白い情熱

  • 2018.01.13 Saturday
  • 13:13

 

上の画像は元日の夕焼けです。

 

大空で行われている太陽と雲たちのショウは、

毎日変わり同じものは一つとしてない。

それでいて神秘的で華麗でいつも素晴らしい。

 

皆様はつつがなくお過ごしでしょうか。

龍索堂も妻も家族も

大地と日月星辰のご加護をいただいて、

息災で過ごしています。(^^)v

 

 * * *

 

龍索堂は、1週間に1度は家に帰って妻と過ごしています。

コーヒーを飲みに行っても、買い物をしても、

一緒にいる時は幸福を感じるとても貴重な時間なんです。

 

そして夜は、独りYouTubeで

「The X Factor UK」「America's Got Talent」や「The Voice」出演者の熱唱を見ているんです。

 

 

 

 

 

それらはシロウトが歌うモノマネ歌合戦。

みんな基礎訓練を受けたプロフェッショナルではないから、

音が上下前後にズレていて少し濁りがある。

 

妻にいろいろ聴かせたけど、

そのたびごとに「一度でいいわ」って言う。

彼女は濁りのない澄んだ音の世界で生きているので、微妙な雑音に耐えられない。

 

龍索堂は妻とは反対に、

レコード音源のようにわずかな雑味がないと聞き飽きてしまうから、

何度も繰り返して飽きるまで聞いているんです。www

 

 

龍索堂は思うんです。

日本にも昔から似たようなテレビ番組があります。

でも今の番組は、素晴らしく歌う人を発見しようとする以上に、

出演者たちを必要以上に競わせたり、

それぞれの個人的生活背景を流したりで、

製作者たちの作為や意図が強く見える残念な番組になっているんじゃないか。

 

そう思ってみると、「The X Factor UK」、

「America's Got Talent」「The Voice」はとてもシンプルです。

何より、出演者たちは皆とても情熱的です。

 

 

龍索堂の個性は「老成」が特徴なんです。

だから若い頃から老けて見え、また他人から見ると感情や情熱が乏しくて論理を好むように見える(らしい)

もちろん、当人は他人とおなじように、

じゅうぶん感情的、情熱的のつもりなんですけどね。

 

しかし第三者評価の20%〜30%はたいてい当たっているので、

たぶん感情と情熱が乏しいんでしょう。

そして加齢のため、もっと偏屈になっている。www

 

だから、「The X Factor UK」「America's Got Talent」「The Voice」を見るのは、

遠い昔どこかに置き忘れてしまった豊かな感情と、

熱い情熱を取り戻すためなんですね、きっと。

 

ああ、これを部分テーマにした漫画があったっけ。

 

「双亡亭壊すべし」藤田和日郎

 

 

藤田和日郎先生の作品は、

生と死・光と闇・欲望と無欲の対比が多い。

中でも、情熱的献身や犠牲的献身を

さらりと描くのがクールでとても感動的です。

そしてオカルト作品は秀逸です。

よく学習しているな、と思わせる言葉や画面が

ストーリーの途中にふんだんにちりばめられている。www

 

 

谷口ジロー先生が2017年2月11日に亡くなった後、

龍索堂が好んで読むのは藤田和日郎先生の漫画だけになってしまった(T_T)

 

谷口ジロー先生の作品「ブランカ・神の犬」は傑作でした。

合掌。

 

 

 

 

遺作を刊行してくださった小学館に感謝いたします。

 

 * * *

 

 

社会不適合でも楽しく生きる「適応よりも開墾」

 

かく言う私も、社会にうまく馴染めない自分を「ダメだ!ダメだ!俺はゴミ人間だ!」と思う日々を過ごしていた。が、冷静に考えてみると「年間自殺者3万人いて、鬱病患者も100万人いると噂の日本社会に自分を適応させることの方がやばいんじゃないか」などと開き直るようになり、現在に至る。これは極端な考え方かもしれないけれど、社会に自分を合わせるように生きるより「生きづらさを抱えているならば、生きづらさを抱えているなりに、生きづらさを抱えている自分でも生きて行くことのできる世の中を『開墾する』生き方」みたいなものを養った方が、いろいろと有意義なのではなかろうかなどと思うようになった。--- いばや通信

 

 

坂爪圭吾さんの記事を読んでいると、

ジェットコースターのように急激な下り坂を降りている日本全体は、とても大きな社会変化の真っ只中だから、

従来の価値観から見ると、社会不適合者と呼ばれる人たちが増えて行くように見えるんです。

 

しかし「社会人はこうでなければならない」という昔の常識=暗黙の了解に対抗して、

「社会人はそうでなくても良いんだ」と思う人たちが大多数になると、

今度は、それまで認められなかった=潜在していたエネルギーが

解放されるような気がするんです。

 

では、大人たちが意味も分からずに持っている「社会人はこうでなければならない」という昔の常識=暗黙の了解

を幾つか見てみましょうか。

 

1)幼少期から成人までは両親や教師に反抗せず、学習やスポーツに打ち込んで好成績を上げなければならない。

2)社会人になったら社会に反抗しない歯車の1個として従順な納税者として生きなければならない。

3)社会人は数年経ったら異性を見つけて結婚して離婚してはならない。

4)結婚したら一戸建住宅か分譲マンションに住んで子供たちを育てなければならない。

5)子供たちには受験戦争を勝ち抜くために進学塾へ通わせて偏差値の高い大学を卒業するまで面倒をみなければならない。

6)長期の住宅ローンを返済するまでは倹しい生活の中で預貯金を貯めて生活保護に陥らないようにしなければならない。

7)会社ではローン返済資金の為に管理職になって高給を得なければならない。

8)高齢者になり定年退職しても働き先を見つけて、乏しい年金暮らしで不足する生活費を補填しなければならない。

9)社会人として常に自分の健康に気を付けて出来る限り長生きしなければならない。

10)後期高齢者になっても痴呆症や身体不具合で家族に迷惑がかからないよう常に身心に気をつけなければならない。

 

う〜ん。

日本人の持っている常識を書いていて、なんだか気分が悪くなってきました。

だって私たちはこれ以上、実にたくさんの常識という名の課題で社会から縛られているんだ。

宗教的戒律を除けば、他国もたいがい似たようなものなんだろうね。

 

それらは確かに権利の側面を持つけれど、

年代ごとに大雑把に列記したのを見ても義務の方が強い。

人生はまるでRPGゲームのようにみえる。

 

「それらの年代別課題を淡々とこなして行くのが人生なのさ♪」

と笑って言える人は、いったい何人いるんでしょう。

 

国公立大学の上位卒業生でも、これら人生ゲームの課題を80%以上達成して

この世界を去る事が出来るのは、ごくわずかじゃないのか・・・。

 

いったい私たちはどのように人生ゲームを進めて行くのでしょう。

 

 

“おいおい龍索堂、年が明けて目出度いっていうのに

話が暗い方へ行っているじゃないか!”って思ったでしょ。

『そうです。私もそう思うんです』www

 

でもね、雪国ほど暗い気分じゃないんですよ。

<これはひどい・・・実は青森県はワーストだらけだった>

いまの勤め先は、海に近くて穏やかな田舎ですから。

 

 

知ると脱力 日本の伝統の正体(笑)

 

玉造さんも言ってるように、

私たちが昔からの伝統や常識と信じている物の大半は、

江戸時代の祖先たちが見聞きしたら腰を抜かすような、

わずか150年ほどの歴史しか無い新しいルールばかりなんです。

(↑ここ重要です。人生の試験に出るから忘れないように)

 

私たちはどのように人生ゲームを進めていったとしても、

植物たちが花を咲かせて実を結び

枯れて消え去るように

どんなものにもいつかは必ず終わりが来ます。

 

私たちが信じている昔からの伝統や常識もまた同じなんです。

(世界を代表する500年の伝統ある和菓子「虎屋の羊羹」は大好きですけどね。www)

 

 

全てが終わって振り返った時、

どんなに辛い過去や失敗も、

満足した達成も、楽しかったことも

すべてをひっくるめて大笑いしたら、

後は忘れてしまえば良いんです。

10年前の今日に起こった事を、

誰も詳細に思い出すことができないようにね。www

 

 

もちろんステキな思い出や綺麗な夢を

胸の内の小箱にたいせつにしまっておいて、

ときどき思い出して暖かな気分にひたっても良い。

 

それが出来ないでいる人、

日頃の疲れが取れないと感じている人は心と身体をコントロールしましょう。

 

伝統や常識や人生ゲームの課題でがんじがらめになっている精神を、

他人に頼らず、自分で簡単にコントロールする事が出来るんです。

 

これはヨーガ由来の「タクティカルブリージング(Box Breathing)」

と呼ばれる呼吸法で即効性が高い。

 

タクティカルブリージングは呼吸法だけでイメージは使わないんですが、

せっかくだから呼吸と同時にイメージも加えましょう。

そうすると効果が高いんです。

(イメージが難しいと思う人は呼吸をコントロールできるようになってからでも良い)

 

ピンポン玉ほどの大きさの

青緑色の透明な玉をイメージで作り出す。

その玉を心臓に浮かべる。

それを少しづつ大きくして自分の全身を包む。

あとは呼吸の出入りを観察するだけ。

 

この時、自分の意識の中心は玉の中心でも良いし、

球面全体に置いても、あるいは眉間の間でも、

どこでもかまいません。

 

コツは、呼吸を観察している間は

息を吐きながら全身の筋肉緊張を解くこと。

そして寝床で目覚めた時や寝就く前など、一日に数回行うこと。

これを頑張るんじゃなくて、日課としてごくあたりまえに続けること。

 

