」と怒鳴る。

       

      (怒らなくてもいいのに。もういいやお祓いを続けよう)

      そう思って、妻の左側から

      九字、流れ九字、封じ九字を切った。

       

      『どうだい?』

       

      「少し良いけど、まだ残ってる」って言う。

       

      (う〜んしつこいな)

      『じゃあ、今度は後ろから払うよ』

      と言って、妻の後ろ座った。

       

      目を八方目にして、少し怒り気味で、

      九字、流れ九字、封じ九字、梵字九字を切ってから、

      三種の祓、蒼生(あおくさ)祓、ひふみ祝詞、伯家神道『禊祓詞』、

      を真剣に唱えた。

      (こんなに真剣に声を出して唱えたのは初めてだなんて思いながら)

       

      『こんどはどうだい?』

       

      「うん、いなくなったわ」

      それから、

      「明ちゃん、私だよね、私だよね」って言う。

       

      『そうだよ』

      (霊に支配されている時は、複数の意識が混濁しているので

      自分が中心に居らず、隅の方へ追いやられていることが多い)

       

      『もうだいじょうぶだよ。みんな居なくなったからwww』

       

      「ああ良かった」

       

      『インド人スワミのそばにいた少女の霊が、

      お爺さんと一緒にこっそりとついて来て、

      明ちゃんが帰ってくる前にも、

      楽しそうに何度も歌を歌うのよ』

       

      『ここには神棚や仏壇が安置してあるし、

      それに玄関にはお守り札が貼ってあるから、

      よくこの家に入って来られたな〜

      その事の方が感心するよ』

       

      「あの女の子はね。邪心がまったくないの。

      だからついて来ることができた。

      昔、神様に仕えていて歌を歌っていたみたい。

      それで、その後ろにいたお爺さんも一緒に来ちゃった」

       

      『どうしてオマエサンに付いて来れたんだろう』

       

      「ただ、なんとなく。

      私のことが楽しそうに見えたから付いてきたみたい」

       

      『・・・まったく、かんべんしてくれよ〜。

      こっちは大変だったんだから』

       

      「あたしは明ちゃんがいてくれて助かるわ。

      変な霊が来てもお祓いで追い払ってくれるから」

       

      『オイオイ、前もそうだったけど、

      たまたま偶然にお祓い出来ただけなんだよ。

      人間の霊魂ならともかく、

      もう少し高次元の神霊だったらエライことになるんだよ。

      下手したら、オイラも取り憑かれて

      二人とも病院行きになるかも知れないんだ』

       

      「・・・」

       

      『だからさ、余所の人に優しくしても良いけど、

      不成仏霊はカンベンしてほしいな。

      オマエサンだって、護身法や祝詞くらい知ってるでしょ?

      それで身を守らないと。』

       

      「・・・分かったわ、気を付ける。」

       

      - - - - - - - - - - - - - - 

       

      次の日、1日中考えていた。

      「わしじゃ!」

      「わしがわからんのか!」

      「アキハじゃ」って妻の身体で言った霊は、

      あれからどうしたんだろう?

       

      家に帰って妻にそのことを聞いたら、

      「あぁあれ?、カラス天狗様よ」って言う。

       

      『おいおい、そんなことぜんぜん聞いてないよ』

       

      「だって、あのカラス天狗様、

      明ちゃんと知り合いみたいだったから。

      アナタ、前生で行者さんしてたでしょ?

      だから一緒に修行していた知り合いなのかなって

      そんな感じがしたのよ」

       

      『えっ?・・・

      ということは低級霊じゃなく、

      本物の秋葉権現なのか?』

       

      「そうよ」

       

      『・・・・』

       

      「・・なに、どうかしたの?」

       

      『オイラは、秋葉大神である迦具土神を騙る

      低級霊が来たと思っていたんだけど』

       

      「ちがうわよぉ♪」

       

      『?ということは・・・。

      あの、、オマエ、、

      秋葉さんっていったいどんな格好してるか知ってる?』

      (妻の実家は昔から秋葉権現のお札を毎年貰い受けてお祀りしている)

       

      「山伏の格好してるカラス天狗でしょ」

       

      『・・・まじか!!!』

       

      「なんでビックリしてるの?」

       

      『だって、オイラ秋葉権現なんて呼んでない。

      飯綱権現も秋葉権現も知っているけど、

      一度も祈祷したことも呼んだこともない・・・』

       

      「あら、あたしが呼んだから来てくれたのよ。

      あたし秋葉神社へお参りしてから毎朝、

      秋葉大神へ祝詞を上げているのよ」

       

      (そんなこと聞いてない・・・)

      『じゃあ、あの時にいたインドの娘とお爺さんは・・・』

       

      「明ちゃんが祝詞を唱えていたら、

      あの祝詞は良い祝詞ね。

      それと一緒にカラス天狗様が連れて行ってくれたわ」

       

      『オイオイ・・・それも聞いてない・・・』

       

      『いいかい、神や仏やそのお使いに願っても、

      そう簡単には来てくれないんだ。

      とうぜんお姿を見たり、

      お声を聞くことなんて滅多にない。

       

      多くの行者達は、それを叶える為に、

      命がけの修行を積んで、それでも叶わないことが多い。

      それなのに、オマエは変な霊を背負って帰ってきたり、

      本物の秋葉様を簡単に呼んだりする。

       

      それを聞いていないものだから、

      秋葉様は、オマエに呼ばれて助けに来たのに、

      目の前でオイラに誰!!って何度も怒鳴られて、

      さぞかし怒っていただろうな〜。

       

      いやはや、困ったもんだオイラ。

      それならそうと、ちゃんと審神者(さにわ)のように、

      丁寧にお尋ねするべきだった。

      低級霊だと思っていたら、

      まさか、本物の神霊が訪ねてくるなんて・・・

      ほんとにがっくりするな〜。

      いろいろ聞きたいことがあったのに残念でならないよ・・・

       

      できたら、カフェでお茶を飲みながら、

      秋葉様とゆっくりと話がしたかったなぁ〜〜』

       

      妻は私がガックリと気落ちしているのを見て、

      なぜか少し嬉しそうでした。

       

      ということで、御礼参りに、再び秋葉神社か、

      遠州可睡斎へお参りに行こうと思っていますが、

      それも直ぐには無理なので、

      とりあえず熱田の円通寺へお参りにいきました。

      このお寺は、秋葉三尺坊大権現が修行して

      印可を得たと言われる禅寺です。

       


      それと、秋葉三尺坊大権現様は、

      遠州三河一円では有名ですが、

      尾張名古屋地方では知らない人が多いので、

      ネットで調べた画像をリライトしたので記します。

       

      山伏装束を来ていないけれど、

      妻の顔で見たいちばん近い絵がこれでした。

       

       

      実はこれで80%の出来なんです。

      昔、仏画を書いていたので上手いでしょwww

      (サラリーマンを辞めて仏画を描く職に就こうかな。

      そしたら、どなたか仕事を紹介してくださいねwww)

       

      それと今回分かったのは、

      妻は時々、オイラに内緒で神様に連絡をとって、

      質問の回答を得ているようでした。

      (だから、時々変な霊がくるんだよ、まったくもう!)

       

       

      自分との和解_補遣2

      2012.10.17 Wednesday

       

      ↑、20数年前、妻に降りてきた女性行者の話を記しましたが、

      今回の件もヒヤヒヤしました。

       

      なにせ、相手が自分より強力なパワーを持っていて、

      それに加えて悪意があったら、

      こっちが敗けてしまいます。

      そうなったら、精神病院行きは間違いない。

      (だから不成仏霊を扱うのはとても難しい)

       

      そうでなくてもオイラ自身、

      常日頃、妄想癖がひどいのにwwww

       

       

      今日の格言

      「触らぬ神に祟りなし」

      (龍索堂と夫人にも、近づいてはいけませんwww)

       

      龍索堂のように、カラス天狗様にお参りしたい人は、

      信州地方ならば飯縄山の飯綱大明神、

      関東地方ならば秋葉大権現を祀る高尾山へ行きましょう。

      そのお姿は異形の風体ですが、

      崇敬の念があれば怖くはありません。

       

       

      いつもお越しくださる方々、

      ときどきお越しくださる方々、

      お越しくださってありがとうございます。

       

       

       

      今日の名曲

      Superbird - Neil Sedaka

      ニール・セダカ「スーパーバード」を歌いながら、

      お越しくださった方々のご多幸と安寧を祈ります。

       

      | 龍索堂 | 精神世界 | 05:05 | comments(0) | - | - |
      恭賀新年_改訂
      0

         

        皆さま、新年あけましておめでとうございます。

        いかがお過ごしでしょうか。

         

        龍索堂夫妻は、

        大地と日月星辰と諸仏諸菩薩、

        諸天善神のご加護をいただいて、

        昨年末も無事に年の瀬を越えて

        新しい年を迎えることができました。

        じつに、ありがたいことです。

         

         * * *

         

        若い頃の龍索堂は

        「新年あけましておめでとうございます」

        の言葉を聞いても、

        “ああそうですか”と聞き流していました。

        そのお返しの言葉として

        「あけましておめでとうございます」を言う時も

        ぜんぜん心を込めてはいませんでした。

        みんなごめんなさい m(_ _)m

         

        なぜなら、

        “ただ年を越しただけで、

        わずかな年末年始の休暇が終われば、

        また、いつものように、つらい仕事、

        つらい学業、つらいスポーツの日々が始まる。

        だから新年が明けてもおめでたくなんかない!”

        と思っていたから。

        (そう思う若い人も多いはずですねwww)

         

        じつは龍索堂、20代〜40代の30年間、

        毎年1月2月のイベントを前に激務をこなしていたんです。

        その間は、自ら望んだとはいえ超過勤務の連続でした。

        そして11月から1月の3か月間で5〜10kgは痩せていた。

        だからこそ、普通の人以上に新年はおめでたくなかったわけです。

         

         * * *

         

        じっさいに、毎日を痛みや苦しみを感じながら

        過ごしている人にとっては、

        心から笑い、心から楽しむことはできないし、

        それが一年の初めであっても、

        日常とたいした違いは無い。

         

        大人たちは、

        憮然とした表情の龍索堂であっても、

        笑顔で口々に「明けましておめでとうございます」と言いました。

         

        高齢者と呼ばれる大人になって、

        人生が残り少なくなると分かるんですが、

        それは嘘偽りや、表面だけのタテマエなんかじゃないんです。

         

        長く辛い人生を生き抜いてきた大人たちは、

        だれもが皆知っているんです。

         

        つらく悲しい日々が過ぎ去ってしまった後、

        10年、20年後にそれらを思い返してみる時、

        つらく悲しい記憶ですら、

        笑って思い出せようになる。

        もちろん辛い記憶のすべてではありませんが、

        昔の記憶の大半にそう思える時が来るんです。

         

        だからこそ、

        「新年あけましておめでとうございます」

        の言葉の中に、

        今年も年始の挨拶を交わすことができる。

        それは、お互い生きているからで、

        じつにありがたいことです。

        という感謝の意味を込めているんです。

         

         

        いつも先輩の知人は言います。

        「人間は楽しむために生きているんだ」と。

         

        龍索堂は言います。

        『人間は幸せを感じるために生きている』と。

         

        昨年の龍索堂には、辛く苦しいことが幾つか起こりました。

        そして、素晴らしい事も幾つか起こりました。

        また、不思議なことも起こりました。

        (これはみんなの大好きなオカルト話ですが、そのうちまとめて記します)

         

         

        本音を言えば、

        今年は、誰にとっても辛く苦しい事が起きると思います。

        もちろんですが、素晴らしく楽しい事も起きるでしょう。

         

        今年、どんな事が起きるかも分からないけれども、

        明るく、笑顔で、“明けましておめでとうございます”

        と言ってみましょう。

         

        意図して心を込めなくてもいいんです。

        ただ、何にも考えずに言ってみてください。

         

        そして、運よく何十年後に生きていたら、

        周囲のみんなを見回してください。

         

        年老いた自分がお正月に生きていることを、

        皆は、明るい笑顔で寿いでくれて、

        “おめでとうございます”

        と言ってくれるはずです。

         

        そして、自分からみんなにも、

        “おめでとうございます”と心から喜んで言える、

        そんな日がきっと来ると思います。

         

        なんだか、中島みゆき「時代」

        の歌詞のような話になってしまいましたね。

         

        これは年の始めのご挨拶ですから、

        いつものような長文はやめてこれで終わりにしますwww

         

         

        いつもお越しくださる方々、

        ときどきお越しくださる方々、

        お越しくださってありがとうございます。

         

         

        今日の名曲

        「空と海と太陽」フランク・プールセル オーケストラ

        このメロディーを聞くと、

        おだやかな風と、温かい光、波の音が聞こえてきます。

         

        今年一年も、皆さまの、

        身心の安寧と意識の進化を祈り続けます。

        龍索堂拝具

         

         

         

        | 龍索堂 | 精神世界 | 05:30 | comments(0) | - | - |
        愛のエネルギー
        0

           

          皆さまは息災でお過ごしでしょうか。

          龍索堂夫妻は、大地と日月星辰の加護をいただいて、

          毎日気楽に過ごしています。(^^)v

           

           * * *

           

          最近の龍索堂のテーマは

          『幸福を感じること』と、『愛のエネルギー』です。

          これには以前から何度も取り組んできました。

           

          愛はプログラム

           

          愛の誓い

           

          愛の鎧-2

           

          今年は合気柔術を習い始めて、

          身体を運動させながら、

          愛魂を発動する訓練を行っています。

           

          「何か成果はあったのか?」と問われれば、

          『少しづつカタツムリのように、ゆっくりと進んでいます(^^)v』

          しかしながら、望む結果はまだ得ていません。

           

          龍索堂は、今年、柔術のお師匠さまからこう教わりました。

          「空間に満ちている愛を感じなさい」と。また、

          「この柔術は道場だけで訓練するんじゃないんです。

          日々の生活の中で愛魂(あいき)の稽古を積み重ねるんです」とも。

           

          ああ、これ、むかし教わった祈祷法の中の観想にあったな。

          『諸仏の遍満し給えること猶し胡麻の如し』

          ということは、秘密仏教で言う「諸仏」とは愛だったんですね。

           

           

          アナスタシア、リンギングシダーシリーズ第4巻「共同の創造」によれば、

          愛のエネルギーは、創造主から頼まれて人間に仕えるよう遣わされた

          と記してあります。

           

          ユダヤ・キリスト教には、

          「創造主が人間を愛する」という概念はあるけれど、

          仏教でも、ヒンドゥー教でも、慈悲心はありますが、

          愛のエネルギーなんて聞いたことはない。

          「なのにどうして愛のエネルギーがあるなんて思うのか?」

          「それは小説の中の話だよね?」

          「寓話なんでしょ?」

          と思われる人はとても多いはず。

           

          でも龍索堂は『これは事実ではないのか?』と思っているんです。

          "小説の創り話を真に受けるなんてオバカ"と笑ってください。

           

          「共同の創造」を読んでから2年間、

          創造主から人間に仕えるよう頼まれた

          愛のエネルギーを探しているんですが、

          いったいどこにいるのか?いまも分からないんです。

          (うすうす感じているんですが、見つけるまではナイショです)

           

          「では見つけてどうしたいのか?」

          もちろん、

          “愛のエネルギーへ感謝の思いを差し向けたい”

          “できれば、愛のエネルギーと一緒に

          カフェで珈琲を飲みながら長話をしたい”

          と思っている・・・・。

          相変わらず真正のバカオヤジです。wwww

           

           

          人間はどれほど多くの物質的資産、

          栄えあるある名誉や

          社会的実績を積み重ねても、

          それを棺箱に入れて未来へ持って行くことはできない。

           

          「人間本来無一物」と言われるように

          私たちはひとりぼっちで生まれて来て、

          ひとりぼっちで死んで行く。

          この世界を去る時には、

          死のエネルギーが私たちの持つ物

          すべてを手放させるんです。

          だから、私たちの目に見えるこの世界の

          物質すべてを支配しているのは、

          私たち人間なんかじゃない。

          この世界の物質を支配しているのは、

          人間の隣にいる死のエネルギーなんです。

          これは人の好き嫌いという思いを超えた事実です。

           

          でもその事実と共に、

          私たちが生まれる前から、

          つまり個人という実体を形成する意志の中心(意志の核)の隣に居て

          見守ってくれた存在「愛」があっても不思議じゃない。

           

          そのエネルギーは、肉体を授けてくれた両親よりも前に私のことを

          とてもよく知っている。

          そんな存在がいたら、どこへ行っても1人でも寂しくはありません。
          じっさい何の根拠もない確信なんですが、

          龍索堂はそう思っているんです。

           

          ■■■

          人間の隣には、いつも愛のエネルギーがいる。

          それを創造主に遣わされた天使と呼んでもいいし、

          諸仏の慈悲と呼んでもいい。

          愛という言葉が恥ずかしいのなら、

          思いやりのエネルギー、慈しみのエネルギー、

          その他、人間がどういう呼びかたをしても

          その存在は文句を言うことはないでしょう。

          きっと母親のように笑っていると思うんです。

           

          私たちはひとりぼっちで生まれて来て、

          ひとりほっちで死んで行く。

           

          でも、私たちの意識の中心の傍にいて

          仕えてくれる「エネルギー愛」は、

          生まれてからも、病める時も、貧しい時も、裕福な時も、

          ありとあらゆる時間と空間の中において、

          私たちの隣にはいつも居てくれる。

           

          愛は、この宇宙を創造した存在に匹敵するほどの

          強力なパワーとエネルギーを持っている。

          そして家族や親族がいないひとりぼっちでも、

          いつも隣に愛がいてくれる。

          目に見えなくても

          音に聞こえなくても

          舌に感じなくても

          匂いを感じなくても

          触ることが出来なくても

          それでも、隣に愛がいてくれるのなら

          寂しくも悲しくもないと思うんです。


          どうです?