三日坊主でも、やり方を忘れてもいいんです。

(90%以上の人がそうだから)

“最近なんか疲れが取れないな”と感じたら、

「そういえば龍索堂が呼吸法がどうとか言ってたな」って思い出して行えばいい。

 

これで身体と心に貯めこんだ、

伝統や常識や人生ゲームの課題で苦しめてきた心身の緊張を取り去ってしまいましょう。

龍索堂は毎日寝床で夢の門を通り抜ける前に行っています

 

みんなは、常識のように当たり前のように“頑張れ”と言うけれど、

頑張った後の休息の仕方、頑張り続けるためのやり方は誰も知らない。

そんな人には“頑張れ”と言う資格は無いんだよ。 

 

 

呼吸法を続けるためるには

「The X Factor UK」や「America's Got Talent」の出演者のように

燃えあがる赤い情熱は必要ないんです。

静かで蒼白い情熱の珠をハートに保ち続けるだけで良いんです。

 

「え、ピンクや赤い玉じゃだめなのか」って。

 

『・・・この場合はお勧めしませんね。

透明に近いブルーか、碧玉の青緑色の方が

心身を癒す力が高いんです』

(赤い玉については別の機会に記します)

 

 

皆さん、温泉にゆったり浸かった気分で、

今日ものんびりと過ごしましょう。

 

 

いつもお訪ねくださる方々、

ときどきお訪ねくださる方々、

お訪ねくださって、ありがとうございます。

 

 

龍索堂は「Con Te Partirò (コン・テ・パルティロ)

= With you I am going to leave」のフレーズが大好きです。

 

「Solomia sings 'Time To Say Goodbye' - The Voice Kids Germany 2015 - Blind Auditions 」

を見ながら、お訪ねくださった方々の身心の安寧を祈ります。

龍索堂拝具 m(__)m

 

求める・与える

  • 2018.01.04 Thursday
  • 13:13

 

 

 

 

 

新年明けましておめでとうございます。m(__)m

 

皆様はつつがなくお過ごしでしょうか。

龍索堂も妻も家族も

大地と日月星辰のご加護をいただいて、

息災で過ごしています。(^^)v

 

今回の画像は、1月3日熱田神宮会館前の四季桜です。

龍索堂はこの桜たちがお気に入りで、毎年の初詣には必ず見に行くんです。

そして『今年も綺麗に咲いているね。寒いのにたいへんだね』って話しかける。

だって桜の原種はもともと熱帯地方なんだ。(熱帯の花は下を向いて咲くことが多い)

それなのに寒い国で雪降る季節に花を咲かせているから。

 

 * * *

 

明治時代から始まった150年間の長い人口バブルが、15年前に頂点を過ぎて急激に人口が減少している。

実務や経験を積んで来た人も知らない時代だから、経験値も予測値もまったくあてにならない。

 

なおかつ、終戦後70年経った自主独立国のはずの日本が、皇居と首都と国会を米軍基地で取り囲まれて、全国を米軍支配下に置かれたままでいる。

 

まさに未曾有の時代に突入している日本なんですね。 

 

私たちはこれから約80年の間、つまり一生それらが原因のニュースを見聞きさせられるので、

正直な気持ちウンザリしているんです。

 

「でもそんなの前からわかっていたことだし自分には関係ないね」というのが

皆のそして龍索堂の本音でしょうね。www

 

 

では年末年始の記事で、どうしてそんなネガティブなことを書くのかといえば、
「日本人の多くは現状認識が甘い」とつねづね思っているからなんです。

 

勤務先で*PDCAサイクルによる業務活動をしたことがある人は多いはず。

 

(PDCAサイクル(PDCA cycle、plan-do-check-act cycle)は、事業活動における生産管理や品質管理などの管理業務を円滑に進める手法の一つ。 Plan(計画)→Do(実行)→Check(評価)→Act(改善)の4段階を繰り返すことによって、製品と業務を継続的に改善する。 実験の実施による実証を重んじた経験主義の科学的手法に起源を持つ__wikipedia)

 

龍索堂は、業務推進において大切なのは

Check(評価)だと思っているんです。

それも企画立案と実行の評価だけでなく、

その背景にある現状認識の評価が最も重要と思っているんです。

 

現状認識を誤れば、PDCAそのものがまったく意味のないモノになってしまう。

けれども、そういう取り組みをしている企業や団体はとても多い。www

 

しかし、特に日本人は*言霊思想によって、

「声に出して良いことを言えば叶うことがあるから、悪いことは言わない」

たしかに言葉によって相手を寿ぐ・ほめる・讃えることはプラスの効果をもたらす場合が多い。

けれども、それが過剰になっていて、

現状の負の側面を認めないことが多いように見受けられるんです。

 

(ことだましそう:声に出した言葉が、現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良いことが起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた。そのため、祝詞を奏上する時には絶対に誤読がないように注意された。今日にも残る結婚式などでの忌み言葉も言霊の思想に基づくものである。__wikipedia)

 

 

たとえば日本人口のように、現状がマイナス方向へ向かっているのに、

プラス方向へ向かっている時と同じことをしたり、

これからプラス方向へ向かうと錯覚することです。

 

「かつてのように人口増加によって日本経済は発展し続けるべきなんだ」

と何度唱えたところで、これから約80年の間、

私たちが生きている間は起こりえない事実なんです。

「人口増加の頂点を過ぎた現在、日本経済は縮小し続ける」

これが概ね正しい現状認識なんです。

 

人口バブル時代に生まれ育った私たちは発展・拡大が当たり前で正しいと思いがちなんだけれど、

万物は常に、創造→維持発展→縮小(インド神話では創造・維持・破壊)というサイクルを繰り返しているので

発展・拡大だけが正しくて、衰退・縮小が間違いというわけではないんです。

 

つまり、現在の日本は、

「100年後の世代を創造する為に、これまで維持・発展させてきた事柄の破壊が行われている状況」

という理解を持つべきなんです。

 

そんなことを言ってると、

「ほんとの事を言っちゃダメ。

普通の人は事実を見聞きする訓練をしていないんだから。

事実に直面すると苦痛を感じてそれに耐えられないのよ」 

といつものように婦人に怒られます。

だから話を変えますね。www

 

* * * 

 

昨年末に、坂爪圭吾さんがフェイスブックで書いていました。


何かをしてもらいたいと思うとき、

何もしてくれないひとの存在は幻滅を生む。

何かを与えたいと思うとき、

あらゆる出会いは喜びのチャンスになる。

 

誰かの顔に喜びの微笑を浮かべるために街に出る。ひとに会う。誰かに連絡をする。

与えることにフォーカスをすれば、

世界は喜びのチャンスに溢れている。

 

 

求めること、与えることについて、

人生について1人で深く考察をしているのが素晴らしい。

 

坂爪圭吾さんが言うように、

人間はいつも受動的・能動的2つの態度を持ちます。

 

たとえば、

能動性を強く持つ人は「勝とう」と思い、「勝とう」と言います。

受動性を強く持つ人は「負けまい」と思い、「負けまい」と言います。

 

勝とうとする時、人間は腰を中心にして上半身を左右に捩じる。

負けまいとする時、人間は腰を中心にして下半身を左右に捩じる。

 

実は、以前の組織運営者Kさんは、

座っている時、5〜10分ごとに足を組み直す(下半身を捩じる)のがとても多い人でした。

本人は気づいていませんが、

足を組み直した後に、話し相手に対抗したり、命令を出していました。

 

これは弱い自分が、強い相手に対抗して負けまいとする特徴なんです。

 

もちろん、そのことの意味は教えてあげませんでした。

だって『貴方は他人が思っているほど強くない』ということだからwww

 

人間は身体を捩じることでをエネルギーを発する動物なんです。

そうすれば捻り続ける台風や竜巻のように大きなエネルギーを得ることができる。

 

 

強い時には上半身や手を動かして(捩じりながら)エネルギーを発散している。

弱い時には下半身や足を組み直して(捩じりながら)エネルギーを得ている。

これを知っているだけで、人間関係で相手の状況判断は簡単にできます。
 

さらに言えば、足を組まないで真っ直ぐに居る人の方が強い。

あ、これは龍索堂から皆様へのお年玉プレゼントです。www

 

でもね、もう少し深く考えてみれば分かるけれど、

どれほど大きな台風や竜巻だって、いつまでも捻り続けることはできないんです。

 

 

人間は、特に男子の多くは競争して勝つ為、

自分の弱さを隠して「強くあろう」とするんですが、

じつは「勝とう・負けまいと思う、勝ち負けを判断基準としている時の人間は弱い」んです。

これは世間で言われ思われているのと反対のように思えますが事実です。

 

能動性と受動性のどちらにも偏っていない人は

「勝とう」とか「負けまい」とかを思わないし、また言いません。

実はこういう人の方が強いんです。www

 

本当の強さというのは何もしていない時。

エネルギーを上下、左右、前後、捻り、拡大縮小していない時。

 

人間ならば、何も考えず、何も行動していないときは強い。

 

龍索堂は合気柔術を体験したときに、これを教わりました。

 

その時、ほんとうにビックリしました。

どう立ち向かっても勝てない格闘技高段者を、

シロウトの自分が簡単にひっくり返すことができたんですから。

 

その時は、強い力で押したり引いたりもしなかったし、

意図的に何も考えていませんでした。

 

う〜ん、それを敢えて例えるなら、温泉気分でした。www

 

 * * *

 

現実の日本は、かつてないほど厳しい社会状況で、

ジェットコースターが真下に落ちるように下って行く。

それはこれから更に勢いを増して行くように感じるはずです。

 

でもね、だからといってエネルギーが不足している時のように、

捩じったり、押したり引いたりする必要はないんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人口減少に対抗して外国人移住者を増やす必要もないし、

世界最大の軍事予算を持つ米軍に対抗してテロやゲリラ活動をする必要もない。

 

先ほど記したように、何もしないのが最も強い。

なぜかって

『中国や日本などの外国資金で無理やり国の経済と軍需産業を支えていて、

家計の貯蓄資産比率も少ないアメリカ合衆国、そんな水増しの大国は早晩滅びる運命にある』

と思っているから。

それがいつになるのかは龍索堂も知りませんけどね。www

 

皆さん、温泉に浸かった気分で、

今年ものんびりといきましょう。

 

 * * *

 

いつもお訪ねくださる方々、

ときどきお訪ねくださる方々、

お訪ねくださって、ありがとうございます。

 

「A Little Girl Gives Coins To A Street Musician And Gets The Best Surprise In Return」

を見ながら、お訪ねくださった方々の身心の安寧を祈ります。

龍索堂拝具 m(__)m

 

 

天の壮麗な配置の中を
  星々が駆け巡るように楽しげに
  兄弟よ、自らの道を進め
  英雄が勝利を目指すように喜ばしく

 

抱き合おう、諸人(もろびと)よ!
  この口づけを全世界に!
  兄弟よ、この星空の上に
  聖なる父が住みたもうはず

 

ひざまずくか、諸人よ?
  創造主を感じるか、世界中の者どもよ
  星空の上に神を求めよ
  星の彼方に必ず神は住みたもう

 

 

 

 

 

150年前に戻ろう

  • 2017.12.31 Sunday
  • 11:31

 

 

 

クリスマスの日

妻と一緒に車でお気に入りの喫茶店へ向かう途中、

生まれて初めて虹を見ました。\(^^)/

妻がラインで送ったら義妹は

「虹の上にサンタとトナカイが見える」と言うけど、そうかな〜。

 

サンタとトナカイが見えるかどうかは別にして、

雲たちから龍索堂と妻へのクリスマスプレゼントに違いありません。

龍索堂は空に漂う雲たちを、

意志がある友達と思っているからだねきっと。

 

大空で開催されている雲たちのショウを

子供のようなワクワク感で待っていれば、

いつも素晴らしい空模様は誰でも見えるんです。

100年以上前の祖先たちはみんなそんな思いで、

毎日空を見上げていたんじゃないかな。

 

そして心の中でもいいから、

“すごくキレイだね”

“また素敵なショウを見せてね”

って思うだけで雲たちは

「そうかい、じゃあこんどはもっとすごいのを見せてあげるよ」

って答えてくれる。

 

人間関係を断って

空を漂う雲と無言の会話をしている

おバカな田舎オジサンの毎日です。

 

全国のみなさま、息災でお過ごしでしょうか。

 

龍索堂も妻も、

大地と日月星辰のご加護をいただいて、

息災で過ごしています。(^^)v

 

 * * *

 

今日は支配と被支配について考えようと思います。

“年の暮れになんてめんどくさい話を”

というご意見はありがたいけれど捨象いたします。

 

多忙な女子と違って、男子諸兄は時間が余っているでしょうから、

幼稚園のお遊戯会のようなバラエティー番組を見飽きたら

一緒に学習しましょうね。www

 

 

龍索堂のフェイスブック友達のねずさんが記しています。

 

大和心を語るねずさんのひとりごと

 

 多くの日本人は、西洋は古くから進んだ社会を営んできた文明の先進国だと思いこんでいます。
 ところがその西欧諸国では、歴史の授業といえばギリシャ・ローマの古代史と、15世紀のルネッサンス運動以降の近世の歴史しか教えません。
 いまあるヨーロッパの諸国は、ごく一部の例外を除いて、そのすべてが15世紀以降に始まった国です。

 それまでのヨーロッパは、力と暴力が支配した粗暴なエリアで、このため国力も弱く、だから14世紀にまたたく間に、モンゴルによって攻め滅ぼされたのです。
 そしてモンゴルの時代に、モンゴルによってもたらされたのが為替金融です。
 モンゴルが遺産相続で分割されていくと、代わって力を持つようになったのがこの金融屋さんたちで、彼らは儲け話に出資をするようになりました。

 その中の最大の儲け話が、アフリカなどに出かけていって海賊行為を働いて、現地から様々な宝物を持ち帰ることで、こうして始まったのが大航海時代です。
 要するに、金持ちが船主に出資し、船主は荒くれ者の船頭を雇い、船頭は犯罪者などを雇い、海を渡って悪事の限りをつくして財宝を持ち帰ったわけです。
 こうして大航海時代が植民地時代となりました。

 その後に起こったことが市民革命といわれますが、実際には、すこし違います。
 王侯貴族よりも金を得た金融屋層が、市民に金や武器を渡し、思想家に金を出して王侯貴族の財産を奪いにかかったというのが、実態に近い歴史の見方です。
 力を持ったのは市民ではなく、金融屋層であり、その金融屋たちが、市民のなかの有能な者に金を渡し、その有能な者が人を集めて、武力革命を起こしたのです。
 これは見方を変えれば、大航海時代にアフリカやアジアでしてきたことを、力を持った金融屋たちが、今度は自国内で同じことを行ったということです。

 その後の現代に至るまで、金の時代が続いています。
 世界の国々を支配しているのは、その国の政府ではなく、裏で政府を操る金持ち層です。
 日本でも同じです。
 このことを理解しない日本人は、ついにメガバンクまで、彼らの傘下に奪われてしまいました。

 要するに(*ヨーロッパに端を発した)15世紀以降の世界はマネーゲームのもとで動いてきわたけです。

これに鉄槌を加えたのが、実は日本でした。
(*龍索堂加筆)

 

----

日本は江戸時代末期から欧米化を進めました。

それまで数百年の間、大きく変わらずに続いて来た社会構造を全く異なる国に大至急作り直す必要があったんですね。


なぜなら世界の大半の国々を植民地にしている西洋人による日本の武力支配は目前に迫っていたから。

「日本人は西洋人による植民地支配をとても嫌がった」

これは何度言っても言い過ぎではありません。

 

なぜか?

人権が認められていない時代に植民地支配を受けるというのは、被支配者はすべて奴隷の身分に落とされる。

ということは、我々はともかく「天皇陛下が奴隷の身分に落とされる」

これに多くの日本人は耐えられないでしょう。

 

それに対抗するためには軍備増強をするより他には手段がないんです。

勝てば現状維持。

負ければ奴隷。

これが国家としての二者択一だった。

(現在、北の独裁国が軍備優先を貫いている姿勢は国際政治の点では間違っていません)

 

最強の軍事兵器を持つ国だけが

正義を主張しながら

他国を植民地支配できるから。

 

昔は鉄砲だったのが、現在は核兵器・レーザー兵器・細菌兵器保有国が世界を支配している。

 

それは豊臣秀吉の時代から続いていて、現在でも全く変わっていない。www

バテレン追放令 - Wikipedia
(ポルトガルやローマカトリックによる植民地拡大の先兵としてのイエズス会宣教師たちを追放した)

 

 

更に軍備増強の裏では、資金調達の為の経済戦争も行われている。

たぶん(間違いなく)世界を支配するメンバー達が支配国と被支配国を決めているでしょうね。www

 

 

日本は終戦後70年も経っているのに、

皇居をはじめ国会と首都を米軍基地で取り囲まれて、全国を米軍支配下に置かれている。

 

そして司法も立法も、日米合同委員会と年次改革要望書で抑えられている。

またマスメディアも植民地支配に抵抗できないよう、反日議員に「平和憲法維持」で見張らせている。

 

これらを見ると、敗戦国である日本(ほんとうは日本が終戦を決めた)が自主独立国ではない事がよく分かります。

 

 

実際に日本は、日露戦争勝利〜大東亜戦争終戦までのわずかな期間しか西洋人による植民地支配を脱することができなかった。

(龍索堂は、その期間は西洋支配者たちの様子見期間だったと思っているんです)

 

【第二次大戦戦勝国=国連で敵国条項が外れていないのは日本だけ】

この意味は、第二次大戦戦勝国を決定した世界金融支配チームが、

日本を自由にすると

(欧米人の想像を越えた形で)

短期間で世界を支配してしまうおそれがある。

日本人はその為の技術力も資源も持っている」
 

つまり世界の支配層から最も恐れられている

=高い評価を得ている証明なんですね。

植民地人としては、嬉しいのか悲しいのか分かりません。www

でもそれが世界支配層の見解だからしょうがないな。

 

だからこの先も間違いなく、数十年は植民地支配が続くんでしょう。

だって日本の皇室と国家元首の喉元に

ナイフの先を突き付けられているの同じなんだもの。(*_*)

江戸時代末期の武士たちが知ったら腰を抜かして驚くだろうけど、それが現在の日本なんだ。


そして日本人はスターウォーズのクローントルーパーのように、

オリコウサンの奴隷を続けなくちゃならないんですね。

 

 

 

とうぜんですが、

日本が米軍の(米国ではない)植民地である以上、軍事戦略的な意味で北方領土は日本に与えられることはない。

なぜなら、日本がロシアの安価な石油資源と

世界最高の軍事力を手に入れたら困る人たちが沢山いるんですね。

 

 

多くの人は気づかずにいるけれど、

我々日本人は米軍に支配されている。

 

自主独立憲法を作ることができない、

核武装ができないのはその証明なんです。

 

 * * *

 

話は違いますが、

江戸時代末期から始まった人口バブルが15年前に頂点を過ぎて、

未曾有の時代に突入しています。

だからこの時代、何が正解で失敗なのかは、誰も知らない。

 