          龍索堂の妄想は素敵だと思いませんか。

           

          最近、花咲くように笑う妻の笑顔を見ていると、

          その笑顔の奥にいる「愛のエネルギー」を感じることがあるんです。

          もちろん昔からうすうす気づいていたけれど、

          龍索堂が毎日「元気にしてる」って

          鉢植えの花や観葉植物たちに声をかけるような

          生きている私の存在そのものを喜んでくれる

          そんなヴァイブレーションを感じることがあるんです。

          今のところ、それを妻と亡き母の笑顔の中にしか感じないんですが。

           

          これが、愛のエネルギーを認める

          龍索堂の根拠のない確信のひとつなんです。

           

           * * *

           

          最近の龍索堂は「誰からも愛されることのない私」、

          「不幸な私」という思い込んでいる自分の中にある

          ネガティブな性向を生み出している大元を調べて、

          そこへ密かに忍び寄っているんです。

           

          「忍びよってどうするんだ?」と問われれば、

          もちろん『幸福な私』『愛と共にいる私』へ、

          ベクトルを変更するためです。

           

          海中深く沈んでいる氷山の大部分のような膨大な無意識を

          海上に見える小さな一角だけでどう取り組むのか?

           

           

          これは、現代の心理学、教育学、遺伝子工学でも

          不可能に思える取組みですが、

          愛のエネルギーに手伝ってもらうことによって、

          なんとか方向修正しようと思っているんです。

          幸福へ向けて一直線に進むようにwww

           

          この取り組みが上手くいったら、

          みなさんにも教えようと思っています。

           

          但し、どれほど科学技術がすすんだとはいえ、

          人間の生も死も、いまだに謎に包まれていて、

          その本当の意味を知る人はどこにもいない。

          龍索堂が一生をかけても、

          そのごくごく一部しか知ることはできないわけですから、

          みなさんにお伝えできることも、

          ごくわずかでしょう。

           

           

          ここでアインシュタイン博士の言葉を再度記します。

          この文章は、真偽が定かでないんですが、

          龍索堂があると思っている、愛のエネルギーを

          まるで垣間見たかのように、

          とてもうまく表現していると思うんです。

           

           

          アインシュタインの最後の答え(前半):

          愛するリーゼル:
          お前の近くにいたことはないけれど、最後の出発(死)の前に、

          私の人生で最も価値のある発見をお前の手に委ねたい。
          お前の誕生は、予期せぬ出来事で、

          あまりの責任感の大きさと恐れのため分別を失ってしまった。
          反応できるようになったときには、もうすでに遅かった。

          死を目前にする今まで、お前の誕生を経験したことがどんなに重要なことか気づいていなかった。
          矛盾しているようだが、お前は、私について、別離と忘却だと思ってきただろう。
          私は一度もお前のことを忘れたことはないし、

          毎晩暗闇の中で目を開けてお前の顔はどのようだろうと想像していたのだ。

          しかし、間違いは、老いたときに、致命的で決定的なものとなる。
          私の行動によって感じた羞恥心が、長年にわたってお前に連絡を取らせなかった。

          そして、結局遅すぎた。

          私がちょっと風変わりな天才として有名なのをお前は知っている。
          ある者は、無神経であまり優しくなくて共感しない人間だと私のことを非難する。

          しかし、時の経過によって、特にたった一つの公式E=mc2が

          想像もしたことのない、悪夢とも思える結果をもたらしたので、
          私は他者の痛みに敏感になってきたことを保証できる。

          直接的に責任はなくても、私は残忍で不条理な

          人類の破壊に向けての競争の協力者であると感じている。
          それは、私が計画したものでものなければ、望んだこともないものなのだが、

          私の公式が高い破壊力を持つエネルギーを開放することを許してしまった。

          そして私の思考に変曲点を生み出してしまった。
          公開されているたくさんのインタビューによって、

          長年私が最後の答えを、つまり、

          宇宙を支配するすべての力を統一するものを説明することができる

          変数を探してきたことをお前は知っているだろう。

          私は、物理学、形而上学、心理学、生物学、重力、光など

          我々が知っている全てを支配する根源の力が何であるのか理解したかったのだ。
          長年、私は、統合した分野の理論を見つけるため戦ってきた。
          今、結論に達することができたと言える。

          今からお前に打ち明けることは、科学的でないと感じるだろうと思っている。
          そして、この最後の手紙、お前を受取人とする私の形見は、

          たくさんの人たちを驚かし、私が完全に気が狂ったと思う人もたくさん出るだろう。

          ノーベル賞の受賞へと私を導いた発見だけでなく、

          一般相対性理論や特殊相対性理論と共に

          達成した多く承認も含めて問題にされ疑われるかもしれないと思っている。

          なぜなら今から私が言うことは、まさしく物理学だけでなく科学全体の未解決の大きな課題だからだ。
          私の仮説を発展させるのに、常にとても気難しく厳しいと私について言うことから知っているだろう。

          そのため私の人生の間、いいアイディアはとても少なかったと思う。
          これらの最新のものを含めて、後で紙に書き移そうとした閃きと直感に由来していた。
          お前の母親ミレーバは、私の直感を数字と公式に具現化するための言語を見つけるのを手伝ってくれ、

          彼女に大いに借りた力のおかげで、私は高度で厳格で精密な課題に取り組むことができた。


          アルベルト・アインシュタインから娘への手紙(後半)

          私が相対性理論を提案したとき、ごく少数の者しか私を理解しなかったが、

          私が人類に伝えるために今明かそうとしているものも、世界中の誤解と偏見にぶつかるだろう。
          必要に応じて何年でも何十年でも、

          私が下に説明することを社会が受け容れられるほど進歩するまで、お前にこの手紙を守ってもらいたい。


          現段階では、科学がその正式な説明を発見していない、

          ある極めて強力な力がある。
          それは他のすべてを含みかつ支配する力であり、

          宇宙で作用しているどんな現象の背後にも存在し、

          しかも私たちによってまだ特定されていない。


          この宇宙的な力は愛だ。
          科学者が宇宙の統一理論を予期したとき、彼らはこの最も強力な見知らぬ力を忘れた。

           

          愛は光だ。

          それは愛を与えかつ受け取る者を啓発する。
           

          愛は引力だ。
          なぜならある人々が別の人々に惹きつけられるようにするからだ。

           

          愛は力だ。
          なぜならそれは私たちが持つ最善のものを増殖させ、人類が盲目の身勝手さのなかで絶滅するのを許さないからだ。

           

          愛は展開し、開示する。
          愛のために私たちは生き、また死ぬ。
          愛は神であり、神は愛だ。
          この力はあらゆるものを説明し、生命に意味を与える。


          これこそが私たちがあまりにも長く無視してきた変数だ。
          それは恐らく、愛こそが人間が意志で駆動することを学んでいない

          宇宙の中の唯一のエネルギーであるため、私たちが愛を恐れているからだろう。

          愛に視認性を与えるため、私は自分の最も有名な方程式で単純な代用品を作った。
          「E = mc2」の代わりに、私たちは次のことを承認する。

          世界を癒すエネルギーは、光速の2乗で増殖する愛によって獲得することができ、

          愛には限界がないため、愛こそが存在する最大の力であるという結論に至った、と。
           

          私たちを裏切る結果に終わった宇宙の他の諸力の利用と制御に人類が失敗した今、

          私たちが他の種類のエネルギーで自分たちを養うのは急を要する。

          もし私たちが自分たちの種の存続を望むなら、もし私たちが生命の意味を発見するつもりなら、

          もし私たちがこの世界とそこに居住するすべての知覚存在を救いたいのなら、

          愛こそが唯一のその答えだ。

          恐らく私たちにはまだ、この惑星を荒廃させる憎しみと身勝手さと貪欲を

          完全に破壊できる強力な装置、愛の爆弾を作る準備はできていない。

          しかし、それぞれの個人は自分のなかに小さな、
          しかし強力な愛の発電機をもっており、

          そのエネルギーは解放されるのを待っている。

           

          私たちがこの宇宙的エネルギーを与えかつ受け取ることを学ぶとき、

          愛しいリーゼル、私たちは愛がすべてに打ち勝ち、
          愛には何もかもすべてを超越する能力があることを確信しているだろう。


          なぜなら愛こそが生命の神髄(クイントエッセンス)だからだ。

          私は自分のハートの中にあるものを表現できなかったことを深く悔やんでおり、

          それが私の全人生を静かに打ちのめしてきた。
          恐らく謝罪するには遅すぎるが、時間は相対的なのだから、

          私がお前を愛しており、お前のお陰で

          私が究極の答えに到達したことを、お前に告げる必要があるのだ。

          お前の父親
          アルベルト・アインシュタイン

           

          <人生、波瀾万丈>さんの記事を転用しました。m(__)m

          http://blogs.yahoo.co.jp/shihihaida/14209253.html

           

           

          愛のエネルギーについては、

          未来において、きっと誰か別の人が

          アインシュタイン博士の「E = mc2」のような

          美しい方程式を発表してくれるでしょう。

          龍索堂は今生でそれを見ることはできないかもしれませんが、

          とても待ち遠しいです。


           

          今年の記事はこれで終わりです。

          また来年も、ご一緒に意識の旅をしましょう。

           

          私たちは同じ地球船の同乗員です。

          私たちの目指すところ、

          私たちの行き着く先は、

          地球船と同じ『幸福の極致』です。

          人種も、能力も、年齢も性別もまったく関係ない。

           

          もちろん到着に早い遅いはあります。

          でも、それは船の舳先(へさき 船首)と

          艫(とも 船尾)の違いくらいでしかありません。

          人によれば、到着地に着いたにもかかわらず、

          気づかないで船の中で目的地を夢見ている人もいるはずです。

          なにせ地球船は超々大型客船なんですから。www

           

          もしかすると、通りすがりに龍索堂の文章を読んでくださった方が、

          『幸福の極致』へ早くたどり着いたら、

          「ま〜だ、そんなところにいるのか、

          いいかげんうろうろしていないで早くこっちへ来いよ」

          っていうアドバイスを送信してくださいね。

          だって、目的地についていながら

          船の中で眠って夢見ているのが、

          この龍索堂自身なのかもしれないので。wwwwww

           

           

          それでは、来年もまた宜しくお願いいたします。

           

          いつもお越しくださる28名のかたがた、

          ときどきお越しくださる数百名以上のかたがた、

          相変わらず皆さんからのお便りは全くありませんが、www

          それでも、縁あってお越しいただき、

          拙い文言を読んで一緒に考えて下さっていることと存じます。

          あるいは、長文に辟易してスルーして去る人にも感謝申し上げます。

          ありがとうございます。

          龍索堂拝具’m(_ _)m

           

           

          幸福を求める龍索堂と妻の、

          妄想と幻想の旅は

          今年も来年も絶賛継続中ですwwww

           

           

           * * *

           


           

          カルロス・ガルデル作曲 タンゴの名曲

          ポル・ウナ・カベサ (Por una cabeza) を聞きながら、

          来年の皆さまの、身心の安寧と意識の進化を祈ります。

          人生は、まるで甘く切ない生と死のタンゴのようです。

          龍索堂拝具

          | 龍索堂 | 精神世界 | 00:00 | comments(0) | - | - |
          幸福を求めて
          0

             

             

             

            皆さまは息災でお過ごしでしょうか。

            龍索堂夫妻は、大地と日月星辰の加護をいただいて、

            毎日気楽に過ごしています。(^^)v

             

             * * *

             

            今回は集団性について考えてみたいと思います。

             

             

            龍索堂は、集団活動が嫌いです。

            隣の席に座っている人と一日話をしなくても、

            たぶん村八分にされても・・・

            それほど困らない。と思うwww

             

            村八分(むらはちぶ)とは、村落(村社会)の中で、掟や秩序を破った者に対して課される制裁行為であり、一定の地域に居住する住民が結束して交際を絶つこと(共同絶交)。『地域の生活における十の共同行為のうち、葬式の世話と火事の消火活動という、放置すると他の人間に迷惑のかかる場合(二分)以外の一切の交流を絶つことをいう』 また「村八分」は、集団行動を行う日本社会における代表的ないじめの代名詞でもある。by ウキペディア


            小さい頃を思い出しても、

            みんなと楽しく遊んだ記憶よりも、

            いつも1人で遊んでいた記憶の方が多いんです。

             

            小説や漫画を読んで、新しい発見や古い言い伝えや、

            過去や未来の事を考えながら、

            それらを織り交ぜて過ごしていました。

            それに飽きると、花を愛でたり、

            水をやったり、土を変えたり。

            また、犬や猫と遊んだり、

            紅雀を始め、セキセイインコ→、ハツカネズミ、モルモット

            を飼って世話をしていました。

             

            どうしていつも1人なんだろうか?

            昔から何度考えても分かりません。

            それが好きだから、としか答えられない。

             

            両親の離婚によって養護施設で12年も集団生活してきたので、

            周囲の人とは上手くやれるんです。

            でも、他人と一緒にいるのは、どうしても好きになれない。

             

            人は"小さい頃に両親の愛情を得られなかったからだね"と言います。

            でも、同じ施設にいた他の人たちは、皆仲良く過ごしていました。

            オイラだけなんです。

             

            新しい知識や、よほど不思議な体験や

            珍しい体験をした人の話ならば、

            何時間でも聴いていられるけれど、

            そんな人はとても少ない。

            だから、普通の人と話していたら、

            10分も経てば飽きてしまう。

             

            もちろんですが、

            社会人になってから、仕事の時には人と話をします。

            毎日、お客さんの悩み話を半日以上聞いたこともあるし、

            クレーム処理の仕事をしていた時は、

            店舗に苦情を言って来た地元の町内会長や、

            元裏稼業の親分と談判をしたこともある。

            (後で誰とも仲良くなりましたがwww)

             

            それでも、やっぱり一人でいる方がいいな。

            こんなウツ傾向の強い妄想者は、

            いっそ誰もいない山の中に住んだ方が良いんでしょうね。

             

            しかし隠棲したいけれど、家族がいるので、

            静かな山の中で1人住むわけにはいかないんです(T_T)

             

             * * *
             

             

             

            『言ってはいけない_残酷すぎる真実(新潮新書)』

            『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 (幻冬舎文庫) 』
             

            橘 玲(タチバナ アキラ)氏の記した

            この本に記されていることは、

            龍索堂にとって、あたりまえ過ぎる現実でしたwww

             

            橘氏は、この本の中で、ジュディス・リッチ・ハリスが著した

            *『子育ての大誤解−子どもの性格を決定するものは何か』(早川書房)

            の集団社会進化論を引用しています。

            (*新刊本は手に入らずAmazon中古本でも高価な希少本になっています)

             

            『子育ての大誤解』では、

            3歳の時までの親の対応が、子供の性格を決める

            愛情をこめて抱きしめると、優しい子どもになる

            寝る前に本を読み聞かせると、子どもは勉強好きになる

            離婚は子どもの学業成績を低下させる

            体罰は子どもを攻撃的な性格にする

            などの、子育て神話は全て間違いだったと指摘されている。

             

            一方、橘玲氏は『言ってはいけない_残酷すぎる真実(新潮新書)』で、

            子どもの性格形成において

            「遺伝」と「環境」がどのように関わるかを考察しています。

            また、子育ての間違い5つの原因をあげています。

            1)現代核家族は、一夫多妻が普及した制度で、

              せいぜい2千年の浅い歴史しかない。

            2)社会化とは大人が施すものではなく、子供が獲得するものである

            3)学習はその場所のものであり、移動できるものではない。

            4)遺伝の影響は大きい。

            5)個人生活を称揚するのは、集団生活を無視する最近の現象である。

             

            そして、子供の特性を5つあげている。

            1>子供は、自分と似た子どもに引き寄せられる。

            2>子供は、自分が所属する集団に自己を同一化する。

            3>子供集団は、他の子供集団と対立する(子供)文化をつくる。

            4>集団の中の子供は、仲間と異なる人格(キャラクター)を演じることで、集団内で目立とうとする。

            5>子供集団は文化的に独立しており、大人の介入を徹底して排除する。

             

            また、『子育て神話から自由になるために』

            橘玲 2010年11月24日 10:00 のブログでは

            1)親は子どもを愛するけれど、

              子どもは親を愛するようには設計されていない。

            2)子どもは親の世話がなくても(他人の世話によって)

              生きていけるように設計されている。

            3)核家族の極端な母子密着は危険である。

            とも記しています。

             

             

            橘玲氏の観察と発言は、とても勇気があって素晴らしい。

            でもネットではいろいろな事を書かれています。

            なぜかと言えば、橘氏は、

            「人間誰もが思っている本音を、

            いくつもの症例や統計データを挙げて論説したから」

            もちろん、本音の全てではないと思われます。

            とても遠慮がちな表現ですからwww

             

            橘氏の論説が正しかろうと間違っていようと、

            人間は本音を言うことを恐れている。

            人間は本音を言われることを恐れている。

             

            家族や親族のような親しい関係でも、

            本音を言うことは少ない。

            なぜなら、言った相手に嫌われるから。

            そして、その集団から追い出されてしまうのを恐れている。

            もちろん龍索堂の観察による私見ですwww

             

             

             

            橘玲氏は、『言ってはいけない_残酷すぎる真実(新潮新書)』

            の中で、新しく組み分けしたボーイスカウトの2組が、

            (ボーイスカウトは紳士であることを求められるのに)

            日頃以上に、激しく争った実例を挙げています。

             

            ボーイスカウトの組や班、その集合体である団という組織でも、

            結束が強いという利点と同時に、

            同じ制服を着ている他集団へ向けて、

            防御以上の虐めを行う場合があります。

             

            人間には、自分達を生き残らせるために、

            集団を守ろうとする遺伝子が強く働くため、

            その遺伝子が発動しないように、

            ボーイスカウトの高尚な信条である

            「ちかい」と「おきて」で押さえようとしているのかもしれません。

            そんなふうにも思えるんです。

             

             * * *

             

            なぜ日本人が集団を強く意識して生きているのかといえば、

            日本列島は、何万年も前から、

            火山噴火、地震、津波、台風が1年中起きている島です。

            こんな危険な列島は世界でも多くない。

            だから、大人でも集団で移動しようとするんでしょうね。

             

            みんなでトイレ、みんなでタバコ

            みんなでランチ、みんなでお酒ってヤツです。

             

            モチロン、独り者の龍索堂は、ほとんど参加しませんwww

            オイラのように、集団性の低い人は

            きっと大陸を遊牧していた記憶の方が長いのかも。

            (海洋民は一瞬で溺れ死ぬため集団結束力がとても強い)

             

             

             

            実は12月3日に、妻に誘われて

            映画「君の名は」を観てきたんです。

            妻には夏の終わりから

            “みんなが観ていて流行っているので一緒に行こう!”

            て強くせがまれていたんです。

             

            その都度テキトーに断っていましたが、

            先週の平日、久しぶりに疲れていたら、

            首から腰まで念入りにマッサージしてくれたので、

            妻の要望に応じましたwww

             

            映画の中で、隕石落下の被害を回避する

            アナウンスが始まったシーンの時、

            いきなり涙がダーッて出てきたのでビックリしました。

             

            とても映画を見ているどころじゃなかった。

            “なんだこれ?”って思って目を閉じて下を向いたら、

            何千という絶叫の声が頭の中に響いたんです。

            「逃げて〜っ」

            「生きのびて―」

            「ああ、だめだーっ」

            「逃げられないよ〜」

            「助けて〜」

            「早く逃げて〜」

            頭の中をかけめぐっている声の出どころを見ると、

            日本中から私の中へ向かってくるように思える。

            “これは昔起きた災害被災者の残留思念が届いてるんだ。

            行くあての無い思念は、今でもこの国を覆っているんだ”

            この数分間、映画の音声は絶叫の遠くにしか聞こえなかった。

             

            甘く切ないラブロマンスの映画なのに。

            この国が危険列島だという事実を改めて思い知ったんです。

             

             * * *

             

            龍索堂が分からないのは、

            <集団の中で生きて行くための遺伝子>

            それを本能として身に着ける前はどうだったんだろう?

            アダムとイブの時代のことです。

            世界中に、今ほど人類がいなかった時代、

            最少単位は家族、親族だけの時代、

            人類は集団を意識することはなかったはず。

            その時代は、集団性を持たないのが

            人間の当たり前の生き方だったんじゃないだろうか?

             

            人間が集団性を持たなければならなかった理由

            集団性というのは弱さの証明だと私は考えているんです。

             

            たまたま集団性を遺伝子の中に組み込んだから弱くなったのではなく、

            何かとても大きな天災地変のような出来事があって、

            遺伝子の中に集団性を組み込まなければ

            どうしても生き残ることができなかったんだと思うんです。

             

            弱い動物でも生き残ることはできる。

            それは集団で生きるから。

             

            1対1ならば、象は地上で最強です。

            だから虎やライオンのような肉食獣は、

            小象や病気、老齢の象を襲うことはあっても、

            象の集団に立ち向かうことは無い。

            しかし最強の象でも、1頭だけで、

            虎やライオン集団に囲まれたら生き残ることは難しい。

            地上最強の象でも、その事を知っている。

            だから、群れて過ごすんです。

             

            この象のメス集団(象集団はほとんど雌と雄の小象)たちのように、

            人間女性も(表面は仲が良くなくてもwww)

            集団を作って暮らそうとします。

            これは危険を避ける本能です。

             

            ですから、草食動物と同じように、

            他の肉食動物(や凶暴な人間)から襲われて

            部族全滅という死への恐怖から逃れるために

            人間の遺伝子は、集団でいることを選択したんでしょう。

             

            ということは、集団性の低い龍索堂は

            本能が欠損しているwww

             

             * * *

             

            現在では、集団性を持たない人間は、

            社会不適格者として矯正教育を受けます。

            騒ぐ・暴れるなど、

            集団を破壊する兆候をみせると警察が取り締まるし、

            周囲に被害があれば、すぐに医学的処置を受けさえられる。

             

            でも本当は、・・・・

            集団性を持っている人間の方が

            ミュータント(遺伝子突然変異体)で

            不適格者ではないのか?と思っているんです。

            集団性の低い龍索堂を

            みんなは白いカラスだと思っているようですが、

            龍索堂の方が黒いカラスで

            ほんとうはみんなの方が白いカラスじゃないんだろうか?

             

            A・E・ヴァン・ヴォクトが著した

            伝説のSF小説「スラン」(ハヤカワ文庫 SF 234) 1977/4

            を読んだ時にそう思ったんです。

            アルフレッド・エルトン・ヴァン・ヴォークト

             

             * * *


            集団性が高くても低くても、

            どのみち、それは生き残る為の一つの手段です。

             

            偏差値の高い大学に入る。
            大企業に就職するか他の高収入職業に就く。
            住宅ローンを組んで豪華なマイホームを買う。
            株や外貨に投資したり円を貯金する。

             

            みんなはそれらの選択肢を

            幸福になる手段だと思っているけれど、

            実は生き残る為の手段でしかないんです。

            なぜなら、それらの条件全てを満たしても

            幸福を得たり幸福を感じるわけではないから。

            (リッチな人を見ていても幸せそうに見えない人がいるのはその為です)

             

            これは、優れた社会的成功者がいて、

            それを憧れの目指すべき存在としている

            現代の社会構造とその下請け機関の教育産業。

            そんな中で暮らす私たちにとって

            不都合な現実かもしれません。www

             

            おかねが人生のすべてではないが
            有れば便利
            無いと不便です
            便利のほうがいいなあ

            ---相田みつを

             

            そんな程度と思えば良いんです。

             

            集団性が低く、人の言うことを聞かず、

            自分勝手で我儘な人間だとしても

            それほど悲観することはないんです。

             

            なぜなら天災地変の時のように、
            1人でいる人間が生き残ることもあるんですから。

             

             * * *
             

            人間は幸福を求めて生きています。

            (中には不幸を求めている人もいるけど、

            それはその人の自由ですwww)

             

            高級官僚になる生き方もあれば、ごく普通のサラリーマンもいる。
            田畑で汗を流している農業の人もいれば、

            命がけの遠洋漁業に出る人もいる。

             

            そうかと思えば、坂爪圭吾さんのような生き方もある。
            http://tutinoko310.wixsite.com/over/keigosakatsume


            社会的成功者を目指そうとしない人を、

            ドロップアウトとかニートとか言うけれど、
            (オイラも数人の友人に"ちゃんとした企業に勤めるように"と勧めたことがある)

            何万年という時間軸で見れば、

            古い時代のムラ社会を、現代の会社に置き換えただけで、
            企業集団に努めて収入を得ることは、

            ほんの100数十年前からの短い流行でしかない、と思うんです。

             

            これは勝ち組の人から見ると負け組の論理です。
            もちろんそれは分かっていますよ。

            何度も飽きるほど聞いたし、言ったこともあるからwww

             

            勝ち組の人達は"自分以下の負け組がたくさんいる"
            そう思わなければ生きて行けない、

            過酷な職場や社会に住んでいるのでしょうね。

             

            でも、先進諸国の1%の富裕層や

            容姿端麗で高収入で、精力旺盛な人達。

            彼らは本当に幸せを感じているんでしょうか?
            「オマエさんのような負け組に心配してもらう必要はない」
            って、それはそうでしょうね。www

             


            現代は、遺伝子によって学習に興味を持てなかった人

            (=努力したくてもできなかった人)は、

            その時点で、社会人になった時、

            負け組にいなくちゃならないことが決定されている。
            学歴という名の論理的知能や数学的知能による差別社会、格差社会です。


            しかしながら、橘氏も著しているように、

            学歴(論理的知能、数学的知能)優先は、
            人間が10万年以上も代々受け継いで来た遺伝子の中には組み込まれていない。

            なぜなら、それは左脳の演算処理の一部でしかないから。

             

             

            人間は善と悪の材料全てを持っています。
            また、それらのバランスを取る能力も持って生きている。

             

            物理的にいえば、

            人間は右脳と左脳の両方を持っている。
            そして、脳梁という場所でそれらをつないでバランスを取っている。

            そして、それぞれの思う手段、

            愛や知識や暴力によって幸福を求めている。

             

            左脳の機能の一部だけを優先した現代の教育産業は、

            人間の全体性が欠けて歪んでいるように私には思えるんです。
             

             

            私たちの生きている社会は、残酷な差別社会です。
            そして私たち人類の大半は、

            集団で生きて行かなければならないほど弱く劣っている。

            これは事実です。

            しかし、私たちは、何度も繰り返し天災地変が起きたこの危険列島で、
            あるいは差別社会で耐えて生き延びて来た弱者の子孫でもある。
            これもまた事実です。

             

            龍索堂の祖先たちは社会的成功者ではなかった。

            (=社会的成功者の遺伝子が欠けている)

            彼らも私も同じように、どちらかといえば負け組です。
            だから、いつも不平や不満を感じながら生きているwww

             

            けれども、私を生かしてくれた祖先達のことを思う時、
            何がなんでも生き延びてくれた祖先たちに、
            感謝の思いを差し向けたくなる。

            だから、毎朝、祖先たちに感謝の祈りを捧げるんです。
            (今日は朝寝坊して、どなたも拝んでいません)

            ご先祖様たち申し訳ございません m(_ _)m

             

            あなた達の子孫の龍索堂は、
            この社会で成り上がりの成功者と呼ばれることはないでしょう。

             

            でもね、喜んでください。
            貧しい中ですが笑顔で暮らす方法をいくつも見つけました。
            それに加えて、幸福を感じて暮らす方法もいくつも見つけました。

             

            何より多くの資産や名声や社会的地位を手に入れて、
            それを失う恐怖に怯えて暮らすことは、
            絶対にありませんから。www

             

             

            最後に、どこかの気の良いおっちゃんみたいな

            ウルグアイ前大統領ホセ・ムヒカ氏の

            メッセージを紹介して終わりにいたします。

             

             

            ムヒカさん来日記念 特設ページ | 株式会社汐文社(ちょうぶんしゃ)

             

            「世界で最も貧しい大統領」元ウルグアイのムヒカ大統領の逸話

             

             

            幸福を求める龍索堂と妻の、

            妄想と幻想の旅は

            今日も絶賛継続中ですwwww

             

             

            いつもお越しくださる方

            ときどきお越しくださる方

            お越しいただいてありがとうございます。

             

             

            映画 カサブランカの主題歌

            「アズ タイム ゴーズ バイ」

            「As Time Goes By / Dooley Wilson」

            をドゥリー ウィルソン(ピアノを弾いている黒人)と共に歌いながら、

            皆さまの身心の安寧と魂の進化を祈ります

            龍索堂拝具

             

             

             

             

             

            | 龍索堂 | 精神世界 | 18:18 | comments(0) | - | - |
            突然怒る人
            0

               

               

              皆さまは息災でお過ごしでしょうか。

              龍索堂夫妻は、大地と日月星辰の加護をいただいて、

              毎日気楽に過ごしています。(^^)v

               


              今から10年ほど昔、前の会社にいる時の話を記します。

               

              創業者会長は、ヒマになると、いつも事務所の中をウロウロして、

              人の机の上の書類を漁って、そのまま散らかすクセがあったんです。

              (部下の仕事はぜんぶ自分の責任だと思っていたんでしょうね)

               

              ある日、会長が事務所内を一回りしてから、

              私のデスクの右側にある、

              社長と常務(両方とも息子)の机の方へ向かっていった。

              "しまった、今日はいつもより少し早いな"

              と思ったのは、この後必ず振り返って話かけてくるので、

              会長の事務所巡回時間には席を外して、

              現場作業の様子を見に行っていたんです。

               

              そしたら案の定、くるっと振り返って、

              「龍索堂くん、あれどうなってる?」って聞く。

               

              『え、あれってなんですか?』と穏やかに答えると、

               

              「あれだよ、あれっ!」ってぶっきらぼうに言う。

               

              『・・・あれでは、、、分かりませんね』と答えると、

               

              「なんであれがわからないんだっ!!!」

              っていきなり怒鳴りはじめた。

              その上、気弱なオイラを仇のように睨んでる。

               

              こっちは忙しく働いているけど、

              お年寄りだから優しく相手をしてあげたのに、

              な〜んで怒鳴られなくちゃいけないんだ。

              アレッ、オイオイこのフロアーにいる15人くらいの同僚たち、

              ガヤガヤ話していたのに、シーンとなっちゃった。

              (この間約3秒ほど)

               

              そこでオイラ『アレではわかりませんっ!!!』

              って大声で怒鳴り返した。

               

              自分以上のオイラの怒鳴り声に気押されたのか、

              会長は一瞬驚きながら、

              「なにっ!!」ってまた怒鳴る。

               

              『はっきりと製品名を言ってください!!!』

              ってさらに大声で怒鳴り返したら、

               

              「う〜ん!!!(品名を思い出せない)

              もういいっ!!!」

              って怒ったまま、スタスタ会長室へ戻っちゃった。

               

               

              あ〜あ、このフロアーにいるみんな

              あっけにとられてシーン。

               

               いくら龍索堂さんでも・・・

               あの会長に怒鳴りつけるなんて・・・

               いったいなにが起こったんだ・・・

               

              後ろからチラチラとオイラを見る

              みんなの心の声が聞こえてくるけど、

              まるでお通夜みたいwww

              "そんなの関係ないね"って思いながら、

              仕事の続きをしていたら、

              それから5分ほど経って、

              総務の女性が私のところへ来た。

              「あのぉ〜龍索堂さん、、、

              会長が、、、呼んでますが・・・」

              って怯えた顔して途切れとぎれに話す。

               

              “アノヤロー!まだやる気か。

              よ〜し、リターンマッチなら受けてやるっ!”と思い

              『わかった、いまいくよ(^^)♪』

              とヤサシク答えて会長室へ向かうオイラは、

              まるで極悪人に立ち向かう夕日のガンマンのような気持ち。

               

              歩き出したら、沈黙の声がアチコチから聞こえてくる。

               

               あの怒りっぽい暴君を怒鳴りつけるなんて・・・

               ああ、いったいどうなるんだろ・・・

               無事にすむんだろうか・・・

               どうしよう、相手は老人よ・・・

               誰か止めに入った方がいいかも・・・

               会長いちばんのお気に入り龍索堂さんもこれで終わりね・・・

               

               

              平日の午後2時過ぎ、なぜか電話はひとつも鳴らない。

              みんなは荒野の中で息もせず、

              悪人に立ち向かって歩き出した龍索堂をコッソリ見ている。

               

              オイラの気分は戦闘モードだけど

              そんな声を無視していつものように、

              コンコンって会長室のドアをノックした。

               

              「はい・・」って会長の声が聞こえる

              『失礼します』と言って入る。

               

              "さぁ怒鳴り声がとんで来るか?"

              と思って極悪人を見ると、なんと笑ってる

              "あれっ?"

               

              「ああ龍索堂くん、あの社内報な、

              いつもこの時期に来るやつ。どうなってる♪」

              って言われた。

               

              "相手は戦争帰りの士官だぞ、ブラフかもしれない気を抜くな"

              と思いながら、

              『それは、現在こういう工程で、こういう作業をさせています。

              受注数は数千部と数千部で、合わせて数百万円ほどです』

              とスラスラ答えた。

               

              「そうかそうか、それが来ているならいいんだ。

              じゃあ、ガンバってくれよ♪」

              って言われた。

               

              『では仕事に戻ります、失礼いたします』

              って一礼してドアを閉めた。

              (彼は元軍人なので、きちんと礼をする人を高く評価する)

               

              自分の席に向かって通路を歩いていくと、

              事務所にいる傍観者たちは、

              みんな目を丸くして驚いたまま龍索堂を見ている。

              そしてまた、無言の声が聞こえる。

               

               龍索堂さんだいじょうぶなの?・・・

               いったい何がどうなってるんだ?・・・

               あの暴君を相手になぜ無事に帰って来れるんだ?・・・

               

              そんな声なき声を拍手喝采のように聞きながら、

              (気分は乀(^^)/凱旋パレードだったけど)

              なにごともなかったように自分の席に戻って仕事をしました。

               

              あの「夕日のガンマン」事件は

              間違いなく全社と取引先関係者に広まったね。

              だってそれから一週間ほど、

              誰も気安く話しかけて来なくなったんだよ(T_T)

               

              みんな、な〜におびえてんだよ。

              こちとら、こんなに穏やかなオジサンなのに・・・

               

              みんなは、いつも突然怒鳴りだす会長のことを暴君だと思っていた。

              “そんなことないよただのオジイサンだよ”

              って思っていたのは、

              二人の息子さんとオイラくらいだった。

              でも、大勢の人前で怒鳴りつけたのは

              オイラだけなんだなwww

               

              何十年勤めたベテラン幹部でも、

              会長に理不尽に怒られても、言う通りにしていた。

               

              自分や家族が生きて行くためにはお金が必要。

              だから、たとえ安い給料だと不満を持っていても、

              気に入らない仕事だと不満を持っていても、

              黙って従うか、

              "イヤダ!"を巧みに隠して、

              ファイティングポーズを見せながら

              『ガンバリマス』って言わなくちゃならない。

              サラリーマンが生きて行くためには、それ以外に道はないんです。

               

              その条件は龍索堂だって同じです。

              でも龍索堂が違ったのは、

              「何が何でもこの組織にしがみつこうとしない」

              「理不尽な扱いをされたら直ぐにこの仕事を辞める」

              という断固たる気持ちをいつも持っていたことです。

              (前々職の時は、いつもバッグの中に日付だけ空の退職届を入れていた)

               

              会社の従業員にとっては、最も強い切り札は「退職届」なんです。

              だから龍索堂は「退職願」を書いたことがない。

              (転職も多かったけれど、有給を消化したことは一度もなく、

              退職する最後の日までせっせと働いていた。

              おバカな底辺社員の見本のようにwww)

               

               

              最近はやっていて龍索堂夫人も毎週笑って見ている

              ぺこちゃんみたいなガッキーが出ているドラマ

              「逃げるは恥だが役に立つ」
              あのタイトルと同じです。

               