知識と経験を積んで来たはずの年寄りの知恵は全く役に立たない。(ココ重要です、試験に出ます)
それはまるで当たったことのない地震予知のようなもの。www

 

 

 

だからと言って、日本経済が衰退して行くわけではないんです。

グラフを見れば分かるように、

人口バブルが始まった150年前の明治時代に戻るだけなんです。


多くの組織運営者は意味を深く考えたこともなく、

ひとつ覚えのように発展だ、拡大だと言うけれど、

もう縮小・統廃合の時代になっている。


昔のやり方を繰り返しているようでは、お先が暗いですね。

 

頂点を基準にするのは間違い。

始点を基準にするのが正しい。

 

と龍索堂は思っているんです。

なぜなら、150年前のように

食糧生産や軍備増強の為に大量の人口がいらない時代になっているから。

 

 

「150年前に戻ろう」

龍索堂はこれを2018年の年間テーマにしょうと思います。

 

なんだか消化不良のような記事になりましたが、輝く未来についての考察は、また来年の宿題といたします。

 

 

いつもお訪ねくださった方々、

ときどきお訪ねくださった方々、

お訪ねくださって、ありがとうございます。

 

新しい年が、皆様にとって安寧で幸多い年であることを深く願います。

 

 

今回はアンドレア・ボチェッリではなく少女たちと一緒に

「コン・テ・パルティロ(Con te Partirò - With you, I will go")」

を歌いながら、お訪ねくださった方々の身心の安寧を祈ります。

龍索堂拝具 m(__)m

 

 

 

 

 

過去の夢と未来の思い出の交差点_改訂

  • 2017.12.23 Saturday
  • 11:11

 

寒さ厳しい中、全国のみなさまは息災でお過ごしでしょうか。

 

 

龍索堂は、過去の夢と未来の思い出の交差点で、

妻に買ってもらった早川コーヒーを毎日飲んでいます。

 

あ、ヨーガのアーサナを毎日欠かさない妻は

今では私よりも創建のようです。www

 

 

仕事だけのために田舎の町で暮らしていて、

新聞もテレビも見ておらず、

ラジオも聞いていないと、

都市の巷にいた時に見聞きしていた

クリスマスやお正月の商業広告の喧騒が

まるでウソのように思えます。

 

それに比べると今の龍索堂は、

とうぜん流行の商品も食べ物も場所も分からない。

でもね、それで困ることは何もないんです。

 

まるで、心の平安を得る為に

ワークショップをしているように思えてくるんです。

 

 

ということは、

都市生活者たちは、ほんらい望んでいない商業広告によって

日々、脳内・思考を汚染されていることがよくわかります。

 

全国民を大量生産・大量消費させるために発信されている商業広告。

 

それらを維持・拡大させるための営利追求の中では

どう過ごしたって多くの人が人間関係に疲れ果てています。

そんな人は、汚染都市の中から逃げ出しましょう。

 

 

そして日々めまぐるしく移り変わる刺激が何もなく、

知ってる誰もいない田舎で暮らすことをお勧めします。

人間的で良いですよ。

 

もちろん、中毒患者のように、

刺激になれた人にとっては、

とても退屈な生活には違いありませんけれど。www

 

でもね、今ではスマホやPC1台あれば

世界中の情報を得ることができるわけですから、

それほど寂しくもないんですよ。

 

龍索堂もフェイスブックで、

少ない知人とだけ“いいね”のやりとりをしています。

(もちろん公開していませんが)

 

そしたらフェイスブック管理者は、ごく数人の友人だけで、

まったく友達を増やそうとしない龍索堂を怒っているのか、

最近はインドネシアやアフガニスタンやアラビア人を表示して

“友達ではありませんか?”って毎日お知らせしてくる。

ほんとに容赦ないなぁ、

漢字表記の日本人なのに。www

 

 * * *

 

はじめに記した

<過去の夢と、未来の思い出の交差点>

について少し考えてみます。

もちろん、交差点とは現在のことです。

 

現在という流れる交差点に立って

過去と未来に思いを馳せる時にいつも思うんです。

 

じっさい今生きている(と思っている)のが

過去の自分が望んだ未来の夢なのか

未来の自分が思い出している過去の夢なのか

どちから分かりません。

 

たぶん、どちらも正解なんでしょうね。

 

過去の自分はこう思っています。

「未来の私はまだ生まれていない」

だから「未来の私はこうありたい」

 

未来の自分はこう思っています。

「過去の私は既に死んで生まれ変わっている」

「あの時はこうすれば良かった・・・」

そして更に「未来の私はこうありたい」と。

 

なんだ、過去・未来どちらの自分も、

見果てぬ夢を見続けているだけなんだ。www

 

 

でもね、同時並行次元(宇宙)の龍索堂たちはこう言うんです。

 

『おまえはそのままでいい。

 

おまえは別のおまえを望む夢として見ているが、

同時に別のおまえたちは、

今のおまえを憧れの存在、

望む夢として見ている。

 

だから、おまえはそのままでいい。

別のおまえは千どころか無限にいるのだから。

 

もちろん変更や努力が必要な時には

その状況が現れるのだが、

望んで何かに変わる必要も、

望んで何かを変える必要もないのだよ。

 

忘れないように、

おまえが夢として見ている別のおまえは無限にいる。

 

だからお前はお前ひとりであると同時に、

また無限の夢の一部でもある』

 

 

今日の啓示では、ゾクチェンの「金剛の歌」のような

イメージのかたまりが湧き上がってきたのでした。

 

『多様な現象の本性は不二だ。
 ひとつひとつの現象も、
 心の作り出す(思考の)限界の彼方にある。

 

 あるがままのものを定義できる概念などありはしない。
 にもかかわらず、顕現はあらわれ続ける。
 すべてよし。

 

 一切はすでに成就しているのだから、
 努力の病を捨て去り、
 あるがままで完全な境地の中にとどまること、
 それが三昧だ』

 

(『ゾクチェンの教え』ナムカイ・ノルブ著 永沢 哲訳 知湧社)

 

 

実はこの歌について解説したいと昔から思っているんです。

けれども、龍索堂はゾクチェンやニンマ派のマスターではないので、

解説いたしません。

 

但し、聖句として心の中で何度もなんども、

繰り返し唱えることは有効です。

 

じっさい、どんな難しい聖句や理論であっても

毎日唱え続けて1000日経つと、

自分の思考を形作っている奥の更に奥から、

その義(主題や意味)が(その時の自分が理解できる形で)現れてくるんです。

 

なぜなら、人間の思考はそのように出来ているから。

 

魏の学者である董遇が、弟子入りを申し込んだ者に対して言ったとされる

「読書千遍、其の義自ら見る」は、

たんに「読書方法を教えた」のではなく、

また「読書を千遍してから出直して来なさい」と言ったのでもなく、

「読書を千遍したら義が理解できるから自分のような師匠は必要ないのだ」

と言ったのでもない。

 

董遇はそれら全てを併せて更に、

『人間の思考パターンは反復練習によって変化する』

という重要なことをも教えたのでした。

 

「読書千遍、其の義自ら見る」

この言葉は、実に素晴らしい教えでもあるのです。

 

 * * *

 

いつもやかましく、目が回るような刺激の多い都市の中で

身心共に疲れ果てている貴方、

できたら少し休暇を取って

いままで一度も行ったことのない

知る人が誰もいない田舎を訪れて、

のんびりと過ごしてみてください。

 

そうすると、知らず知らずのうちに

身心に溜め込んできた汚染物質や邪気が、

朝靄のように音もなく晴れますよ。

 

 

今年の記事はこれで終わりの予定です、たぶん。www

来る年が、皆様にとって幸多い年であることを願います。

 

 

いつもお訪ねくださった方々、

ときどきお訪ねくださった方々、

お訪ねくださって、ありがとうございます。

 

龍索堂に少し雰囲気が似ている(と自分勝手に思っている)

マーティン・ハーケンスと一緒に

「アヴェ・マリア」と「ユー・レイズ・ミー・アップ」を歌いながら、

今年お訪ねくださった方々の、身心の安寧を祈ります。

 

龍索堂拝具 m(__)m

 

 

 

 

 

 

 

 

5つの正義

  • 2017.12.10 Sunday
  • 10:10

 

 

 

 

みなさまつつがなくお過ごしでしょうか。

 

龍索堂も妻も、

大地と日月星辰のご加護をいただいて、

息災で過ごしています。(^^)v

 

 * * *

 

先日、テレビ番組ドクターXを見ていてふと思ったんです。

番組のテーマである、権力闘争の中における人間の命の尊さ、

そしてそこで行われている正義と不正義。

それは、いつの時代も終わらずに延々と繰り返されている。
 

ということで今回は正義について考えてみます。

 

私たちの知っている正義とはいったい何なんでしょう?