              SS型セロトニントランスポーター遺伝子を多く持つ日本人にとって、

              逃げること、逃げ足が速いのは有効なんですwww

              逃げるのは恥のように見えるけれど、実は恥なんかじゃない。

              戦う気持ちがあるのなら、

              戦時ではそれを一時撤退と言うんです。

               

               * * *

               

              前職会長のようにとつぜん怒鳴りはじめる暴君のような人には

              共通する点がいくつかあるんです。

              今日は、皆さんに、その対策を教えようと思う。

               

              まず、敵の傾向を観察する。

               

              【とつぜん大声で怒鳴りはじめる人の傾向】

              <身体的特徴>

              耳が遠い人(聴力が低い)、高血圧の人、禿頭の人(額が広い人)

              顔の幅、体の幅が左右に広い人、腰を中心に上半身・下半身が捻じれる人

              痩せていても足を組むことが多い人

               

              <精神的特徴>

              勝ち負けを好む人

               

              【とつぜん大声で怒鳴りはじめる人の対策】

              精神疾患の人を除けば、ほとんどは気が小さい人なので、危険や実害は少ない。

              いつも少しへりくだって相手を立ててあげる。

              おだてるとコチラの願い事を聞いてくれる。

               

              という事を覚えておきましょうwww

               

              龍索堂が面白いと思うのは、

              こういう人が組織の責任者になることが多いんです。

              彼らはハイリスクハイリターンを得ようとする傾向が強い

              セロトニントランスポーター遺伝子LL型の持ち主なんだろうと思っています。

               

              日本人はS型のセロトニントランスポーター遺伝子が多い
               

              【発見☆、あなたがネガティブになりやすいのは日本人独特の遺伝子のためだった!】

               

              こういう怒りやすい人は、

              整体協会創業者の野口晴哉先生による体癖分類では、

              <捻れ型7種・8種>の人です。

              - - - - - - - - - - -

              捻れ型(泌尿器型)7種・8種

              腰椎3番を中心とした捻る動きに特徴があり、勝ち負けが感受性の中心である。

              体重のかかり方が捻れていて、左足が前方に体重をかけているなら、右足は後方に体重をかけている。

               

              背骨を捻る動きがやりやすい。負けず嫌いの闘争型でつねに誰かと勝負をしている

              ただし、他人と比較されることは嫌いである。

               

              文字を書く時にはまっすぐ書くことができず、身体を斜めにして書くか、紙を斜めにして書く。

              机や椅子に対して斜めに座る人は捻れ体癖の可能性が高い。

              天の邪鬼であり、人から言われたことには無意識に反発する。

              「〜は君にやってほしいけど、無理だろうな」というような

              逆説的な言い方で挑発されるとかえって反発心が湧いて、結局言うことを聞く。

              エネルギーが鬱滞すると、後先を考えずに衝動的な行動に出てしまう傾向が強い。

              武術家、格闘家には圧倒的にこの体癖の人が多いという。

              身体を捻る動作に関連して、疲れは腎臓に出やすく、

              汗をかきにくく湿気に弱かったり、尿意を急に催したりする。

               

               

              7種はがっちり型の積極的な闘士タイプ。

              手ごたえを求め、常に表立って誰かと競争している。

              緊張感が無いと満足できず、常に言い過ぎ、やり過ぎの傾向がある。

              上半身を捻る動きが得意。

              自分より弱いものには威張るが、自分より強いものにはお辞儀をする。

              親分肌で浪花節を好む。

              負けや非を認めたがらず、謝ることが嫌いであり、

              自分が勝つまでずっとトランプなどをやったりする。

              見た夢は忘れてしまう。

               

              何かを教える場合は、「そういうことをしたら失敗するでしょう」という想像力を使う言い方

              (上下型には有効であるが)は分からずに反抗するので、

              実際にやらせてみて「ほら、駄目だったでしょう」と教えるのがよい。

              「これをやったらこれをあげる、出来なかったらあげない」という信賞必罰の指導法を受けることを好む。

              よく響く声をしているので歌手に多い。

              四肢の筋肉が発達しており、足首が太い。

              2種体癖に対して特に攻撃的であるが、9種からは上手にあしらわれこき使われる傾向がある。

              音楽では音の強弱(ボリューム感)に注力しがち。

               

               

              8種はやはり闘争型だが7種とちがって消極的である。

              外から見ると分かりにくいが、本人の中では、密かにライバルに対して闘争心を燃やしている。

              したがって他人と比較することによってその競争心を刺激すると無類の力を発揮するが、

              同僚などと比べると、相手を憎く思うことがあるため、歴史上の人物と比較するとよいという。

              下半身を捻る動きが得意。

              話を誇張してどんどん大きくする傾向がある。

              不潔・劣悪な環境に強い。

              逆境に強く、ふつうの人ができないことや

              避けようとする地味なことをあえてコツコツとやろうとするボランティア精神があるが、褒められても素直に喜べない。

              すごく変わったものが好きな人が多い。

              正義感や同情心が強く、敗者や弱者、駄目男にも惹かれ易い。

              お世辞や冗談をあまり言わない。

              水分の排出能力が弱くむくみ気味で、汗をかきにくいか、あるいは大汗かきである。

              四肢よりもお尻にボリュームがある。

               

              7種は「勝とう」と言う。 8種は「負けまい」と言う。

              7種と8種は、高潮時と低調時に入れ替わることがある。

              (↑ここ重要です)

              by ウィキペディアを部分改訂

              - - - - - - - - - - -

               

              龍索堂のように、暴君や上司を怒鳴りつけたり、怒らせても良いけれど、

              その扱い方を知らない人や、言い合いの結果をあらかじめ考えていないのなら、

              争いは止めた方がよいでしょう。

               

              勤務先の最高責任者を怒らせたのは、

              う〜ん、直接的には2回。間接的には数回、

              たったそれだけですwwww

               

              みんなが恐れている最高責任者を

              そのまま放置しておくと、

              本人の為に良くないと思ったんです。

              (誰からも怒られることのない高齢者にも、

              たまには刺激が必要ですしwww)
              ■■■

              本当に危険な人は、ふだんはとても静かな人です。

              そういう人を何度も追い詰めて怒らせてはいけません。

              (セロトニントランスポーター遺伝子LL型よりもSS型の方が本当は怖い)

               

              静かな彼らは、自分が地位や力では

              劣っていることをよく知っているので、

              狙った相手を間違いなく倒すためには、

              後ろから無言で突き進んで来るか、

              予想しない場所から攻撃を仕掛けてきます。

              (第二次大戦末期の特別攻撃隊はその典型でしょう)

               

              ふだん静かな人は、痩せて力が無くても、

              武術未経験でも本当は怖い。

              ということを覚えておきましょう。

               

              これは、逆恨みされて、ひどい目にあったことのある、

              何十回も修羅場をくぐり抜けてきたベテラン経験者から、

              傾向と対策を教えてもらいましたwww

               

               * * *

               

              怒りっぽい人の特徴9つ◇なぜあの人はすぐにイライラするのか?

               崋己愛」が強すぎる ⇔等感が強い G鮃思考 で潅綉ぜ繊´ゴ鼎笋されて育った Ε曠襯皀鵐丱薀鵐垢留洞繊´Э欲・睡眠欲・性欲という動物の三大欲求が満たされていない 怒りっぽい人が周りに多い イライラする時期とは?

              ある研究者が、「イライラする時期」を突き止めようと、主婦たちの「日記」を集めて研究しました。

              そこで見えてきた、たった一つの共通点とは…

              旦那の仕事が忙しい時期に、夫婦喧嘩が増えたということ。人間は、忙しいとイライラしがち。

              楽しいはずの「旅行」も、忙しすぎるスケジュールを組むと、ケンカが増えてしまいます。

              嬉しいはずの「結婚式の準備」も、決め事が多くなるほど、ケンカが増えてしまいます。

              「なぜか、イライラするなぁ」と感じたら、単に「忙しすぎる」ことが原因かもしれません。

              そのときこそ、生活を見直すチャンスです。

              このような「イライラしがちな人」に足りないもの…

              それはズバリ…感謝です。

               

              ???↑変な記事をみかけました。

              自分が家事や育児に多忙な母親で、

              なおかつ夫が残業や出張で帰ってこない、

              そんなひどい家庭環境にいる欲求不満の主婦。

               

              自分が家族や知人から愛されていていることよりも、

              目の前の家事を片付けなければならない時、

              客観的に自分を観察する余裕すら無い。

               

              感謝したくてもできない状況にいることが原因なのに、

              それを度外視して、自分の心に感謝を溢れさせるなんて

              それは、、、難しい要求だと思いますよwww

               

              「ありがとうと心から 言われるように 言うように」

              どこかのラジオ番組で、

              女性アナウンサーが口癖のように言っていましたが、

              忙しく動いている人に、

              「少しだけ立ち止まって、自分を振り返って見てください」

              と言っても難しいんです。

               

              だから、親族に子供を預けてのんびりと暮らす。

              お気に入り歌手のコンサートや、エステサロンへ行ってのんびり過ごす。

              日常生活を離れ、一週間ほど温泉旅行へ行って何もしない。

              「日常生活を止める」

              つまるところ、これ以外にありません。

              それができたら、自分を客観的に観察して

              きっと感謝の心を思い出すでしょう。www

               

               

              何かをしなければならない時、心も体も多忙を感じているのなら、

              「今やっていることを止めること(逃げること)」が最も大事です。

               

              人が忙しいと言うとき、

              「夜寝ている間は忙しくないから休憩できるだろ?」

              と思っている人は、終わりの見えない激務を続けたことが無い人です。

               

              仕事でも家庭でも、ほんとうに激しい日常生活を過ごしていると、

              夜の夢見の世界は休憩所ではない

              そこでは日常と同じような、激務の延長の夢を見続けるから。

               

              夢の世界でも仕事や難事に取り組んでいた多忙な人は、

              心も体の筋肉も緊張状態です。

              だから、朝起きても昨日の疲れが残ったまま。

              そして一年中スッキリとしないで、朝からアクビばかりをしています。

              肩こりや筋肉痛を抱えているので、休日も半日以上寝ています。

              そして全身の免疫能力が低下しているため風邪もひきやすい。

              これ、激務時代の私ですwww

               

               * * *

               

              最後に、有名な仏典を紹介して記事を終わります。

               

               

              心にしみる原始仏典「アングリマーラ経」

               

              アングリマーラは立ち止まって、尊師に、このように言った。
              「止まれ、沙門よ」「止まれ、沙門よ」

               

              釈尊は答えた
              「止まっているのはわたしだ、アングリマーラよ。
              だから、おまえが、止まりなさい」

               

              そこで、盗賊アングリマーラは、このように思いました。

              「釈迦族の子である、これらの沙門たちは、真実を語る者であるし、

              また、みずからも真実であると公言する者たちだ。

              だが、あの沙門は、歩いているのに、こう言ったのだ。

              『止まっているのは、わたしだ。アングリマーラよ、おまえが止まれ』と。

              ならば、わたしは、この沙門に尋ねてみよう」

              そこで、盗賊アングリマーラは、尊師に、詩によって話しかけました。

              「沙門よ、歩いているのに、おまえは、『止まっている』という。
              そして、わたしを、止まっているのに、『止まっていない』という。
              おまえに、この意味を尋ねよう、沙門よ、
              どうして、止まったのがおまえで、わたしは、止まっていないのであるか?」

               

              『止まったのは、わたしだ、アングリマーラよ、
              常にあらゆる生き物に刀杖を置いてしまった。
              だが、おまえは、命あるものたちに節制がない。
              だから、止まったのはわたしで、

              おまえは、止まっていないのだ』

               

              (かつてアングリマーラは救済を求めていて、

              "100人を殺害すれば助けられる"と指導され、

              言われた通りに99人を殺害してその指を首輪にしていた。

              釈尊は100人目で目標達成者となるはずだった)

               

              「ようやく遂に、わたしのために、
              供養されたる大仙人である沙門は、大いなる森に現れた。
              法に結びついたあなたの詩を聞いて
              わたしは、遂に、悪を捨てよう」

               

              こうして、盗賊は、刀と武具を、深い崖の淵に投げ捨てた。
              盗賊は、善く逝ける者(ブッダ)の足下にひざまずいた。
              その場で、かの人に、出家を乞うた。
              ブッダは、実に、憐れみ深い大仙人であり、神ともなる世間の教師である、
              そして、その時、かれに告げたのであった。
              「来なさい、比丘よ」と。

              この瞬間、かれは比丘になったのであった。

               

              (アングリマーラは修行の後に聖者となられた)

               

              アングリマーラの話はとてもためになるので、

              ぜひ読んでくださいね。

              −−−−−−−−−

               

              幸福を求める龍索堂と妻の、

              妄想と幻想の旅は

              今日も絶賛継続中ですwwww

               

               

              いつもお越しくださる方

              ときどきお越しくださる方

              お越しいただいてありがとうございます。

               

               

              「幸せになるため / ハイ・ファイ・セット」

              を歌いながら、皆さまの身心の安寧と進化を祈ります

               

               

               

              | 龍索堂 | 精神世界 | 17:17 | comments(0) | - | - |
              現実を後ろから見る-2(微改訂)
              0

                 

                 

                皆さまは息災でお過ごしでしょうか。

                龍索堂夫妻は、大地と日月星辰の加護をいただいて、

                毎日気楽に過ごしています。(^^)v

                 

                 

                ・・・・「現実を後ろから見る」の続きです。

                 

                 

                組織には、かならず創業時・維持発展時・廃業時があります。

                 

                創業が難しいか、維持発展が難しいか、

                あるいは廃業時や組織改革が難しいか、
                いつの時代も、どれが簡単で難しいかの議論は尽きません。

                 

                創業に活躍する人、維持発展活躍する人、

                組織改変に活躍する人、閉鎖や廃業に活躍する人、
                人それぞれによって、向き不向きがあります。

                 

                ですから、難しさの度合いは自ずから違います。

                (ここの部分を深く掘り下げると、

                さらに長くなるので、別の機会に記します)

                 

                 

                創業・維持発展・(組織改編)撤退に際して

                組織の運営者は、どうあるべきか。

                 

                このテーマを考えるとき、

                昔は多くの武将に、現代は企業経営者たちに

                【貞観政要 じょうがんせいよう】が参考にされています。

                 

                【貞観政要】
                 貞観十年(636年)唐の太宗(李世民)は側近に尋ねた。

                「帝王の事業の中で、創業と守成といずれが困難であろうか」
                 

                 宰相の房玄齢が答えた。

                「創業のために立ち上がる時は、天下は麻の如く乱れ、

                群雄が割拠し、これらの敵を降伏させ、勝ち抜いて天下を平定しました。

                その様な命がけの困難な点を思いますと創業が困難だと思います」
                 

                 重臣の魏徴は反論する。

                「帝王が創業の為に立ち上がる時は、必ず前代の衰え乱れた後を受け、

                ならず者を打ち破り、討ち平らげますので、人民は喜んで推し戴き、

                万民はこぞって命令に服します。

                帝王の地位は天が授け万民が与えたもので、創業は困難なものとは思えません。

                しかし一旦天下を手中に収めてしまえば、気持ちがゆるんで驕り気ままになります。

                人民は静かな生活を望んでいるのに役務は休まず、

                人民が食うや食わずの生活を送っていても、

                帝王の贅沢の為の仕事は休みません。

                国家が衰えて破滅するのは、常にこういう原因に依ります。

                それ故、守成の方が困難であります」
                 

                 太宗はいった。

                「房玄齢はかって私に従って戦い、九死に一生を得て今日がある。

                創業こそ困難と考えてもっともである。

                魏徴は、私と共に天下を安定させ、

                我儘や驕りが少しでも生ずれば危急存亡の道を歩む事を心配している。

                魏徴こそ守成の困難を体験したのである。

                今や、創業の困難は過去のものとなった。

                今後は汝等と共に守成の困難を、

                心して乗り越えて行かなければならない」

                 

                『帝王学「貞観政要」の読み方』山本七平

                 

                 

                平安時代から為政者の教科書として

                北条、足利、徳川氏に読み継がれた『貞観政要』は、

                唐の基礎を確立し、24年間帝位にあった太宗について書かれた書物。
                「草業(創業)と守文(維持)といずれが難きや」という問い。

                北条政子や徳川家康のように、

                一種の危機感を持って守文を考えるかどうか、

                権力を持ったとき暴君になり得るかもしれない

                という自覚をもって自らを制御できるかどうか、

                諌議大夫を置いてその言葉に謙虚に耳を傾けられるか。


                本書は、最高指導者が下す判断の在り方について記された『貞観政要』の解説。

                 

                「安きに居りて危うきを思う」
                 安泰なときや好調なときほど、将来の危機に思いを致して、いっそう気持ちを引き締めること

                 

                「率先垂範、我が身を正す」
                トップが十分な説得力を発揮するためには、

                まず、みずからの身を正さなければならない

                 

                「臣下の諫言に耳を傾ける」
                貞観政要はまさにこのやりとりをまとめたものと言っていい。

                大宗も生まれながらの名君だったわけではない。

                臣下の諫言を積極的に受入れ、彼らの批判に耐えることによって、

                みずからを大きく、たくましい人間に鍛え上げていった。

                 

                「自己コントロールに徹する」
                トップには権力が集中する。

                しかし、その権力を自分勝手に行使したのでは、

                たちまちトップ失格となる。

                大宗はそういう点でも自戒を怠らなかった。

                 

                「態度は謙虚、発言は慎重に」
                大宗は皇帝の位について間もなく、こう語っている。
                「天子たる者、謙虚さを忘れて不遜な態度をとれば、かりに正道を踏み外したとき、
                その非を指摘してくれる者など一人もおるまい。

                和足は一言述べようとするたびに、また、何ぞ行動を起こそうとするたびに、

                必ず天の意思にかなっているだろうか、
                そしてまた臣下の意向にかなっているだろうかと自戒して、慎重を期している。
                なぜなら、天はあのように高くはあるが下々のことに通じているし、