 

ユダヤ教,キリスト教においては「神の義」の意味で用いられる。
 この際,義は普通の倫理的な意味における「正義」とは異なり,唯一神の属性であり,それにのっとることこそ人間の義なる (正しき) 生活の規範とされた。

旧約聖書では神の義は神ヤハウェの動的啓示的行為として現れ,しいたげられたユダヤ民族はそこに示された神の意志に服従し,律法を遵守するとき民が救われると考えられた (イザヤ書 45・8,51・5〜7など) 。

新約聖書における義の観念もユダヤ教の義の延長上にあるが,パウロにより徹底的に深化され,律法によらずキリストを信じることにより,恩恵的に与えられるものとされた (ローマ書4・11,13など) 。

この信仰による義においては,人間の生は「義の武器として神にささげ」 (同6・13) られたものとみなされる。

このように信仰によって義とされることを義認あるいは義化 dikaiosis,justificatioという。

by コトバンク

 

 

儒教における「義」
儒教における義は、儒教の主要な思想であり、五常(仁・義・礼・智・信)のひとつである。

正しい行いを守ることであり、人間の欲望を追求する「利」と対立する概念として考えられた(義利の辨)。

孟子は羞悪の心が義の端であると説いた。

羞悪の心とは、悪すなわちわるく・劣り・欠け、あるいはほしいままに振舞う心性を羞(は)じる心のこと。

by Wikipedia

 

 

これらは宗教的な定義ですが、

現代人の私たちが正義の言葉を使う場合、

倫理や道徳としての用例が多いんですね。

 

しかしながら、

加害者にとっての正義があるのなら

被害者にとっても正義はある。

善人にとっての正義があるならば、

悪人にとっての正義もある。

権力者に正義があるのなら、

奴隷にとっても正義はある。

裁く側の正義もあれば、

裁かれる側にも正義はあるんです。

 

 

この時期になると、毎年放送される赤穂浪士の討ち入りも同じです。

吉良家、播州赤穂家、どちらにも正義はあるんです。

しかし赤穂浪士たちは夜盗、現代でいえばテロリストなのに義士として扱われる。

それは有名な事件を題材として脚色した

「仮名手本忠臣蔵」(かなでほんちゅうしんぐら)」の作者の意図によるんです。

 

田舎の大名が、朝廷との交渉役であり足利一族に連なる名門吉良家の殿様に切りつけたことで切腹させられる。

そういう殿様に仕えた赤穂藩士は不運だった。

話はここで終わるべきなんです。

 

しかし江戸幕府は、赤穂浪士達の復讐事件をきっかけに、意図的に吉良家を潰した。

それは吉良家が、当時の幕府の中で

徳川・松平一族よりも氏素性が高い地位にいたから。

(その後吉良家は再興された。こういう処断をする徳川幕府は偉いね)

 

この事件には、いくつもの正義があります。

 

夜陰にまぎれて殺害された吉良上野介と、その後若死にした息子の正義

播州赤穂浪士たちの正義

江戸幕府の正義

どの正義を支持するのかは個人の自由ですが、

なにより忘れちゃいけないのが、

「仮名手本忠臣蔵」を読んで、あるいは舞台で芝居を見て熱狂した江戸町民の正義

そして、その小説や芝居で利益を得た人たちの正義もあるってことです。www

 

 

実はこの正義の構造は、江戸時代以前から続いていて、

今現在も終わらず、日々繰り返されているんです。

 

(1)加害者

(2)被害者

(3)為政者

(4)傍観者・評論者

(5)営利目的の情報発信者

 

正義が主張されるのを私たちは毎日嫌になるほど見聞きしています。

新聞やテレビのニュースです。

報道者たちはどの企業も公正や公平を正義として主張している。

そしてそれらの多くは相反している。

なぜなら、(1)〜(5)どの立場に立つかによって、

優先順位が異なるから。

 

新聞やテレビのニュース制作者たちは頭が良いので、

それらどの立場も、論理的矛盾を抱えていることを知っているんです。

 

だから公正な正義の論争を避けて、

ひたすら弱者の味方のようにふるまう。

“悲しい”や“可哀そう”という感情だけを主張して、

読者や視聴者の同情を得ているんです。

 

つまり私たちは、新聞やテレビのニュースによって、

事実以上に、悲しい・可哀そうを見聞きさせられている。

(ここに現代日本の新聞やテレビニュースの欠陥がある)

 

そうすることで利益を得ているとはいえ、

最近は過剰な演出が多いと思うね。

 

そして、有罪か無罪かも分からない者を名指ししても、

その後の結果については放送しないことが実に多い。

 

 * * *

 

我々の生きている時代の全ての正義は、

過去の時代の正義ではなかったように、

また未来の時代における正義でもない。

 

ということは、正義も不正義も絶対的なものではなくて、

時代や国によって変わる、流動的な物ってことなんです。

 

 

アガサ・クリスティーは「オリエント急行殺人事件」で、

こういうことを言いたかったのかな?WWW

今回の映画は役者たちの演技が素晴らしく良い作品でした。

 

 

 

 

「正義(不正義)」ってなんだろうと思ってみたけれど、

考えれば考えるほど、ますます分からなくなります。www 

 

でもひとつだけ分かっていることがある。 

正義とは人間が幸福を得ようとする時に行う手段や方法です。

 

もっと分かりやすく言えば、

人が心地よく生き延びる為の言い訳。www 

 

それが無くても良いけれど、

あった方が自分や他人を納得させやすい。

ただそれだけなんですね。www

 

 

私たち人間は、

幸福を得る為に、生き残るために、

ありとあらゆる方法をとります。

人を騙したり、窃盗や姦淫をしたり、

時には他人をも殺害します。

 

不正義を犯すその瞬間、

誰の頭の中にも正義がよぎる。

「結果が露見したら罪を得て社会的に抹殺される。

しかしそれでも、分かっていてるけどやめられない」

と思いながらも不正義を行うことがある。

 

つまり私たちは誰もが、

幸福を得るために、生き残るために、

正義ではなく、不正義を選択することがあるんです。

 

しかしながら、実は本当にたいせつなのは、

正義と不正義の中間にある。

 

正義だけ、不正義だけ。

そのどちらか一方に偏っていてはいけないんです。

というと「なぜ正義に偏るのはいけないのか?」と思うでしょう。

(1)加害者

(2)被害者

(3)為政者

(4)傍観者・評論者

(5)営利目的の情報発信者

これらのどの立場も一面的でしかないから。

 

 

正義・不正義

そのどちらにも偏らない立ち位置や生き方がある。

その地点こそ、私たち人間が

大いなる存在から叡智を受け取る場所なんです。

 

 * * *

 

そういえば昔、何人もの経営者たちを傍で見ていた時、

口では正義や道徳や倫理や顧客満足度向上を使用人たちに言いながらも、

実際には、利益を得るために陰では不正や不倫を行い、

また他人を貶めたり虐めていた。

 

最近、有名なテレビ番組に出演して、真面目な顔で、

「利益よりもお客さまのために」とか言ってる人もいたね。

もちろん“オマエガソレヲイウカ”って大笑いしたよ。

 

龍索堂がかつて仕えてきた経営者たちは、

多かれ少なかれそういう性向をもっていたな。

 

“コイツラは絶対に許されるべきではない”

若い時には何度もそう思ったよ。

でも今では彼らの行った不正義の全てを許せるけどね。www

 

 

なぜなら、そういう低レベルの反面教師たちと縁があったのは、

わが身の不徳なんだから。

そう思って、不正や不倫を露見させずに組織を離れたんです。

オイラはお手本のような奴隷です。wwww

 

だって、彼ら組織運営者、経営者たちは

テロリストを一方的な見方で義士と呼び、

可哀そうとだけ思う江戸町民と同じレベルの

至らない人たちだったんだもの。

 

そういう風潮だから、

領地内にいるときは赤馬に乗って民百姓に声をかけて回る、

優しい殿さまを失った三河吉良の人たちの悲しみについては何も語らないし、

知ろうとさえしない。

 

「赤馬に乗った吉良の殿様」

吉良上野介(本名:吉良 義央 よしひさ)は、地元では領民に愛される穏やかで優しい殿さまだったと伝えられています。

(実は龍索堂の妻の祖父は三河國吉良の出身なんです)www

 

 

 

 

いえいえ、昔を思い出して経営者たちを指さしてバカにしているんじゃないんです。

 

私たちは多かれ少なかれ、

犯罪者に向けて石を投げつける資格などどこにもない。

たとえ法律家や判事や裁判官であったとしても、です。

 

ヨハネによる福音書 第 八 章

8:3-4    すると、聖書学者たちとパリサイ人が、1姦淫の時に捕まった女を連れて来て、真ん中に立たせイエスに言った、

    「先生、この女は姦淫を犯している現場で捕まえられました。
 8:5     モーセは律法の中で、そのような女を石打ちにするよう、わたしたちに命じています。

    ところで、あなたは何と言われますか?」
 8:6     彼らがこう言ったのは、イエスを試すためであり、彼を訴える口実を得ようとしたのである。

    しかし、イエスは1身をかがめて、指で地面に書いておられた。
 8:7     彼らがしつこく問い続けたので、イエスは立ち上がって彼らに言われた、

    「あなたがたのうちで罪のない者が、まず彼女に石を投げなさい」。
 8:8     そして再び、彼は身をかがめて、地面に書かれた。
 8:9     彼らはそれを聞くと、老人から始まって、一人また一人と去って行った。

    そしてイエス一人が残され、女はその真ん中に立っていた。
 8:10     イエスは立ち上がって、彼女に言われた、

    「女よ、彼らはどこにいるのか? だれもあなたを罪に定めなかったのか?」
 8:11     彼女は言った、「主よ、だれもいません」。

    イエスは言われた、「わたしもあなたを罪に定めない.行きなさい.今後はもう罪を犯してはいけない」。

 

 

ああ、そうだった。

(1)加害者の正義

(2)被害者の正義

(3)為政者の正義

(4)傍観者・評論者の正義

(5)営利目的の情報発信者の正義

 

これら以外にも多くの人が語らない正義があった。

(6)吉良家、播州赤穂家の家門が零落すべき正義

 

悲しいとか可哀そうとかの次元ではなく、

両家の零落は、起こるべくして起こった。

と龍索堂は思っているんです。

 

現在、破竹の勢いで事業を発展拡大していても、

その裏側で不正義を行い、

多くの人たちを泣かせているのなら、

どれほど大きな組織団体に成ったとしても

将来は間違いなく危うい。

臨界点を越えた時に、一気呵成に零落して行くんです。

「人は石垣、人は城」と歌われた甲州の名門武田家(当時の日本最強の軍団)が、

武田信玄の息子の代で瞬く間に滅びたように。

 