                臣下の者はまた絶えず君主の一挙一動に注目しているからである。
                だから、つとめて謙虚に振る舞いながら、私の語ること行うことが、天の意思と
                人民の意向に合致しているかどうか、反省を怠らないのである。」

                 

                帝王学というと仰々しいが、現代を生きる私たちも何かしらの点では権力者となりうる。
                子育てをしている母親も然り、教員も然り、企業経営者も然り、権力者が気をつけなければ
                ならないこととして読むと、私たちも気をつけなければならないことだと身を引き締められる思いがする。
                巻末 ―― 守屋 洋

                 

                 

                 

                「貞観政要」は、1380年前の故事です。

                大昔から、現在に至るまで、多くの人達が指導者の在り方や組織論を語ります。

                (ということは、いつの時代も、これが難しい課題だということがわかります)

                 

                組織においては、決断を下さなければならない重要事項について

                まったく相反する意見が幾つも出てきます。

                そこで、「貞観政要」はとても参考になります。


                私たちが議論を行うときには、

                常に5種類の異なる意見が出て来ます。

                 

                頭脳による論理や未来を予測した(毀誉褒貶)の意見
                感情による好き嫌いの意見
                行動による合理性(利害得失)の意見
                闘争による勝ち負けの意見
                本能による愛憎の意見

                 

                「体癖」 by wikipedia

                 

                そして1人の意見でも、その中には、

                これら5種類の内2〜3種類ほどが混ざり合っています。

                それが人数分あると、どの意見も正しいように思えて、
                結果、答えを1つに絞り込むことなど

                容易にできることではありません。

                特に、組織の存続や生死がかかっている戦闘時には。

                 

                 

                戦いに臨んで、自軍を率いて動かす際、

                選択肢は、攻める・守る・服従する(逃げる)
                この3つだけです。

                 

                自軍の指導者が敵より強いパワーを持っていて、
                高調の波に乗っている時、
                ---自軍より弱いパワーの敵を攻める時期

                 

                自軍の指導者が敵と同等のパワーを持っていて、
                平調の波に乗っている時、
                ---自軍を守る時期

                 

                自軍の指導者が敵より弱いパワーを持っていて、
                低調の波に乗っている時、
                ---自軍より強いパワーの敵に服従する(あるいは逃げる)時期


                選択肢を誤って自軍を動かすと負けます。

                軍隊を動かして敗れるということは、

                =自分と部下が共に死ぬということです。

                 

                つまり、生き残るためには、

                自軍の指導者の持つパワーの強弱と、勢いの高低
                また、周囲の敵軍指導者の持つパワーの強弱と、勢いの高低
                これらを全て計算する必要があります。

                 

                また未来の事を考える時には、
                自軍指導者の後継者となる者の持つパワーの強弱と、
                勢いの高低も知る必要があります。

                (戦争では、当代指導者、次代指導者が

                亡くなった時の補欠要員も欠かせない)

                 

                 

                彼を知りて己を知らば、百戦して殆ふからず、
                彼を知らずして己を知らば一たび勝ち一たび負く、
                彼を知らず己を知らざれば、戦ふ毎に必ず敗る

                「孫子 - 謀攻篇」にはこう記されています。

                 

                現代の多くの人は、「彼かれ」「己おのれ」を

                軍事に限って解説しています。

                しかし、孫子の生きた時代。

                運命学は天文や地理風水を含む科学のひとつだったんです。

                 

                ですから、それをふまえて謀攻篇を読むと、

                こうなります。


                敵軍の、王と将軍の運を知り、

                自軍の、王と将軍の運を知るとき、

                百戦しても負けない。

                 

                敵軍の、王と将軍の運を知らず、

                自軍の、王と将軍の運を知るとき、

                勝ったり負けたり。

                 

                敵軍の、王と将軍の運を知らず、

                自軍の、王と将軍の運を知らないとき、

                戦うたびに必ず敗ける。

                 

                 

                運期と運気のことを知らない場合、

                多くの人が指導者にとって必要だと考えるのは、

                「時機を得た適切な判断と決定」です。

                 

                貞観政要は歴史に基づく素晴らしい論書で、

                いくつかの選択肢を提案する際には役に立ちます。

                しかしそれは、組織責任者が身を律するための物、

                組織責任者が決定を下す際の判断基準の参考書以上ではない。

                と龍索堂は思っているんです。

                 

                組織存続や多数の人の生死がかかっている時、

                どの選択肢も正しいように思えますから、

                そこで決断・決定をしなければならない組織責任者にとっては、

                ギリギリのところで貞観政要は役に立たないんです。

                 

                組織責任者が重要事項を決断した後で、

                上手く行くか行かないかは、

                組織責任者以外の人にとっては、

                じつを言えばどうでもいい。www

                決定を誤ったら、組織責任者が責任を取って

                辞任するだけのことなんですから。

                 

                 

                現実を裏から見ると、

                全責任を担っている組織責任者にとって

                本当に必要なのは「強運」だけなんです。

                優秀な参謀の数多い意見ではない。

                 

                なぜなら、

                「指導者が下した決断に誤りがあるように見えても、

                (不確定な未来において)誤った決定が覆り、

                結果から見ると、誤ったように思えた決断こそが最善だった」

                ということが少なくないから。

                 

                何度も繰り返して言いますが、

                「指導者の強運(による決断)は、

                多くの部下の(正当に思える)判断基準を遥かに上回る」

                のです。

                 

                だから指導者は、
                自身の持つ運=パワーの強弱と、パワーの波動、
                これについて深く知らなければならないわけです。

                 

                どれほど大きく盤石な組織であり、
                自分を補佐してくれる優秀な参謀がたくさんいても、
                最低限、自分の運気と運期を知らない人は、

                参謀という助言者には成れても、

                最高責任者には向いていない。

                 

                 

                もし組織の頂点にいる人が、自分の運期と運気を知らなければ、

                自軍をまとめるために心血を注いで人心掌握を行い

                敵に立ち向かったとしても、
                その結果は、瞬間的な勝利しか得られないことが多いんです。

                 

                そして、やがて訪れる指導者の運期下降時に、

                敵に報復され、こんどは間違いなく壊滅させられるからです。

                 

                先回記したようにGHQは、

                有色人種で世界最強の日本人による報復をとても恐れたのでした。

                だから、自分たちが撤退した後も、

                後々、欧米諸国へ報復させない為に

                日本人によって日本人を洗脳して、

                プレスコードを埋め込んだのでした。

                 

                これは、日本隷属化という戦略の為の素晴らしい戦術システムです。

                なぜなら、ガンと同じように、

                良性細胞の占める場所を、自動的に悪性に変えて行くのですから。

                (このシステムを企図した人は、

                日本人の習性をとてもよく理解していて実に頭脳明晰です。

                でも、その当人ですら、このシステム成功に驚いたんじゃないかと思うんです)

                 

                この洗脳政策を裏から見ると、

                (天皇陛下の名のもとに、首相や政府の名のもとに)

                日本中が統一することを恐れています。

                そして、近代戦争の歴史や、国際政治について意見を言わせない。

                具体的には、日本人の分断、分離を仕組んでいます。

                そこで使われる言葉は、

                「個人の自由の尊重」とか「多様性の重視」とかの文言が選ばれる。

                なんか最近もよく聞く言葉ですねwww

                 

                - - - - - - −

                削除および発行禁止対象のカテゴリー(30項目)
                この「削除と発行禁止のカテゴリーに関する解説」において

                次のような具体的な検閲の対象カテゴリーが30項目も規定されていた。

                検閲では以下に該当しているか否かが調べられた。

                 

                SCAP(連合国軍最高司令官もしくは総司令部)に対する批判、極東国際軍事裁判批判、GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判、検閲制度への言及、アメリカ合衆国への批判、ロシア(ソ連邦)への批判、英国への批判、朝鮮人への批判、中国への批判、その他の連合国への批判、連合国一般への批判(国を特定しなくとも)、満州における日本人取り扱いについての批判、連合国の戦前の政策に対する批判、第三次世界大戦への言及、冷戦に関する言及、戦争擁護の宣伝、神国日本の宣伝、軍国主義の宣伝、ナショナリズムの宣伝、大東亜共栄圏の宣伝、その他の宣伝戦争犯罪人の正当化および擁護、占領軍兵士と日本女性との交渉、闇市の状況、占領軍軍隊に対する批判、飢餓の誇張、暴力と不穏の行動の煽動、虚偽の報道、GHQまたは地方軍政部に対する不適切な言及、解禁されていない報道の公表

                - - - - - - −

                 

                GHQによるプレスコードを避けて

                ニュース、コマーシャル以外のテレビ番組を作ろうとすると

                どうなると思います?

                そうです、スポーツやバラエティー番組です。

                それから、お笑い、歌、グルメ、クイズ、ドラマ。

                これらの内容しか流さないのが、

                現代日本のテレビ番組なんですねwww

                (龍索堂は、制作現場にいる技術者の皆さんをとても尊敬しています)

                 

                 

                話が逸れました。

                 

                龍索堂が言うような運期や運気、

                運命学のような非論理的でオカルトの判断は、
                科学的に検証できないため参考にならない。
                と多くの知識人が思っています。

                 

                運命学を学ぶまでの龍索堂も

                そんなの大っ嫌いでしたからwww

                 

                でも、生年月日をもとにして、

                素晴らしい能力を発揮した偉人や賢人たちの

                生涯のデータをコンピュータに記録すれば・・・

                それは立派な統計科学になります。

                 

                これから、そう遠くない時期に、優秀な誰かが、

                このデータ編集に取り組んでくれるでしょうwww

                 

                 

                 * * *

                 

                ここまで記してきてから言うのもなんですが、

                普通の人にとって、組織論や責任者の心労や、

                テレビ番組を後ろから見るなんて、どうでも良いことでした。

                 

                ここからは普通の人向けの記事にします。www

                 

                 

                龍索堂は幼い頃から、

                『学習できない人、不真面目に取り組んでいる人、
                そんな人が、学習している人や、
                まじめに取り組んでいる人より高い評価を受ける。
                この世界・社会は、じつに不公平きわまりないな』

                と思っていました。

                 

                しかし、ある時、ふと気づいたんです。
                この世界は、人間が0から作り出した物ではない。

                ということは、人間が後から作り出した

                公平・不公平、倫理・不倫の基準で回っているんじゃない。
                そんな人間の論理や倫理をはるかに超えた存在の作った世界なんだと。

                 

                そこへ強引に人間の作った法律や論理や倫理を持ち込んでも、

                世界が解明できるわけじゃない。

                また、地球そのものを支配できるわけでもない。


                だから、
                利口でも、貧乏な暮らしをする人がいる
                愚鈍でも、裕福な暮らしをする人がいる
                優秀な学業成績や社会での実績を誇っても、幸福でない人がいる。
                劣等な学業成績や社会での実績を誇れなくても、幸福な人がいる。
                ひたすら努力しても、目的を達成できない人がいる。
                たいした努力もしないのに、目的を達成する人がいる。

                 

                どれが楽だと思います?

                 

                龍索堂は、学業においても社会においても、
                たいした努力もしないで気楽に幸福な一生を過ごす方が良いwww
                と思っています。

                 

                死に物狂いの努力や血まみれの努力なんて、
                それが好きな性向ならば別ですがwww
                じっさいには、美徳でもなんでもない。

                 

                強運さえあれば、それで良い。

                 

                学歴も、社会実績も、資産も、美しい異性も、

                強運に勝る物は何一つないんです。

                 

                 

                これを読んで、

                「自分は、指導者に必要な強運どころか

                普通の人の能力や好運すら持っていない」

                と悩む必要はありません。

                 

                素晴らしい能力も、

                信じられないような強運も、

                自分が新たに創り出せば良いんです。

                 

                誰でもいいので、創業者たちの伝記を読んでみてください。

                彼らは、何もないところから(多くの場合マイナスから)、

                それまでには無かった、まったく新しいモノを創り出しました。

                 

                新しい夢の実現には少し時間がかかります。

                なぜなら、古い夢(かつて自分が望んだ新しい夢)を

                周囲とのバランスをとりながら、緩やかに崩壊させつつ、

                同時進行で新しい夢を夢を創造するのですから。

                 

                人間は誰もが、何もないところから

                新しい夢を見て、形・物質を作り出す能力を持っている

                これは事実なんです。

                 

                これについては以前に何度も記しましたが、

                もう少し夢の修行をしてから、

                書き直して記すつもりですwww

                 

                 * * *

                 

                この時期、越冬の為に、

                大陸から日本海を越えて

                多くの鶴や白鳥たちが飛んできます。

                 

                 

                 

                 

                 

                あの渡り鳥たちは、
                過度に力んで飛んでいるわけじゃない。

                 

                もし無理をして空を飛び続けたなら、

                直ぐに力尽きて死んでしまいます。

                 

                 

                「頑張っている姿は美しい」と思います。

                しかし、傍目には頑張っているように見えても、
                よくよく見ていると、当人は力を入れ過ぎてはいない。

                 

                必要なだけ、必要な場所に、力を込めている。

                適当(当まさに適した)な運動であることが多いんです。

                 

                 

                頑張っているように見える瞬間の姿は驚くほど美しい。

                 

                けれども、風に乗りながら、
                力を抜いて滑空する姿は、
                それ以上に美しいと思うんです。

                 

                 

                頑張っている貴方、

                無理している貴方、

                はつらつと運動している貴方、

                 

                心と体が疲れた時の声を聴いたなら、

                昔の龍索堂のように、それを無視しないでください。

                 

                現実の自分を後ろから見てください。

                 

                何が見えます?

                溌剌と運動している姿でしょうか、

                それともくたびれている姿でしょうか、

                 

                もし、後ろから見た自分の姿が、

                “頑張りすぎて疲れているな”と思ったのなら、

                適度に休憩しましょう。www

                 


                「現実を後ろから見る」はこれで終わりです。

                 

                 

                幸福を求める龍索堂と妻の、
                妄想と幻想の旅は
                今日も絶賛継続中です。


                いつもお越しくださる方
                ときどきお越しくださる方
                お越しいただいてありがとうございます。


                 

                龍索堂 思い出の映画「スター誕生」主題歌♪
                Evergreen, Barbra Streisand and Kris Kristofferson

                Full HD Widescreen, A star is born 1976
                エバー グリーンを歌いながら、

                皆さまの身心の安寧と進化を祈ります。
                龍索堂拝具

                 

                 

                 

                 

                 

                | 龍索堂 | ビジネス | 17:17 | comments(0) | - | - |
                現実を後ろから見る
                0

                   

                   

                  皆さまは息災でお過ごしでしょうか。

                  龍索堂夫妻は、大地と日月星辰の加護をいただいて、

                  毎日気楽に過ごしています。(^^)v

                   

                   

                  今日は、難しい話ではなく、お茶飲み話にいたします。

                  いつものように長くなるかもしれませんがwww

                   

                   * * *

                   

                  11月に入った時、仕事が終わって家に帰ったら、妻が聞いてきました。

                  「ねぇ、今度の大統領選はどちらが勝つの?」って。

                   

                  『う〜ん、あんまり興味がないな。ヒラリーじゃないのかな』

                  ってテキトーに答えた。

                   

                  「じゃぁ、トランプの命式は?」って妻は言う。

                   

                  『あんまり興味がないので見ていないよ』と答えると、妻の顔色が少し曇った。

                   

                  『分かった。わかったから、すぐ見てみるよ。

                  でも、すぐに見れる九星だよ』って答えた。

                  (妻は四柱推命は分からないので、説明が長くなるから)

                   

                  「そう?いそがしいのに、わるいわね♪」

                   

                  『でもオマエさん、興味なかったんじゃないの?』

                   

                  「だって、毎日テレビのニュースで、どっちが勝つかってみんなウルサイのよ」

                   

                  『ふ〜ん』

                   

                  で、見ました。

                  ヒラリー・クリントン 1947年10月26日生まれ

                  本命星:八白土星、月命星:四緑木星、日命星:四緑木星

                  来年〜再々来年は、坎宮⇒坤宮⇒震宮

                  (大凶・中吉・大凶)で、

                  八白土星は良くない時期

                   

                  ドナルド・トランプ 1946年6月14日生まれ

                  本命星:九紫火星 月命星:一白水星 日命星:五黄土星

                  ドナルド・トランプ次期アメリカ大統領の運期は、

                  今年〜再来年は、坤宮⇒震宮⇒巽宮

                  (大吉・大吉・大吉)で、

                  九紫火星は一番良い時期

                   

                  『九星の星廻りを見ると、

                  ドナルド・トランプは、ヒラリー・クリントンよりも、

                  一年早く運期が上向く波に乗っている。

                  でも、ドナルド・トランプは、本命星:九紫火星で中年運、

                  すでに運期の頂点を過ぎている。

                  ヒラリー・クリントンは八白土星で晩年運、

                  ということは、善戦しても最後は僅差で

                  ヒラリー・クリントンが勝つと思うな〜。

                  でも分かんないよ。おいらオバマ大統領も外したしねwww』

                  と妻に言いました。

                   

                  そして大統領選の結果はドナルド・トランプ勝利でしたから、

                  本命星通りで、ちょっとビックリでした。

                   

                  大統領選の日に、自宅へ帰ったら、

                  「トランプが勝ったわね♪」って妻が自慢げに言う。

                  (オイラが外したのがうれしいみたい・・・)

                   

                  『うん、あまりにも単純な予想通りでビックリだよ。

                  運期の頂点を過ぎても勢いを持つ人というのは、

                  きっとどこかで多くの人を助けているんだろうね。

                  それを傍目から見るのは難しいなー』

                   

                  「そうなんだ〜」

                   

                  『荒れた発言、誇大な言い方をしているドナルド・トランプ氏だけど、

                  本命星を見るとヒラリー・クリントンよりも行動力がありデリケートで上品だよ。

                  ということは、見た目はヒール(プロレスの悪役)だけど、

                  あれは間違いなく意図的に作っているねwww

                  ほら、この若い時の写真を見て、シャイで神経質なイケメンだ』

                   