これを運命学で論証・考究すると論文がひとつ書けるね。www

でも、龍索堂にはその気力がありません。

どなたかに、このテーマをお譲りいたしますです。

 

 

この記事を読んでくださっている若い人たち、

未来の経営者、組織団体の責任者に成る貴方たちには

心に留め置いてほしい。

 

正義と思われている不正義の実行

不正義と思われている正義の実行

私たちや家族、そして組織の発展を妨げる物は

実のところ、そのどちらかが原因なのです。

 

確かに、現代社会で成功者と呼ばれ成り上がる為には正義・不正義、利益・不利益を追及するのが手っ取り早い。

でも、それだけでは、どういう道を選んでも、

先々、つまり将来が危ういんです。

 

だから重要な決断をするとき、

正義や不正義の立場を越えた、

仁愛の立場に立って

最後までそれを崩さないでください。

 

そうすれば、

どのような決断を下しても、

貴方や貴方の家族、その組織の未来は

仁愛を受けたものたち(人と物の両方)によって

必ず明るく照らされるから。 

 

 

いつもお訪ねくださる方々、

時々お訪ねくださる方々、

お訪ねくださりありがとうございます。

 

 

サラブライトマンとアンドレア・ボチェッリの

タイム トゥー セイ グッバイを歌いながら、

皆様の無病息災を祈念申し上げます。

 

 

 

 

 

有り続けること難し

  • 2017.11.15 Wednesday
  • 23:23

 

 

 

 

みなさまつつがなくお過ごしでしょうか。

 

龍索堂も妻も、

大地と日月星辰の御加護を頂いて、

息災で過ごしています。(^^)v

 

今日は2日の休暇をもらって、

久しぶりに妻とお伊勢参りに行きましたので、

少し機嫌が良いから記事を書いています。

 

 

妻は「特別参宮章」を持っているので、

外宮でも内宮でも、

御垣内参拝(みかきうちさんぱい)を致しました。

 

ところが、龍索堂は運転のために、

タートルネックのセーターとジーパン姿だった。

せっかく用意したスーツとネクタイを自宅に置き忘れてしまった為、

御垣内参拝はできませんでした。(T_T;)

 

御垣内参拝は、お守り頒布所の横にある「造営資金受付」で

数千円程度以上の初穂料を奉納すれば、誰でも垣根の内側で特別参拝できます。

(但し正装などキチンとした服装でなければ垣内には入れてくれません)

 

次回、参拝するときには忘れないように、

スーツを着込んだまま行きます。

 

 * * *

 

私たちには、

離れてから・失ってから・無くなってから、

『常に有(り続け)ることが難しい物だった』

と気づく物があるんです。

 

両親や家族、親戚や友人知人。

お気に入り大切な物。

いつも私たちを取り巻いて

生かしてくれている空気や水。

香りを放って微笑んでくれる花たち。

雲を彩り、朝焼けや夕焼けを見せてくれる太陽。

 

 

この世界にある全ての物は、常に移ろい行くので、

私たち人間が“愛しい”と思う全てが、

無きこと易し(いとも簡単に無くなってしまう物)なんだね。

 

「有ること難し」は、

その前提として常に

「無きこと易し」がある。

 

それだからこそ、

他人から自分に差し向けられる

暖かい思い遣りを感じた時、

心で嬉しいと感じることを

私たちは“有難う”と表現するんだ。

 

 

友達もほとんど作らずに

一人ぼっちで生きているような龍索堂にだって、

いつも変わらぬ思いを灌いでくれる人たちがいるんです。

 

今では、妻と息子と親戚や友人知人、

数えてみても両手の指が余るほどだけどね。www

 

それでも良いんだ。

表面的な体裁だけの付き合いよりは、

気心を知り合った数人だけで良い。

 

この世界を去る時、

わずか10人ほどの知り合いだけが

「サヨナラ」を言う為に集まってくれれば良い。

 

ああ、それから、毎日見慣れた太陽も、

龍索堂に暫しのお別れを言ってくれると思うよ。

最近、週に5日の田舎暮らしをしている中での楽しみは、

「朝焼けスッゲェー!」

「夕焼けスッゲェー!」

って心の中でルフィのように叫びながら、

太陽と雲の素晴らしいショウを見る時なんだから。www

 

 

 * * *

 

今日は「創造・維持・破壊という3つの機能

について記そうと思っていたけれど、

ここまで書いてきて気が変わったので、

共感について少し記します。

 

 

龍索堂の妻は、強い共感(維持・管理)能力を持つんです。

私自身は、強い切断(破壊・創造)能力を持ちます。

 

そのどちらの能力も合わせ持っていれば、

立派な祈祷師や宗教家や創業者に成れるんだけれど、

二人の能力を足してやっと一人前なので、無理なんです。www

 

 

妻は幼い頃から霊感が強いため、

寝ている時に金縛りにあうことが多かったんです。

たいていは自分に縁があって苦しんでいる亡者だったと言いました。

そして、亡者の抱えている恐怖に心底怯えていたそうです。

 

龍索堂と一緒に暮らし始めてからも、

金縛りは起こっていました。

この世界に怨念や強い執着を残した近親者を供養し始めてから10年ほど経つと、

あれほど頻繁に起こっていた金縛りは無くなりました。

 

でも、神社や寺院にお参りしたり、

知らない人に出会った時には、

たまに負の意識に同調して金縛りにあう。

そういう時には龍索堂が祈祷法で祓ってあげたんです。

 

妻も習って知っているはずだけれど、

恐怖に襲われて混乱している中では、

冷静に祈祷が出来ない。

だから、傍にいる私は妻のお守り係なんです。

 

この事は以前、

カラス天狗とお茶を

でも記しましたので、過去記事をごらんください。

 

 

目に見えない負の意識からの影響を受けなくなってからの妻は、

出会った昔とは別人のように見えるほど変わりました。

人相もそうですが、持っている雰囲気がぜんぜん違うんです。

 

だから最近の妻は、高次元の神霊と仲良しです。

 

龍索堂は相変わらず妻の隣で、馬頭明王のように悪霊を追い払う係です。

いろいろ工夫努力したけれど、

神霊や他人や亡者との共感は、どうも苦手なんです。
 

 

 

 

神様の覗き穴」87-88P 保江邦夫
 愛と神様
  (中略)
  また当時イエスが生きた地域を支配していたローマ帝国の言語であるラテン語では、愛はcaritus(カリタス)という言葉になり、その後に英語のcarity(チャリティー)となります。
   今ではチャリティー番組とか、チャリティーショーなどのように慈善行為を表す用語として日本語の中にも定着していることからもわかるように、本来の愛は生殖行為や愛欲とは無縁の、慈善や慈悲という意味だったのです。

 

 では、日本や中国などの漢字文化圏において、愛はどのようにとらえられていたのでしょうか。
   「愛」の字の天井部分は人の手を表します。また、床の部分もやはり人の手を表しています。似たような漢字で「受」についても、やはり人の手を表しています。そして船を表すワ冠の部分は一般的な「物」を意味します。
   ということは、「受」という漢字の意味は「物を手渡す」ということになります。
   そうすると、「愛」という漢字の意味は「物に心をこめて手渡す」ということになるのではないでしょうか。まさに日本における職人気質そのものといってもよいでしょう。その物を受け取る人の身になって作り上げた物を手渡すのが愛の原点であれば、愛とは他の人と共感することだともいえるのではないでしょうか。
   慈善や慈悲あるいは慈愛というものも、この世に存在するすべての人や物との共感を得ることだと理解することもできますので、やはり愛とは共感であり、愛するとは共感することを意味するのがもっとも腑に落ちる気がします。
   そして、誰かとの共感が愛であるなら、究極の愛といえばやはり究極の存在である神様との共感を得ることになるのではないでしょうか。
   そう、愛とは神様と共感することなのです。だからこそ、神様は愛そのものだという考えも生まれてくるのではないでしょうか。
   愛を得る、つまり神様と共感するには神様と同じものを見たり感じたりする必要がありますが、そうするためには他の人が周囲にいてはじゃまになります。そこで独りになって過ごす時間が大切になってくるわけです。この世界を1人だけ
  で見つめることで、同じくこの世界を孤独に眺めている神様の視点に立って共感を抱くことができるようになり、愛を得ることができるのです。

 

 

愛は慈善や慈悲という意味

   ↓

物に心をこめて手渡す

   ↓

愛とは他の人と共感すること

   ↓

愛とは神様と共感すること

 

 

保江邦夫先生は、このように記されていて、龍索堂も同感しますです。

 

龍索堂の人生の最大のテーマが、

愛=他者との共感であるので、

妻から長年それを教わっているんです。

 

でも、気に入ったモノへの思いやりは深いんだけど、

創造のための破壊は得意なんだけど、

愛=他人との共感は難しいな。(T_T;)

 

 

だから今の龍索堂にできるのは、

一週間に一度の休日に、妻へ『ありがとう』と心から何度も言うこと。

 

それから、残り5日の一人でアパート住まいの時には、

遠くから妻の身心にまとわりつく負のエネルギーを取り除くこと。

あとは、空と海と太陽に共感することだけなんだ。

 

 

妻が「愛」のエネルギーと共に

疲れた私の身体を癒すとき、

その治癒能力は最大限に発揮されて、

自分では癒せないゆがみを正す。

 

龍索堂が「愛の」エネルギーと共に

負のエネルギーを妻の身体から取り除くとき、

その除災能力は最大限に発揮されて、

自分では祓えない怨念を除く。

 