                   

                  「あらそうね、良い男じゃないの」

                   

                   

                  数日後に、妻からまた聞かれました。

                  「トランプに変ると日本はどうなるの?」

                   

                  『どうしてそう思うんだい?』

                   

                  「だってテレビで、日本への悪影響ばかりを言うんだもの」

                   

                  『あのね、アメリカ大統領選は、

                  悪口を言い合うバラエティーショーか、

                  お祭りだと思えば良いんだよ。www

                  そこで演台に上る人は、エンターテイナーさ。

                  それにマスメディアが言うほど、

                  トランプの対日本政策への悪影響はないと思うな』

                   

                  「そうなの?」

                   

                  『選挙前に、テレビのニュースでドナルド・トランプの過去の実績を言った?』

                   

                  「ぜんぜん聞いてないわ」

                   

                  『暴言や失言などのネガティブキャンペーンばかりだったでしょ?』

                   

                  「そう」

                   

                  『じゃぁ、今のオバマ大統領はチェンジって言ったけど、

                  彼が大統領になってから、何が変わったかをマスコミは言った?』

                   

                  「わかんない・・・」

                   

                  『オバマ大統領は、

                  (1)リーマン・ショックの低迷から米国経済を回復させた。

                  (2)アジアを重視した戦略。

                  (3)国連気候変動枠組み条約の第21回締約国会議(COP21)の「パリ協定」採択。

                  (4)TPPの大筋合意。

                  (5)医療保険制度改革。

                  (6)キューバとの国交正常化などがあるけど・・・』

                   

                  「テレビではそんなことを言わないわ」

                   

                  『そうだねぇ。それと同じように、

                  日本への悪影響を言ってるのはドナルド・トランプじゃなくて、

                  むしろ、選挙前にドナルド・トランプの政策について、

                  詳しく流さなかった日本のマスメディアの方だと思うな』

                   

                  「じゃあ、沖縄米軍基地問題は?」

                   

                  『日本に駐留している米軍の負担増額を要請して、

                  在日米軍を撤退する件だよね。

                  “自国の軍事防衛は自分でしようね”

                  ってことなんだから、良いことじゃないか。

                  みんな幼稚園で教わったよね。

                  “自分のことは自分でしなさい”ってwww』

                   

                  「そうねwww」

                   

                  『それに、どちらが大統領になっても、彼らは裏で手をつないでいるんだ。

                  本当は仲良しなのさ。

                   

                   

                  それに彼らの後ろにいる、軍産複合体もFRBも不滅だから、

                  アメリカにとっては、どちらが大統領になっても問題ないんだろうねwww

                   

                  1790年にマイヤー・ロスチャイルドは、

                  私に一国の通貨の発行権と管理権を与えよ。

                  そうすれば、誰が法律を作ろうと

                  (=立法責任者は大統領)、そんなことはどうでも良い

                  "Let me issue and control a nation’s money and I care not who writes the laws"

                  Mayer Amschel Rothschild (1744 - 1812)

                  と発言したそうだよ』

                   

                  「そうなんだ・・・」

                   

                  『オマエさんは、いつもテレビのニュース報道をそのまま鵜呑みする。

                  日本中がそんな人ばかりだから、マスメディアは喜んでいるね。

                  よく聞いていると分かるんだけど、

                  テレビのニュース報道は、事故や災害だけでなく、

                  いつも聞く人が不安になるような言葉ばかりを使う。

                  それは、何度も見てもらいたい(視聴率を上げたい)

                  洗脳操作じゃないかと思っているんだ。

                  いや、素直に聞く人を責めているんじゃなくて、

                  そこで流される言葉

                  ニュース記事を書いている人の「意図」

                  を考えた方が良いと思うんだよ』

                   

                  「・・・」

                   

                  『それに、日本のテレビニュース報道は、

                  どこのテレビ局も、ほとんと同じ事を言ってるでしょ?

                  おかしいと思わないかい?

                  それは、この国には報道の自由が無いって証明なんだよ。

                  どこかの誰かが作った一つの記事を、

                  各局が少しアレンジして流しているだけ。www

                  自由報道がないという点で、

                  日本は東アジアの独裁国家を笑うことなんてできないよ』

                   

                  「・・・・じゃぁ、どうしてそんなふうになっちゃったの?」

                   

                  『あー、まだGHQのプレスコード(言論統制)が生き残っているんだろうね』

                   

                  「だって、戦後70年もたつのよ?」

                   

                  『そう。GHQがいなくなったのに、言論統制は今でも続いているんだ。

                  戦後の占領下で、GHQの命令によって国家の中枢にいた

                  20万人以上の日本人が、戦争協力者という名前で公職から追放された。

                  そして「欧米に対して戦争をした日本は悪と思う人」や

                  「欧米に対して戦争をした日本は悪と言う人」人たちが、

                  公務員・教職員・報道関係者になった。

                  つまり、欧米には絶対に敵対しない政策が、

                  この国の正義とお金儲けの道具になったんだね。

                  (最近は加盟員が減って困っているみたいだけど、

                  龍索堂は共産主義も、社会民主主義も応援していますから、

                  後期高齢者のみなさんも、頑張ってくださいねwww)

                  ほんとに笑えてくるほど不思議な国だよね。

                  だって、日本を貶める政策を意図して仕事をしている人たちが、

                  スポーツ国際大会で喜んで日本国旗を振る人たちを集めて、

                  お客さんとしてお金を稼いでいるんだよ。www』

                   

                  「・・・・」

                   

                  『もっとおかしいのは、少し前に、

                  知識人と呼ばれ、反日本を思ったり、

                  反日本を言っていた人たちが、

                  年を取ったら、皇室の祖先神を祀る伊勢神宮へ喜んでお参りしている。

                  きっと、皇祖皇大神も笑っていらっしゃると思うなwww』

                   

                   * * *

                   

                  お茶のみ話が逸れました。

                  今回は組織論を書こうと思っていたんです。www

                   

                   

                  組織の創立には、織田信長に倣い

                  組織の改革には、豊臣秀吉に倣い

                  組織の維持には、徳川家康に倣う

                   

                  組織運営や、組織指導者の在り方を考えるとき、

                  私たち愛知県人はとても恵まれています。

                  激動の戦国時代、安土桃山〜江戸時代を生きた、

                  地元出身の英傑たちが天下を取ったから。

                   

                  彼らをまとめて顕彰したのが名古屋まつり、

                  このメインイベントは織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の英傑行列です。

                   

                   

                   

                   

                  龍索堂は、現在日本のコスプレブームに火をつけたのが、

                  60年前に始まった名古屋まつりだと思っているんです。

                   

                  1955年(昭和30年)に「名古屋商工まつり」として第1回が開催された。当時としては全国では珍しい商業祭であった。当初から名古屋市電を利用した花電車が運行され、1973年(昭和48年)の全線廃止まで続いた。また、1966年(昭和41年)の第12回には花バスが初めて登場し、2005年(平成17年)まで運行されていた。

                  祭り最大の見せ場である郷土英傑行列では、それぞれ愛知県出身者の織田信長・豊臣秀吉・徳川家康らに扮した名士らが名古屋駅から名古屋城までパレードを行う。(*現在はルートが異なります)

                  三英傑は一般より公募され、このうち信長については馬に跨る事ができる者が条件となっている。また、三英傑に随伴する三姫(濃姫・ねね〈以前は淀殿〉・千姫)は名古屋市内の各デパートの女子店員から選出される事になっている。三英傑を経験した者の集まりである「英傑会」も組織されている。

                  なお、戦前まで行われていた名古屋東照宮の例祭(東照宮祭)も一般に「名古屋祭」と呼ばれており、現在の名古屋まつりで行われる山車揃いはその流れを汲んだものである。

                  by ウィキペディア

                   

                  昭和30年というのは、1945年(昭和20年)8月15日の第二次世界大戦敗戦から10年、

                  サンフランシスコ平和条約調印から3年。

                  日本人は太平洋戦争と敗戦後の荒廃時期から、ようやくぬけでたと実感できた頃。

                  名古屋の企業人たちは、昔からある名古屋東照宮例祭のようなお祭りを始めることで、

                  市内の商業活性を進めたんでしょうね。

                  (もちろん自分は生まれていません)

                   

                   

                  龍索堂は、昭和49年まで名古屋市内を走っていた路面電車が大好きでした。

                   

                   

                  名古屋まつりが近づくとこの路面電車に花で飾られた花電車になった。

                  それを見ると、

                  “ああ、また今年も秋になって名古屋祭りの時期だな”

                  って子供心に思ったんです。

                   

                  若い人たちが集まる

                  「にっぽんど真ん中祭り」や「世界コスプレサミット」で賑わう現在と違って

                  イベントそのものが少ない時代でしたから、

                  名古屋祭りはとても賑やかで活気がありました。

                  とうぜん行列の沿道はすごい人混みでした。

                  チビッコの龍索堂は、大人たちの前には行けないので、

                  英傑行列をゆっくりと見た記憶がないんです(TT)

                   

                  「にっぽんど真ん中祭り」

                   

                   

                  「世界コスプレサミット」

                   

                   

                   

                  それからオリエンタル中村(現在の名古屋三越栄店)の屋上へ行って、

                  観覧車に乗ったり、ペットショップの動物を見るのが好きでした。

                   

                  現在は、毎年ボーイスカウトの沿道警備奉仕に出るので

                  最前列で見ることができますwww

                  (2016年は10月15日、16日でした)

                   

                   

                  それにしても、近年は沿道の観客が減り、高齢者が増え、

                  外国人が増えたのを見ると、

                  時代はとても大きく変わったんだなと思います。

                   

                   * * *

                   

                  そうそう、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の話でした。

                   

                  彼らの歴史的評価は英雄から、たんなる殺人者まで、

                  いろいろ尽きませんが、

                  天子様の居られる京の都を武力制圧して、

                  将軍として天下に号令をかけることで、

                  長く続いた戦国時代を終わらせようとした人

                  に違いありません。

                   

                   

                  明治維新が語られる時は、江戸末期の幕府の混乱、

                  新撰組、薩摩、長州、土佐、会津の話が多く、

                  この地方の事を語る人はほとんどいません。

                  先回記した美濃高須藩(尾張藩支藩)の高須四兄弟は、

                  幕末から明治にかけての有名人ですが、

                  地元の人でも知らない人が多くて、

                  一般にはほとんどなじみがありませんねwww

                   

                  でも、戦国時代の話になると、

                  愛知県では、たいていこの三英傑の話になります。

                   

                  龍索堂が、名古屋で三英傑の評判を聞いた中では、

                  最も人気が高いのが織田信長でした。

                  それに次いで豊臣秀吉。(みなさん地元ヒイキですね)

                  三河の知人でも、徳川家康を自慢した人はそれほど多くはなかった。

                   

                  昔から商業が発展した尾張と、田畑が多い三河では

                  人の気風もずいぶん違います。

                  尾張から三河を見ると田舎、三河から尾張を見ると派手過ぎ。

                  昔は国が分かれていたため、それほど交流は多くなかった。

                   

                  けれども今は、名古屋―三河間は通勤距離で人の交流も多いからでしょうか。

                  三河人でも、織田信長の改革を高く評価する人は多い。

                   

                   

                  デアズコティーニジャパンの「戦国武将データファイル」によると戦績は

                  織田信長 68戦49勝15敗4分

                  豊臣秀吉 53戦45勝3敗5分

                  徳川家康 51戦31勝13敗7分

                  とされています。

                  いずれも50勝を越えているところが面白いwww

                   

                  「織田信長・全合戦一覧表」

                  によれば、織田信長は一族内の抗争や防御を含めて、

                  44年間の戦争で合計123回戦って、

                  失敗、撤退、和睦、引分が20回、

                  本能寺の最期を含めて18回の敗北、

                  78回の勝利、63%の勝率ですので、

                  織田信長はやはり強かった。

                   

                  いっぽう徳川家康は、

                  当時、日本最強だった武田軍や、織田軍には勝てなかった。

                  関ヶ原の戦いでも、西軍の諸将の寝返りが無ければ

                  おそらく勝てなかった。

                  また、大阪城の豊臣軍を攻めきれず、

                  外堀と内堀を埋めることで、やっと壊滅できた。

                  つまり、徳川家康には武将として

                  戦争上手のイメージが無いんですね。

                   

                  大阪城攻略も、素敵でカッコイイ攻め方じゃなかった。

                  けれども、最後は智謀知略で徳川軍が勝つんです。

                  戦争は戦場だけで行われるのではない見本でしょう。

                   

                  ところで織田信長は、なぜ人気が高いのか。

                  『新約織田信長』を読むと、

                   

                   

                  破天荒だった、伝説的な勝利がある、人を見る目があった、

                  戦略があった、ビジョンを掲げた、経済に対して敏感だった、

                  オシャレだった、スケールが大きかった、

                  小さな軍勢から日本の中央を手中に収めた。などと記してあります。

                   

                  ちょっと違いますね。

                  (1)一年中戦える軍人による軍隊を作った。

                  (2)家柄よりも個人の才能を重視した。

                  (3)軍事の為に経済を重視して金儲けをした。

                  (4)新しい文化、価値観を創造して茶の湯を普及した。

                   

                   

                  戦国時代においては、藤原氏、源氏、平氏など、

                  天皇家につながる血縁の名門であっても生き残れるどうかは誰も分からない。

                  ひとたび近隣諸国との戦争が起こって選択を間違えれば、

                  家臣や一族、部下にすら殺されるかもしれない下剋上の時代でも、

                  多くの武将たちは、父祖以来の家柄を重視していた。

                   

                  その中で、本当の意味で才能ある部下を引き立てたのは、

                  織田信長だけです。

                  これだけをとってみても、

                  織田信長は組織の長として優秀だったことが分かります。

                   

                  『信長−近代日本の曙と資本主義の精神−』

                  小室 直樹 (著)

                   

                   

                   * * *

                   

                  それでは、九星術から3人の英傑を見てみましょう。

                   

                  織田信長 1534年6月23日生

                  本命星:七赤金星、月命星:四緑木星、日命(内面):八白土星

                   

                  豊臣秀吉 1537年3月17日生

                  本命星:四緑木星、月命星:七赤金星、日命(内面):二黒土星

                   

                  徳川家康 1543年1月31日生(2月4日以前なので前年の干支)

                  本命星:八白土星、月命星:九紫火星、日命(内面):四緑木星

                   

                  やっぱり、七赤金星の織田信長は派手に見えます。

                  (でも内面は堅実で、心底は依怙地なコツコツ型なんですね)

                   

                  次いで、四緑木星の豊臣秀吉は以外ですが堅実です。

                  (でも内面は派手好きで、心底には母性もある)

                   

                  最後、八白土星の徳川家康は地味で依怙地です。

                  (でも内面は意外に明るくて、心底は堅実です)

                   

                  な〜んだ、外面はあんがい世間の多くの人が持つイメージ通りです。www

                   

                  面白いのは、織田信長と豊臣秀吉の関係は、

                  年と月で逆になるけれど同じ星を持っていること。

                  そして、日命が八白と二黒と異なるけれど同じ土星ということ。

                   

                  織田信長と豊臣秀吉は、表面的に全く異なるけれど、

                  全体的に同じ星の組み合わせなので、

                  普通の人以上に、分かりあっていた仲なんだろう

                  と思えます。

                   

                   


                  ・・・・・長くなりましたので、続きます。

                   

                  幸福を求める龍索堂と妻の、

                  妄想と幻想の旅は

                  今日も絶賛継続中ですwwww

                   

                   

                  いつもお越しくださる方

                  ときどきお越しくださる方

                  お越しいただいてありがとうございます。

                   

                  ふと思い出したwww

                  「桃井かおり / バイバイ子守唄」

                  を歌いながら、皆さまの身心の安寧と進化を祈ります

                  龍索堂拝具

                   

                   

                   

                   

                  | 龍索堂 | ビジネス | 17:37 | comments(0) | - | - |
                  現実に降伏する
                  0

                     

                     

                     

                    皆さまは息災でお過ごしでしょうか。

                    龍索堂夫妻は、大地と日月星辰の加護をいただいて、

                    毎日気楽に過ごしています。(^^)v

                     

                     

                    今回は、なんだかよく分からない話をやめて、www

                    「名古屋祭り」や、

                    「三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)の行った組織論」

                    を織り交ぜながら記そうと思いつつ、

                    記事を半分ほど書いたところで、

                    ぜんぜん違うメッセージが届きました。

                     

                    それは、「現実に降伏する」でした。

                     

                    「降伏」は、少し前にドン・ミゲル・ルイスで反復学習しました。

                    もっと前には、インドの聖者たちの伝記で「明け渡し」を学びました。

                    現在の龍索堂のテーマは「愛」なんですけど・・・

                    なぜ、テーマと違うメッセージが届くんでしょう??

                    どこかの誰かが、

                    龍索堂の長くて分かりにくい個人的な偏見を

                    聞きたがっているんでしょうかwww

                     

                    まったく意味が分かりません。


                    『分かりました。またみんなと一緒に復習しましょう』

                     

                    どなたがメッセージを下さるのかいまだに知りませんが、

                    もっと、早めにお便りをくださいね(TT)

                     

                    -----------------------

                     

                    ということで、まず降伏の意味をおさらいしましょう。

                     

                    【降伏 ごうぶく】

                    仏・菩薩・明王・天の法力(ほうりき:超能力)によって、魔や敵を押さえ、鎮め、排除すること。

                    【降伏・降服 こうふく(する)】

                    敵に対して自ら敗れたことを認め、敵に従うこと。

                     

                    分かります?降伏には、

                    敵を降伏させる、

                    敵から降伏させられる

                    の2つの使い方があります。

                     

                    難敵を無理やり押さえつけたり、取り除くなんて、

                    実に物騒な話ですが、これ仏教用語なんです。

                     

                    仏教では「調伏 ちょうぶく」ともいいます。

                    反対の言葉は「摂受 しょうじゅ」です。

                     

                    【調伏 ちょうぶく】

                    「調和制伏(ちょうわせいふく)」という意味の仏教用語の略で、 内には己の心身を制し修め、外からの難敵や悪魔を教化して、仏道成就に至る障害を取り除くこと。及びそのための修法。

                    サンスクリット語のアビチャールカ(abhicraka/阿毘遮迦)の意訳で、単に降伏(ごうぶく)ともいう。

                    密教では、不動明王・降三世明王・軍荼利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王といった忿怒相の五大明王などを本尊として護摩法を修する。

                     

                    【摂受 しょうじゅ】

                    「摂引容受(しょういんようじゅ)」の略語。心を寛大にして相手やその間違いを即座に否定せず反発せず受け入れ、穏やかに説得することをいう。折伏しゃくぶくに対する反対語。

                     

                    ウィキペディアを部分改訂

                     

                     

                    [1]釈尊は、バラモン教にあった、おどろおどろしい供犠や呪詛や秘密の教えを取り除いて、

                    仏道成就に至るためのシンプルな教えと方法だけを弘めた。

                     

                    [2]後世の仏教徒は、(自分たちが元々持っていた)

                    釈尊の教えとは関係のないバラモン教の教えや神々を仏教に融合して行った。

                    (バラモン教は仏教を取り入れて進化し、現代のヒンドゥー教となる)

                     

                    [3]両者はあまりにも近づき過ぎた為、イスラム勢力の侵攻の頃に仏教は消えてしまった。

                     

                    [4]現代のインド仏教は、100年ほど前に再び始まった新しい運動。

                     

                    インド仏教史を4行で記してみましたwwww

                     

                     

                    われわれ日本人の多くが知っている仏教というのは、

                    インドから直接東南アジアに伝わった上座部仏教ではなく、

                    [2]の大乗仏教を漢字に翻訳した中国式仏教の、

                    更に日本神道を取り込んで変形した日本仏教なんです。

                     

                    古代インドの仏弟子たちは、

                    バラモン教徒から転向してくる信徒や、

                    移り変わる社会情勢に応じて、

                    バラモン教(後にはヒンドゥー教)の儀礼を取り込んでいった。

                    ⇒大乗仏教、後期密教

                    その変化の目的は「仏陀の教えを残すため」だったはずで、

                    いたしかたのない選択の結果だったと思えます。

                    (バラモン教は仏教の影響を受け、

                    論理体系をどんどん進化させてヒンドゥー教を確立していったから)

                     

                     

                    降伏・調伏・折伏の言葉が使われる前提には「敵対抗争」があります。

                    つまり、敵との戦争・抗争状態ということです。

                    仏典によると、シャカ族が隣のコーサラ国から滅ぼされてしまったように、

                    古代インド人も、常に戦争や抗争に明け暮れていたのです。

                     

                    お釈迦様が用いられたのは対機説法=摂引容受で、

                    降伏、調伏、折伏は使われませんでした。

                    (第三者に神通力を見せたこともありますがとても少ない)

                    しかし「修行による成果(6種類の神通力)を得ていない

                    後世の弟子たちは、調伏や折伏しか使えなかった」

                    と龍索堂は考えています。

                     

                     

                    ・・・降伏にもどります。

                     

                    抗争には2種類の争い方があります。

                    肉体的抗争と精神的抗争です。

                     

                    肉体的抗争は武力抗争、

                    精神的抗争とは、呪詛のことです。

                     

                    昔も今も、世界中の人間が軍事兵器や呪詛を捨てられないのは、

                    抗争の世界にいるからなんです。

                    現代日本は、70年間、たまたま、戦争に巻き込まれていないだけで、

                    私たちは絶え間ない戦争状態の世界に住んでいる。

                    これは否定できない事実です。

                     

                     

                    武力では敵わない政敵や難敵がいた場合、

                    自分たちが生き残るために、敵をどうしても倒したいと願う時、

                    あなたならどうしますか?

                     

                    武力では敵わない場合、

                    政敵や難敵の、精神的壊滅を祈ったんです。

                     

                    ヒンドゥー教には古代バラモン教から続く呪詛がありました。

                    もちろん古代中国にも日本にもあります。

                    僧侶、祈祷師、呪術師という宗教者たちが、呪詛を受け持ったんです。

                    現代日本の僧侶は基本的に呪詛は行いません。

                    0ではないけれどwww

                     

                    * * *

                     

                    ここまでが前置きです。

                     

                    龍索堂に降りてきたメッセージの

                    現実に降伏するというのは、

                    現実に起きること、現実そのものを難敵と思う

                    自分がいる状況をさしています。

                     

                     

                    人間が敵対するときは2つの状況があります。

                     

                    敵に勝てる・敵から逃げられると思う⇒抵抗する

                    敵に負ける・敵から逃げられないと思う⇒降伏する

                     

                     

                    格闘技シロウトの龍索堂は、最近「愛魂柔術」を学んでいますが、

                    柔術・柔道の組手が苦手でして、

                    どうしても身体が思うようには動かないんです。

                     

                    同門の弟子たちは敵ではないにもかかわらず、

                    力を込めてきた相手に対すると、

                    どうしても自分の力で無意識に対抗してしまう。

                    その結果、愛魂(合気)はかからない。

                     

                    筋力で対抗するのをやめて、「愛」の力で、

                    相手の力を無効にして崩せば良いのですが、

                    それがなかなか上達しないんです・・・・

                     

                     

                    なぜなら、頭で分かっていても、

                    龍索堂の体は現実を受け入れない。

                    現実に降伏しないからです。

                     

                    わかってはいるんだけど、

                    無数の人を恨んできた長年の癖が身体に染みついているから、

                    その垢を取るのに、これからも稽古は欠かせません(TT)

                     

                     * * *

                     

                    人間は誰でも、いつも、

                    現実に不満を抱いていることが多い。

                     

                    “そうでもないよ”と思われる方は、

                    道行く人を見てください。

                     

                    龍索堂は、通勤のときに、

                    多くの社会人や学生とすれ違うんですが、

                    彼らを見ると、ほとんどの人が顔や身体にゆがみを抱えています。

                     

                    最近では1人だけ、地下鉄の構内で

                    恍惚とした表情で歩いている若い黒人男性を見ました。

                     

                    彼はハーベイ・ロス・ボールのスマイリーフェイス↓より良い顔をしていた。

                     

                     

                     

                    まるで、神秘の恍惚状態に入って

                    数時間動かなかったラーマクリシュナに少し似ていた。

                     

                     

                     

                    彼以外、楽しそうに歩いている人は、

                    赤ちゃんを抱いて笑いあう母子や

                    幼稚園〜小学校低学年以外には、ほとんどいません。

                     

                    仕事が終わって帰宅するとき、

                    楽しそうに話しながら歩いている成人女子たちも、

                    宴会に向かう男子たちも、どこかゆがんでいる。

                     

                    きっと会社のこと、家庭のこと、対人関係のこと、

                    みんな何かに敵対しながら、

                    本音を隠して耐えているように見えます。

                     

                     

                    龍索堂は神通力を持っていませんが、

                    ゆがみを抱えている人はよく分かるんです。

                    かれらは昔の自分だからwwww

                     

                     

                    ゆがみが現れるのは、精神のどこかに不満を抱えているからです

                    ゆがみが現れるのは、身体のどこかに不満を抱えているからです

                    ゆがみが現れるのは、現実の状況に不満があるからです

                     

                     

                    現実に逆らわず、あるがままの現実を受け入れる。

                    これはとてもとても難しい。

                     

                    とくに、辛い現実、悲しい現実、

                    ひどい痛みがある現実に直面している場合は、

                    それをそのまま受け入れるなんて、とうていできない。

                    と誰もが思います。

                     

                     

                    毎日、鏡に写る自分を見てみると、

                    望むように優れていないどころか、

                    出来そこないの自分、劣った自分がいます。

                     

                    若く美しく聡明でありたいと願うけれど、

                    現実の自分はそうではない。

                     

                    望む自分と望まない現実

                    望む未来と望まない現実

                    その間で悩み、苦しんでいる。

                     

                     

                    そう言う龍索堂だって、

                    昔よりは肩の荷を下ろしたとはいえ、

                    今も歪んでいる人達とたいして変わりはありません。

                     

                    なぜなら、

                    夜の地下鉄の窓に写る自分を見ると

                    “これだれっ?”って、びっくりすることが多々あるんですwww

                    顔や体がゆがんでいるオジサンが写っているのです。

                     

                     

                    あきらめきれないのは分かりますが、

                    それでもあきらめましょう。

                    とりあえず降伏してみましょう。

                    (いったい誰に言っているんでしょうね?www)

                     

                    どれほど強く抵抗しても、自分は自分。

                    むかし研ナオコが歌ったように「カモメはカモメ」なんです。

                     

                     

                    私たちは、それ以上でもそれ以下でもない。

                     

                     

                    人間が心と体にゆがみを抱えている時、

                    その元は欲求不満なんです。

                    心の奥に、満たされない欲求をいくつも抱えたままでは、

                    いつまでたっても、現実の状況に納得することはありません。

                     

                    つまり、心の奥底に抱えている不満が解消されるまで、

                    いつまでたっても、現実に対してやり場のない思いが収束することはない。

                     

                    「隣の芝生は青い(素晴らしく見える)」の譬えがありますが、

                    じつは「隣の芝生は青くない」

                    それほど素晴らしいものではないんです。

                     

                    それを認めるか、認めないかは、あなた次第です。

                    (どこかのテレビ番組でよく聞きますねwww)

                     

                     

                    また、心の中(感情面)で、

                    出来ない自分、劣った自分を卑下するという行為は、

                    自分の欲求不満をぶつける相手、苛める相手がいない時、

                    またはヒマツブシのために、自分を苛めて(喜んで)いる場合が多いですね。

                     

                    それでは、自分や自分に関わる人たちを傷つけて終わってしまいます。

                     

                     

                    人間の半数は、自虐的な性向を持っていますので、

                    「壊滅的な結果を得るために自分や他人を傷つける」のです。

                     

                    【目的】 壊滅的結果を望む

                     ↑

                    【手段】 自他を傷つける

                     ↑

                    【動機】 欲求不満

                     ↑

                    【原因】 ???

                     

                     

                    誰が、この現実を決定したのか?

                    誰が、この自分を決定したのか?

                    誰が、自分の中に欲求不満を埋め込んだのか?

                    決して見つかることのない答えに対する

                    問いをすることに意味はありません。

                    (それは終わりのない、答えのない問いだから)

                     

                     

                    できないものはできない。

                    できないことはできない。

                    美しくないものは美しくない。

                    優れていないものは優れていない。

                     

                    すべては、この現実から始めなくちゃいけません。

                     

                     * * *

                     

                    龍索堂は、会津藩校 日新館の

                    「ならぬことはならぬものです」

                    の言葉が好きです。

                     

                    会津藩といえば最後の藩主である松平容保。

                    松平容保といえば美濃高須藩の高須四兄弟です。

                     

                    松平容保(まつだいら かたもり)

                    会津藩 最後の藩主、京都守護職。新選組を配下におき、尊王攘夷派弾圧の前面に立った。

                    治安維持ばかりではなく、幕府と朝廷の間を斡旋する外交の役割も担った。

                    大政奉還には明白に反対を表明、鳥羽・伏見の敗戦後、会津に戻り官軍に抗戦したが敗北した。

                    明治5年に許された。

                     

                    幕末の京都守護職として徳川宗家を支えた合津藩主・松平容保(まつだいらかたもり)は、美濃高須藩(たかすはん)から養子に入った。

                    美濃高須藩(たかすはん)は、江戸時代、美濃国石津郡高須(岐阜県海津市)付近を領有した藩で、尾張徳川家御連枝であるため、江戸中期以降は尾張藩支藩である。

                    立藩した藩祖は、御三家・尾張藩第二代藩主・徳川光友の二男・松平義行で、藩は小さいながらも神君・家康の血が流れていた。

                    高須藩(三万石)の第十代藩主・松平義建(まつだいらよしたつ)には子が多く、息子達は、高須四兄弟(たかすよんきょうだい)を始めとして多くが幕末期に活躍した。

                     

                    義建次男は尾張藩第十四代藩主・徳川慶勝となり、三男は石見浜田藩主・松平武成となり、五男は高須藩第十一代藩主・松平義比となった後に尾張藩第十五代藩主・徳川茂徳、さらに後には御三卿・一橋家当主・一橋茂栄となった。

                     

                     

                     

                    松平定敬、松平容保、松平義比、徳川慶勝

                     

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                    【 會津藩校 日新館 ― 什の掟じゅうのおきて 】

                     

                    一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ

                    二、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ

                    三、嘘言を言ふことはなりませぬ

                    四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ

                    五、弱い者をいぢめてはなりませぬ

                    六、戸外で物を食べてはなりませぬ

                    七、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ

                      ならぬことはならぬものです

                     

                    什の内容はともかく、

                    「ならぬことはならぬものです」

                    この言葉には、

                    「人間誰もが持つ諦めなければならない現実は潔く諦めるべし」

                    の意味が込められているので、とても気に入っているんです。

                     

                    ----------------------------

                     

                    新しい現実を夢見る

                     

                    「現実に降伏する」

                    「あるがままの現実を受け入れる」

                    「現実を受け入れられない」

                    「現実を受け入れたくない」

                    簡単なように見えて、実はとても難しいですね。

                     

                    しかし、辛い、苦しい、痛い現実を諦めなければ、

                    欲求不満を抱えて、身心が歪んだままの人生を過ごさなければならない。

                     

                     

                    諦めたくない、諦めきれない、やりきれない気持ちは誰にもある。

                    けれども、辛い現実や苦しい現実や痛い現実

                    それら全てがあることを、とりあえず認めて、

                    そこにいなければならない自分を諦めよう。

                    そうすれば(できないこともあるだろうけれど)

                    諦めたところから、新しい人生を始めることができる。

                     

                    什の掟が言いたい本当の意味は、これなんだろうと思っています。

                     

                     

                    龍索堂も、こんなふうに何度もなんども自分を説得してwww

                    辛い現実、苦しい現実、痛い現実に降伏したんです。

                     

                    そうして、それまでとは同じように見えるけれど

                    まったく違う新しい人生を始めた。

                     

                     

                    どんな悲惨な境遇にいる人間でもできること、

                    それは新しい夢を見ることです。

                     

                    人間には新しい夢をみる能力がある。

                    人間には新しい夢を物質として創造する能力がある。

                     

                    そして、新しい夢を叶えるためには、

                    まず、辛い現実、苦しい現実、痛い現実に直面している

                    現実の自分を諦めて、すべてを受け入れましょう。

                     

                    古い現実に降伏して、古い現実を捨てる。

                    新しい現実を夢見て、新しい現実を創造する。

                     

                    望んでそれが出来るのは、

                    今苦しい現実に直面している自分だけなのです。

                     

                     

                    最後に、ドン・ミゲル・ルイスの著書の一部を紹介して、

                    記事を終わります。

                     

                    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

                     

                    「恐怖を超えて」20頁

                     

                    神官は言った「お前はここを去る前に、壁のこれらの人物像の意味を言わなければならない。食べ物や飲み物にはかまうな。ただ理解に努めよ」それから彼は私を置き去りにして去った。

                    私は理解しようとしたが、これらの画像については何もわからなかった。何日も、何週間も過ぎた。

                    ある時点に達したとき、私は何も学べず、ここを出ることはできないのではないかとう恐怖を覚えた。トランス状態にあったにもかかわらず、それは私を救うことはできなかった。なぜなら、私は他の誰かの夢の中に入り込んでしまっていたからである。私はパニックに襲われた。

                    何かが急に変わり、私はその経験に降伏した。私は急いで立ち去ろうとしてはいなかった。

                    自分がここに永遠にとどまることになってもいいのだと、私は感じた。

                    降伏するまでどれくらい長く苦闘していたのかは分からない(約1年間/実際には約8時間)。が、突然、私は壁の像たちのエネルギーと交流し始めた。奇跡は起きた。

                     

                    降伏 surrender は、いかなる状況にあっても幸福でいられるための方法である。

                    私はその場所を自分の新しい世界として受け入れた。

                    すべてが私にとって意味をもち始めた。

                    私はもう時間を気にしてはいなかった。

                    私はただ、人物像が生き生きしてくるに従ってエネルギーが交わされるのを受け入れた。交わりの状態は同じ周波数で振動する状態である。私は理性を使っていなかった。

                     

                    神官が戻り、私は自分がその画像の意味を知っていると確信し、彼に言いたいと思った。私は落ち着いた気分になっていた。が、彼はただ微笑んで、こう言っただけだった。「行ってもよろしい」これは別のテストだった。私は自分が学んだことを口にすることも許されなかった。

                    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

                     

                    幸福を求める龍索堂と妻の、

                    妄想と幻想の旅は

                    今日も絶賛継続中ですwwww

                     

                     

                    いつもお越しくださる方

                    ときどきお越しくださる方

                    お越しいただいてありがとうございます。

                     

                     

                    「沢田研二 / 勝手にしやがれ」

                    を歌いながら、皆さまの身心の安寧と進化を祈ります

                    龍索堂拝具

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                    | 龍索堂 | 精神世界 | 19:19 | comments(0) | - | - |
                    愛の鎧-2
                    0

                       

                       

                      朝晩寒くなってきました。

                       

                      冬は不調が起こったり、

                      寒さのせいで冷えが生じて、関節痛やむくみが生じたり、

                      色々なところに影響してきてしまうことがあるため、

                      初冬の頃に水分を取った方が良い。

                      水を何リットルも飲むよりは、

                      いつも以上に温かい、うどん、そば、ラーメンなどの

                      汁が多い食べ物を食べたり飲んだりすると良い。

                      と、11月号の「月刊全生」に記してありました。

                       

                      皆さまは息災でお過ごしでしょうか。

                      龍索堂夫妻は、大地と日月星辰の加護をいただいて、

                      毎日気楽に過ごしています。(^^)v

                       

                       * * *

                       

                       

                       

                      愛魂で身を守る

                       