私たちは、生まれながら持っている「愛のエネルギー」と共に

他者や他の物に思いを遣わすとき、

(それが人生の定めの内である場合)

誰もがただ手を当てるだけで、

最高のヒーラーや祈祷師になることが出来るんです。

 

 

なぜなら、
愛こそが生命の神髄(クイントエッセンス)だからだ。

by アルベルト・アインシュタイン

 

 

この記事を読んでくださっている皆さん、

利害関係の無い家族や友人知人は

特にたいせつにしましょうね。www

 

そして家族や友人知人がいない人、

何物も持っていないと思っている人。

大地と空と海と太陽だけは、

そして「愛のエネルギー」だけは

いつまでも変わらない貴方の味方だよ。

 

 

自分の周りにいる人たちへ

出会った人たちへ

大地と空と海と太陽へ

なにより自分の身体と心に向けて

愛を、暖かい思いやりを、

惜しみなく灌いであげる。

 

それこそが、

この世界に生まれて来た人間としての使命なんです。

 

 

 「有ること難し」は、その前提として常に「無きこと易し」がある。 

しかしながら、

愛のエネルギーは「有ること易し」「無きこと難し」なんだ。

 

 

いつもお訪ねくださる方々、

時々お訪ねくださる方々、

お訪ねくださりありがとうございます。

 

 

カテリーナの歌とバンドゥーラ演奏による
カッチーニ アヴェマリアを聞きながら、

皆様の無病息災を祈念申し上げます。

 

 

 

 

 

 

自由の翼

  • 2017.11.06 Monday
  • 12:12

 

“記事を更新しないから訪ねて来ないで”

って言ってるのに、

更新していた時よりアクセス数が増えている・・・(*_*)

 

みんな、こんな変なオッチャンのブログなんか読んでないで、

真面目な奴隷稼業に専念してくださいね、

まったくもう。

 

でないと出世街道から脱落して、

龍索堂のように田舎の雑用係に成ってしまいますよ。www

 

家族や友人から何をどう言われても、

“そんなの自分には関係ないよ”って言える

度胸があるなら、まぁそれでも良いけどね。

 

 * * *

 

龍索堂も妻も日月星辰と大地のご加護をいただいて、

ありがたいことに、今日もなんとか無事に暮らしておりますです。

 

最近は余生が短くなってきたためか、

「ありがとう」

「美しい」

「美味しい」

を心がけて言うようにしているんです。

 

楽しい時も、寂しい気持ちの時も、

空を見上げると、美しい世界が広がっているから。

 

 

ビルの谷間で蠢いている月給鳥さん達には、

山も海も見えないだろうけど、

 

田舎住まいの龍索堂には、

毎日まいにち、太陽や雲から

「オマエのちっぽけで

つまらない思いなんてどうでも良いんだよ。

ほら見上げてみろ、素晴らしく美しいだろう」

って言われているような気がする。

 

 

 

 

 

たしかに。

大空の荘厳なショウを見ていると、

何もかも忘れてしまう。

 

いったい何時からだろう?

空や道端の草花を見なくなったのは。

 

 

「みんなで仲良くしなさい」って言われたけれど、

『あなた達大人は皆、

群れから離れようとする子どもを見ると

お決まりのようにそう言うんだね。

群れと個人の意味を、自分の中で深く考えたこともないのに』

って本当に思っていたんだよ。

 

そして、『そんなのどうでも良いよ。

友達なんて一人もいなくたって良い。

だって楽しいことは人間関係の中には見つけにくいもの』

って思っていた。

 

 

だから、小学生低学年の時には独りで、

毎日ワクワクするような楽しいことだけを探していたっけ。

だから明日の空模様も、

雪が降る前の匂いも知っていたし、

名前を知らない草花や昆虫も見知った仲間だった。

 

でも、一人前の社会人って名前の大人になるために、

仲間から遠ざかってしまったんだ。

 

あれから数十年の間に、いろんなことがあったよ。

沢山の人と出会って、

たくさんの人と別れた。

いろんな処へも行った。

 

子どもの頃には想像できなかった長い年月を経た今、

昔のように空を見上げてみると、

そこには昔の仲間が今でも変わらずに居た。

 

太陽も雲も道端の草花も、

人間の想像を超えた力によって

今日も荘厳なショウを演じていてくれる。

かれらから見たら、

人間の一生なんてほんの僅かな時間なんだろうな。

 

だから、今一人ぼっちで苦しんでいて

誰も助けてくれないと嘆く時には、

果てしない大空を見上げてほしい。

 

私たちは100年ツアーで地球に訪ね着いた旅人なんだ。

 

何をしても良いし、何をしなくても良い。

何処へ行っても良いし、何処にも行かなくても良い。

 

どのみち、この記事を書いている龍索堂も、

それを読んでいる貴方も、

100年後にはこの世界に居ないんだから。www

 

 

今この記事を読んでいる貴方の周囲には、

物知り顔で偉そうに説教する

両親や家族や教師や友人たちがいるよね。

でもね、彼らは自分とは深い縁があるけれど、

しょせんは異なる人生を過ごす他人なんだよ。

 

他人の意見なんて自分にはぜんぜん関係ない。

聞き入れたい意見だけを採用すれば良い。

 

と言うと、

「わがまま」「自分勝手」「無責任」「無自覚」って他人は言うよ。

もちろんだけれど、

今生きている社会からの束縛も責任もあるから、

罪を得れば犯罪者にされることだってある。

 

でもね、誰が何と言おうと、

自分の身心は自分に責任がある。

 

自分のやりたいことをやる。

ただそれだけで良いんだ。

あとはなんとかなる。

何ともならないときはならない。

それでも良いんだ。

 

努力や根性や成長や成功が好きなら、

20代の龍索堂のように、

社会での成功者たちの自伝を読むと良いよ。

 

でも、それらは結局のところ、

生まれ育った条件の異なる

他人の人生に起こったことだから、

読んでいる自分とは何一つ、ほんとうに何一つ関係なかったんだ。

 

 * * *

 

私たちは自由なんだ。

たとえ今、鉄の足枷がついた奴隷や使用人だったとしても、

心の奥に秘めた想いは誰にも縛ることはできないんだ。

 

人間は生の1/3を寝ている。

その間だけは、自分だけの自由な時間。

だから、睡眠時間にまで人間同士の争いやいがみ合いや

喜怒哀楽を持ち込む必要はないんだ。

 

 

私たちは自由なんだ。

だから夢の世界では、

自分の望みどおりに大空を飛ぶことができる。

 

私たち人間の感情による思いはちっぽけなんだけど、

その奥にある広大な意志全体は自由の翼を備えているんだ。

ただ、誰もその広げ方を知らず、

飛ぶ練習をしていないだけなのさ。

 

だから、意志の奥にしまってある翼を引っ張り出して、

少しづつ夢の世界で飛ぶ練習をしてみよう。

最初は不格好に飛び降りることしかできないけれど、

すぐに慣れて、好きな空間を思うように舞うことができるようになる。

 

 

夢の世界で自由に飛ぶためのコツは、

夢の門へ着く直前に、一日に起こった事を全て事実のままに思い出すんだ。

その事実について、自分の感情で判断や評価を繰り返してはいけない。

そして、起きたことを重要なことも些末なことも全て忘れてしまう。

忘れるってことが、執着しない・執着されないコツなのさ。

<夢の門の前に立ったまま一日を過ごした自分を見ると、その場所に自分はいない>

ってことが分かるよね。

それで飛び立つ準備ができたことになる。

 

龍索堂は、自分で思いついたこの方法で自由の羽を広げて

空を飛ぶことが出来るんです。

 

他人に勧めるのはこれが初めてだから、

何日も何週間もかかる人がいるかもしれない。

あるいは飛べない人もいるかもしれない。

 

けれども、飛べる飛べないは別にしても、

朝起きた時に、昨日の感情の塵芥を引きずっていることは少ないはずだよ。

むしろ過去の苦しみや悩みを引きずっている人にとっては、

夢の世界で飛ぶよりも、

身心を休息させる事の方が重要かもしれないね。

 

 

夢の世界で飛ぶ方法を教えたけれど、

何処かで誰かが、

今いる所でもがきながら、

出口が見えないために苦しんでいるのかな?

 

でもね、そう言ってる龍索堂自身が

出口が見えずに、今でも毎日、

あがいてもがいて苦しんでいるです。

 

「長く生きているのに、どうしてそうなんだ」って?