                      龍索堂は【冠光寺流愛魂柔術】を学びながら稽古を続けています。

                       

                      「シロウトオジサンは愛魂で身を守ることができるようになったのか?」

                      という声なき疑問が聞こえてきますが、www

                      半年の稽古で少しはできるようになりました。

                       

                      それは皆さんが知っている、

                      筋力を高めて、強い打撃を与えたり受けたりする剛の技法ではありません。

                      筋力が低くても強い打撃に対して防御する柔の技法です。

                       

                      仰向けに寝たまま倍近い体重の先輩から両手を押さえられても、

                      愛で先輩を跳ね返すことができます。

                      これが唯一難しかったけれど、

                      前回やっと思うように出来ました。

                      (相手は長年格闘技をしている猛者ですからヤラセではありません)www

                       

                      保江邦夫創師は、さまざまなお手本を見せながら、

                      「武門の達人たちは、これと同じことをしている」とおっしゃられます。

                      そして龍索堂も、この武術はシロウトが達人に至る最も近道なんだろうと思います。

                      (保江先生以外の達人に出会ったことが無いので、本当かどうかは断言できませんがww)

                       

                      また、「武術修行は、この場で行う稽古よりも、日頃の心構えが大事です」

                      ともおっしゃられる。

                       

                      保江邦夫先生の新刊が11月18日に発売されるので、いちど読んでみてください。

                       

                      「合気・悟り・癒しへの近道: マッハゴーグルが世界を変える」

                      https://www.amazon.co.jp/gp/product/4875253281/ref=oh_aui_detailpage_o01_s00?ie=UTF8&psc=1

                       

                      この技法を思い返してみると、

                      ハタ・ヨーガの「屍(しかばね)のポーズ」と共通することに気がつきます。

                       

                      [1] 長息呼吸をする

                      [2] 全身の筋肉緊張を取り除いてゆく

                      [3] 思念(イメージ)と思考(シンキング)の緊張を止める

                      [4] (その状態を保って)愛と感謝の思いで相手に接する。

                       

                      これを、起きたまま(動きながら)行うんです。

                       

                      龍索堂だけでなく、人間はだれでも身体と精神に、

                      痛みと苦しみを抱えています。

                       

                      そして精神の痛みと苦しみを取り除くことに

                      多くの人は気づくのですが、

                      身体に残る(癖)を取り除くことは思い至らない場合が多い。

                       

                      だから多くの精神修行では、ただ座って学習や瞑想するだけでなく、

                      禊ぎ払い、ハタ・ヨーガ、禅、不断念仏や、回峰修行のように、

                      身体を動かしながら、身心の掃除を行う方法が伝わっているんですね。

                       

                       

                      人間は誰でも、自分の身を守るために

                      攻撃への無意識の反射運動として

                      “叩きのめされて痛い思いをさせられるかもしれない”

                      “叩きのめされて苦しい思いをさせられるかもしれない”

                      だから、攻撃に対して、「防ごう」「攻撃しよう」とする癖を身体に持っています。

                      実はこの元は、自分が感じる「恐怖」なんです。

                       

                      つまり私たちは、表面的には、

                      攻撃してくる相手と戦っているように見えて、

                      実は「自分が感じる恐怖」と戦っているんですね。

                       

                      武術修行でも同じでして、

                      それまで長い時間をかけて身体に貯めこんできた

                      「痛みと苦しみ、それを生み出している恐怖」

                      から逃れようとする癖を取り除く修行をします。

                       

                      「切り結ぶ 太刀の下こそ地獄なれ 身を捨ててこそ 浮かぶ瀬もあれ」

                      これは有名な柳生新陰流兵法の道歌ですが、

                      相手の太刀に殺される自分という地獄(恐怖心)を捨て去る時、

                      そこに生き残る道がある。

                      つまり、死ぬことへの恐怖を捨て去りなさいという教えです。

                       

                      だから、何度もなんども反復稽古を行う必要があるんです。

                      恐怖を捨て去った結果、ニュートラルになって始めて、

                      思うように「技」を使えるようになるからです。

                       

                      他人は「恐怖」を取り除くことはできない。

                      (瞬間的に取り除くことはできても、

                      長年身に着けた癖はすぐにもとに戻ってしまうから)

                      だから、自分が望んで“取り除こうと思い”

                      実行しなければならないんです。

                       

                      冠光寺流愛魂柔術の動きを指して

                      「動禅」と言っていた人がいたそうですが、

                      当にその通りと思います。

                       

                      辛く苦しい思いをしている方は、

                      それぞれの好きなやり方で

                      痛みと苦しみを抱え込む癖、

                      痛みと苦しみから逃れようとする癖、

                      (自分を守るために)

                      相手に痛みと苦しみを与えようとする癖、

                      それらの大元である自分の感じている恐怖を

                      とりのぞく稽古をしましょう。

                       

                       * * *

                       

                      最後に、龍索堂が知っている名文を紹介いたします。

                      できれば、ぜひ本書を買って読んでください。

                       

                      今現在、痛みや苦しみを抱えている人も、そうでない人も、

                      オカルト嫌いの人もwww

                      「龍索堂がそうだったように、この書籍は、

                      貴方の人生にとって必ず大きな一助となる」

                      と龍索堂は思うんです。

                       

                      - - - - - - - - - -

                       

                      シャーマン的な旅の一つで、

                      知識は自由に対する制限であり、障害であることを私は学んだ。

                      知識はたんなる夢の描写に過ぎない。

                      私たちが知っているすべてのことは、私たちの夢見の内容の描写である。

                      そして私たちが夢で見ていることはリアルではない。

                      だから、知識はリアルではない。

                       

                      けれども、知識は私たちがそれを意思疎通や、

                      考えや感情を取り交わすために用いるがゆえに価値を持つ。

                      問題は、私たちが蓄積してきたすべての知識を自分のパソコンに入力し、

                      自分の行動をそれに気づかせるなら、

                      知識は私たちがそれを超えて進むことを妨げるだろうということである。

                       

                      知識は私たちの理性に、超越は不可能だと確信させようとする

                       

                      私は弟子たちに、「知識は戦士の最後の障害だ」と教えている。

                      私たちは知識を、たんに私たちのコンピュータ内の情報を変えるためだけに蓄積するのである。

                      いったん私たちが変わり、真実の自分になったなら、もはや知識は不要になる。

                      あなたが超越し、二度とここに戻らなくなるためには、知識の川を渡る必要がある。

                      知識は私たちの直観をさえぎる。

                      だが、直観が私たちを審理へと導くのである。

                      真理は生きている。

                      すべては進化の中にある。

                      すべては生物的である。

                      すべてが生きている。

                       

                      この人生でのあなたの唯一の責任は、

                      あなた自身を幸せにすることである。

                      そのためには知識は要らない。

                      なぜなら、私たちが必要とするすべてのものは、すでにここにあるからである。

                      他の人たちの愛があなたの愛を目覚めさせることはある。

                      しかし、あなた自身の愛があなたを幸福にするのである。

                      その愛が、あなた自身の真理である。それがあなたの自由なのである。

                       

                      今進行中の変化を活用する最良の方法は、

                      それ(現状)に抵抗するのをやめることである。

                      私たちは他の人たちに気に入られるためにここにいるのではない。

                      私たちは自分を喜ばせるためにここにいるのである。

                      あなたは何でもしたいことをすることができる。

                      もしもあなたが自分の意図に焦点を合わせるなら、

                      あなたはほしいもの獲得するだろうことには何の疑いもない。

                      これは万人にとっての真理である。

                       

                      トルテック(呪術師)たちはアメリカの卓越したアーティストたちであった。

                      彼らはあらゆる分野で熟練した技の美のセンスを表現した。

                      すべての人がアーティストであり、人々が創造しているアートは、

                      彼らのパーソナルな夢である。

                       

                      沈黙の知識に目覚めたとき、あなたは自分にこう問うことができる。

                      「私の人生はどれくらい美しいだろうか?」

                      「どれくらい私は愛しているだろうか」

                      「どれくらいうまく、私はコミュニケーションがとれているだろうか?」

                      「どれくらい、私は幸福だろうか?」と。

                      私はあなたを、あなたのパーソナルな夢の

                      最高のアーティストになるよう激励する。

                      それを可能なかぎり美しいものにしなさい。

                      あなたの美を表現するのである。

                       

                      「恐怖を超えて:トルテックの自由と歓喜へのガイド―ドン・ミゲル・ルイスの教え」

                      著者:メアリー・キャロル ネルソン

                      第13章 予言

                      298〜300頁

                       

                      **********

                       

                      大宇宙(のエネルギーたち)は一つの疑問で満たされた。

                      「我々すべてのエネルギー、

                      そしておまえ(神)のエネルギーを宿している者に、

                      足りないものなどあるのか?」

                       

                      そして神はすべて(のエネルギー)に答えた。

                      「愛のエネルギー」

                       

                      すると愛のエネルギーは炎々と燃えあがり言った。

                      「されど私はひとつ、一なるもの。

                      そしておまえ(神)のもの。おまえがあるゆえに輝く」

                       

                      神の言葉が響いた。

                      「そう! おまえは一なるもの、私の愛よ。

                      おまえは光り輝き、そして優しく抱擁する。

                      おまえはインスピレーション。

                      おまえはすべてを加速させる力がある。

                      私の愛よ、お前は感覚を研ぎ澄まさせる。

                      そしておまえは平安。

                      私の愛よ! 私の願いだ、地上に降りてほしい。

                      余すことなくおまえのすべてを地上に。

                      おまえ自身で、おまえの偉大なる歓びのエネルギーで、

                      彼ら(アダムとイブ)を、私の子供たちを包み込んでやってほしい」

                       

                      愛と神との別れの対話は、すべての地上の愛の始まりだった。

                       

                      愛が創造主に呼びかけた。

                      「私の神よ。私が離れると、おまえは独り、永遠に見えない。

                      すべての次元空間で命を宿すものたちから見えなくなってしまう」

                       

                      神が答えた。

                      「これからは、私の息子と娘が光を放てばいい。ナヴとヤヴとプラヴにおいて」

                      (古代スラブの神話等では、世界はこの三つの相で成り立っているとされる。

                      解釈は様々だが、ナヴ=魂などの非物質的な世界、

                      ヤヴ=物質的な世界、プラヴ=宇宙の法則の世界などと理解されている)

                       

                      「私の神よ、おまえの周りを真空が取り巻いてしまう。

                      おまえに力を与える温もりは二度とおまえの魂まで届くことはない。

                      おまえの魂は冷えきってしまう」

                       

                      「私のためでなく、すべての存在のために、その温もりを地上から放てばよい。

                      私の息子たち娘たちの行いが、それをとてつもなく増幅させるだろう。

                      そして地球全体が光り輝く愛の温もりで空間に燦然と輝くだろう。

                      皆が地球からの、この上ない歓びをもたらす光を感じる。

                      それによって私のすべてのエネルギーは温もることができるのだ」

                       

                      「神よ、おまえの息子や娘の前には、様々な多くの道が開かれている。

                      全次元のエネルギーが宿っている。

                      そしてそのうちたったひとつでも他より優位になってしまうと、正しくない道へ運ばれてしまう。

                      そうなってしまえば、おまえに何ができよう? 

                      彼らにすべてを与え尽くし、地球から出るエネルギーが小さく、弱くなっていく様子を見ているおまえに? 

                      すべてを与え尽くしていながら、地上での破壊のエネルギーが他を支配してしまう様を見る。

                      おまえの創造物は無慈悲な硬い殻で覆われ、草には石が打ち捨てられる。

                      その時、すべての自由を息子に与えたおまえは何をするというのか?」

                       

                      「私は再び石の間を緑の草で突き破り、小さな穢れのない草地で花びらを開かせよう。

                      私の地上の娘たち息子たちは、自分の定めを自覚することができるだろう」

                       

                      「神よ、私が離れると、おまえは皆に見えなくなる。

                      一部の人間が他の人間を従属させようとするかもしれないのだ。

                      おまえの名で自分に都合のよいように、本質たち(エネルギー)が人々を説き伏せる、

                      『私は神の希望で話すのだ。皆の中から神によって私一人が選ばれたのだ。皆の者、私に従いなさい』と。

                      そのときおまえに何ができようか?」

                       

                      「新しい一日とともに、私は太陽として昇り出る。

                      地上のすべての創造物たちを、一人残らず太陽の光が抱擁し、

                      私の娘や息子たちが語る助けとなるだろう。

                      1人ひとりが自分の魂と私の魂と語らうことができるのだと」

                       

                      「私の神よ、彼らは大勢で、そしておまえはひとつ。

                      そしてすべての宇宙の本質たちは、人間の魂を征服することを熱望するようになる。

                      人間を通して、自分のエネルギーだけを確立するために。

                      そして、おまえの迷える息子は、唐突にそれに祈りを捧げるようになるだろう」

                       

                      「窮地や何もない虚空に追い込む様々な原因となるものには、重大な障害があるだろう。

                      偽りがもたらすことにはすべて、壁が立ちはだかる。

                      私の娘たち息子たちには、真理を悟る意志がある。

                      嘘には常に限界がある。

                      しかし真理は無限。真理はひとつであり、

                      常に私の娘たち息子たちの魂の自覚の内にある」

                       

                      「おお、神よ! 誰も、何ものも、おまえの素晴らしい意識の高揚と夢に、

                      力づくで対抗するものはいないだろう。それらは美しい!

                      おまえの意識と夢に従い、そして自分の意志に従って私は行こう。

                      おまえの子どもたちを柔らかな光で温め、永遠に彼らに仕えることにしよう。

                      おまえが授けたインスピレーションは、彼らが自分たちを創造するのを助けるだろう。

                      しかし、ひとつだけ、神よお願いだ。私の小さな火の粉を一つ、おまえのもとに残させてほしい。

                      おまえが漆黒の闇にいなければならないとき、おまえの周りを真空だけがはびこるとき、

                      忘却のふちに沈み、そして地球の光が弱まるとき、この火の粉が・・・

                      せめて、私の愛のたった一粒の小さな火の粉をだけでも、

                      おまえのために揺らめき光るように」

                       

                      「ああ、ウラジーミル!」アナスタシアは叫んだ。

                      「今日、生きている人があの時の空を見上げることができたなら、

                      目の前に偉大光景が現れたのに」

                       

                      大宇宙の光、愛のエネルギーが彗星となって凝縮し、地球へと急いだ。

                      通りすがりにあった命のない惑星たちを照らし、

                      また球の上に新しい星たちを創っていった。

                      そして地球めがけて進み続けた!

                      地球へ!

                      さらに近づいていく。ほら、愛がもうそこまで。

                      突然、愛の光は地球の上で急停止し、震えだした。

                      はるか遠くで、燃える星の間に、どの星よりも一番小さな星が

                      生きているように感じたのだ。

                      その星は、愛の光を追いかけて地球へと急いでいた。

                      そして愛は、それが神へ与えた愛の最後の火の粉であり、

                      愛の後を追いかけて地球に向かっていることに気が付いた。

                       

                      「神よ」愛の光は囁いた、「なぜ? 私には分からない。いったいなぜ?

                      なぜ私のたった一粒の火の粉でさえおまえの傍らに残さないのか?」

                      愛の言葉に、宇宙の暗黒から、もはや誰も見ることができない、

                      そして誰にも理解されない神が答えた。

                      彼の神なることばが響きわたった。

                       

                      「私に残すということは、すなわち彼らに、我が娘たちや息子たちに、

                      すべてを与え尽くすことにはならない」

                       

                      「神よ!・・・・」

                       

                      「ああ、おまえは何と美しい。愛よ。たった一つの火花だけでも、何と美しい」

                       

                      「私の神!・・・」

                       

                      「さあ、急ぐのだ、私の愛よ。考えることなく急ぐのだ。

                      早く行っておまえの最後の火花とともに、

                      私の未来のすべての娘や息子たちを温めてやってくれ」

                       

                      宇宙の愛のエネルギーが、最後の火の粉にいたるすべてのエネルギーが、

                      地上の人間を、そのすべてを包み込んだ。

                      すべてが愛の中にあった。

                       

                      果てしなく広がる大宇宙の真っただ中、

                      すべての次元空間で同時に生きる、

                      すべての本質の中で最も強い、人間が立ち上がった。

                       

                       

                      アナスタシア・リンギングシダー4

                      『共同の創造』 44〜50頁

                      著者:ウラジーミル・メグレ

                       

                      *****

                       

                       

                      10代後半__Q.「弱い自分がイヤで強くなりたい」

                        ↓ 

                      20代〜40代_A.「本を読んで知識を身に着けなさい」

                        ↓ 

                      40代後半__A.「知識の鎧では身を守れない」

                        ↓ 

                      50代前半__A.「愛の鎧で身を守りなさい」←イマココ

                        ↓ 

                      ???

                       

                      今生の龍索堂の歴史です。

                      う〜ん、たった4行で記すことができるほど、大した人生ではなかったですwww

                      さてこれから先、私の人生はいったいどうなるんでしょうね?・・・・

                       

                      じつは、すでに、新しい夢を見始めているんですが、

                      それはまた、別の機会に記そうと思っています。

                       

                       

                      全ては絶妙のタイミングで訪れる。

                      全ては絶妙のタイミングで行われる。

                      創造主の慈しみと、愛(のエネルギー)の加護と采配を信じて、

                      妻と共に気楽に暮らして行こうと思っています。

                       

                       

                      ・・・・「痛みと苦しみを取り除く」は、これで終わりです。

                       

                       

                      幸福を求める龍索堂と妻の、

                      妄想と幻想の旅は

                      今日も絶賛継続中ですwwww

                       

                       

                      いつもお越しくださる方

                      ときどきお越しくださる方

                      お越しいただいてありがとうございます。

                       

                       

                       

                       

                      「ホワット ア ワンダフルワールド/ルイ アーム ストロング」

                      を聞きながら、皆さまの身心の安寧と

                      魂の進化を祈ります。

                      龍索堂拝具

                      | 龍索堂 | 精神世界 | 12:12 | comments(0) | - | - |
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