 

オイラも並みの人間だからね。

この世界の旅を終わるその瞬間まで、

毎日まいにち、あがいて、もがいて、苦しみながら、

喜んで・怒って・哀しんで・楽しんで過ごすんです。

 

それが人間としての生だものしょうがないよ。(^_^)v

 

おバカな記事を書いているオイラのような貧乏人も

それをヒマつぶしに読んでいるみんなも、

世界の1%のスーパーリッチな人たちも、

みんな同じなんですよ。

世界人口の1%、全体の富のほぼ半分を保有

「たったの62人」大富豪が全世界の半分の富を持つ、あまりにも異常な世界の現実

2016年、「1%」の最富裕層が世界の半分以上の資産を握る(調査結果)

 

 

とはいえ、龍索堂は時々ふと

いろんな情景をフラッシュバックのように思い出すんです。

オイラは昔(過去生)、

何不自由ない大貴族だったはず。

また女性だったこともある。

独裁者の暴君だったこともあるし、

大衆に尊敬される賢者だったこともある。

虐殺者だったことも、虐殺されたこともある。

 

ということは・・・

この記事を読んでいる貴方だって、

きっとそうに違いない。

 

そして、誰にも身心の役目が終わった次には、

必ず新しい生がある。

 

過去や未来の生(人間ではないこともあるので人生とは断言できない)を思う時、

自分も他人も、

人間は無限の時間を自由の翼で飛ぶ旅行者なんだよ。

 

よくよく考えてみよう。

自分にとって外せない足枷だと思っている現実の物質が、

実はただの幻に過ぎなかった。

そんな驚きの日が早く来ると良いね。

 

最近はそう思っているんです。

 

 

以上で「自由の翼」を終わります。

 

 

あっ、記事は頻繁に更新しませんので、

毎日訪ねて来てはいけません。

 

 

努力や根性や成長や成功が好きでない貴方www

ヒマつぶしに毛色の変わった記事を読みたいのなら、

坂爪圭吾

ふぐり玉蔵

飯山一郎

さん達の記事を読んでくださいね。
 

毎日まいにち、奴隷として働いている優秀で賢いアナタ、

少しだけ立ち止まって、

自分の遠い過去と未来に想いを馳せてみてください。

 

釈尊に襲いかかろうとしたけれど、

神通力によってどうしても襲いかかれず、

「御身よ止まれ」と言ったら、

「私は止まっている。御身こそ止まれ」と言われて心底驚いた

アングリマーラ尊者のように。

 

 

いつもお訪ねくださる方々、

ときどきお訪ねくださる方々、

お訪ねくださってありがとうござりまする。

 

 

ダイアナ・ロスの歌う

「マホガニーのテーマ」を聞きながら、

家族と、縁あってお訪ねくださった方々の

末永い安寧を祈ります。

 

 

 

訳詩付

 

 

 

結局のところ

  • 2017.10.19 Thursday
  • 23:58

 

 

みなさまつつがなくお過ごしでしょうか。

龍索堂も妻も、

大地と日月星辰の御加護を頂いて、

息災で過ごしています。(^^)v

 

 

 * * *


結局のところ

運期の鍋底だった夏頃に

龍索堂が目論んだ新しい道や

身心の脱皮を見ることはなかったんです。

そして変化どころか、その兆しも無かった。(T_T)

 

だから記事の更新を止めたのでした。

 

それにもかかわらず更新していた頃のように

毎日まいにち過去の記事にアクセスが有るんですね。

インターネットは不思議で恐ろしいな〜 (*_*)

 

 * * *

 

いつもお越し下さる方々に

少しだけ近況報告をいたします。

 

仕事は三河湾に近い田舎のホテルで雑用係をしながら、

仕事場の側にあるアパートで寝起きしています。

 

仕事の間はテレビ、新聞、雑誌など

大衆向けメディアとは一切無縁ですが、

ごくたまには読書をしています。

 

又、神仏との関係も、

祈祷も運命学も精神世界でのアプローチも、

青少年育成活動も、柔術の稽古も止めました。

 

そして毎日、ロボットのように働いている。

 

「それで楽しいのか」って?

 

楽しくはないですよモチロン。

 

でもね、これも何かの縁で

もう少しの間は此処にいることになっているのだろうから、

どうにもしようがないです。はい。(T_T)

 

社会との唯一の交流は、

朝の休憩時間と夜寝る前に

フェイスブックや、たまにウエブサイトの

ニュースヘッドラインを見る程度です。

 

それに90%以上の人が望まない仕事をしている事を思えば、

“仕事ってこんなものかな”とも思うんです。

 

 

そういえば「楽しく仕事をしてますか〜♪」

って、ネーネーズが昔「黄金の花」で歌っていたっけ。

 

 

 

今まで長く生きてきたけれど、

勧められて、頼まれて勤めたことはあっても

自分から“この仕事をしたい”と強く思ったことは一度もない。

そのせいか、楽しく仕事をしたという記憶が全くないんです。

 

龍索堂にとっての仕事とは

いつもいつも、強い義務感と緊張感の連続でした。

 

とはいえ、自分を可哀想とか不幸とは思わない。

 

仕事が無くて困っているわけではないし、

仕事が出来無くて困っているわけでもない。

たいていの仕事は少し習えばできるから。

“器用で貧乏だな”とは思うけどね。www

 

ただ、平日に妻の顔を見ることができないので、

もうそろそろ、尾張地方での勤務に戻ろうと思っているんです。

 

どなたか、簡単で高収入の仕事があったら、

是非ぜひ紹介してくださいね。www

 

 

独りでアパートに居る時に、ふと思うんです。

こういう状況だと他の人は
「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」
と疑問を持つんじゃないかな?

 

 

あるいはそれを考えすぎてウツ病になったり、
または疑問から逃げて、お酒やバクチや異性で気を紛らわそうとする。
(そう言う龍索堂自身が若い時にはそのどれも経験したので、
独り者の気持ちはよく分かりますwww)

 

 

でも今では、その答えようのない疑問に対する答えを
龍索堂はすでに受け取って持っているんです。

 

 

 我々はどこから来たのでもない
 我々は何者でもない
 我々はどこへも行かない

 

 

詳しい説明はいたしません、

言葉での説明は難しいから。

 

 

それでも敢えて言うのなら、

われわれ人間は、
喜怒哀楽を持って動き回る一個の粒状フィルタであり、
そのフィルタを通して後ろに見るものがいる。
 
  
  
ジッドゥ・クリシュナムルティは、
その状態を指して
「見る者は見られるものである(観察者は観察されるものである)」と言ったけ。

 

 

私たち個人の意識は1個だけれど、
私たちを(直接的・間接的に)見る者の意識は74億個ある。
でも本当は、もっともっと多い!!www

 

 

だから

「YOU ARE THE WORLD」(THE WORLD IS YOU)
なんだね。


私たちは人間は
幼かった昔も、年を経た今も何も変わってはいない。

 

ただこの世界での経験を少しだけ積み重ねて、

身心が経年劣化しただけ。www

 

 

つまり進歩も進化もしてはいないんです。

 

 

ほら、お年寄りでも社会のことを何も知らない人がいるでしょ?
また、幼児なのに教える側の大人以上に利発な子供がいる。

 

 

じっさいには、小中学生だった時の自分と
今の自分がまったく同じ人間だとは
とうてい思いたくないけどね。www

 

人間が生きるテーマは、喜怒哀楽という感情を持って

現実と思っている幻想世界を
輪廻転生(時間旅行・次元旅行)することであって、
人類全体が進歩したり進化することではない。

  

 

それは個人の願いや望みや夢であったとしても、
あるいは現実に起こる事実であったとしても、
私(貴方)1個人の持つテーマとはまったく関係ないんです。

 

でも龍索堂は、本当の意味での神人が

もうすぐ現れてくるのを、
何の意味もなく確信して待っているんです。
昔、アドルフ君もそういう意味のことを言っていたっけ。www

 

 

できれば、私が生きている間に、

“真の進化を遂げた新しい人類を見てみたいな”と思うんです。
(私は新人類の持つ能力を想像できるから。たぶん・・・)


しかしながら、そんなオバカな妄想をすべて捨てて、
明日も朝7時から夜8時迄の仕事に向かうんです。

 

龍索堂は会社の使用人なので。www


いつもお訪ねくださる方々、

時々お訪ねくださる方々、

お訪ねくださってありがとうございます。m(_ _)m

 

でもね、当分の間、記事は更新しないので

頻繁に訪ねて来てはいけませんよ。www

 

 

今、龍索堂が“楽しいな”と思う時間は、

休日に笑顔の妻の隣にいて、

昔の歌を聴く時だけなんです。

 

『ザ・ピーナッツは上手かったな〜』

「そうね〜」で見解は一致しています。www

 

もうすぐどちらかがこの世界を去ってしまう年代だから、

何かをしていても、していなくても

家族といっしょに過ごす時間は、とてもとても貴重なんです。

 

この話は、以前書いたことがありますので、

これで終わりにします。

では、また。

 

あなたの笑顔はダイヤモンドより美しい_(部分改訂)

 

 

 

ホンネとタテマエ

  • 2017.08.04 Friday
  • 22:41

 

みなさまつつがなくお過ごしでしょうか。

龍索堂も妻も、

大地と日月星辰の御加護を頂いて、

息災で過ごしています。(^^)v

 

 * * *

 

人間はなかなか本音を言いません。

ウソを言わない人であっても、

本当の事を言わないで毎日を過ごしている。

 

“何も思っていません”

と言っても、本音を隠しているだけのことが多いですね。www

 

龍索堂が小学生高学年の頃に、

“この世界に生きている人間も、動物のようにウソを言わないで暮らしたら、犯罪は激減するはず“

そう思っていました。

今でもそう思っているから、あんまり進歩していないのかもしれません。

 

動物や昆虫は嘘をついて暮らしてはいません。

但し、猿のような霊長類や鳥たちは、

エサを取りあう時、異性を取りあう時に、

自分を大きく強く見せようとして、

少しウソをつくようです。www

でもそれ以外の日常ではウソは必要ないんでしょうね。

 

しかし、人間はエサや異性を取りあうわけでもないのに、

ウソで塗り固めた生活をしていることが多い。

 

恐怖や不安に怯える自分の弱さを隠すため。

他人から攻撃されないように強く見せるため。

本音を言うと嫌われて、集団から排除される恐怖を知っているから。

 

独りぼっちで生きているような、

気ままな生活の中では、誰かに気兼ねすることもないし、

必要以上に自分を大きく強く見せることもない。

ただ、その日を安穏に過ごすだけ。

 

趣味が高じてそれを仕事にしている人は、おおむね本音で生きています。

 

でも、どこかの会社の従業員として、

月給取りを仕事にしている人は、

会社の、会社による、会社のための仕事をしなければならない。

 

会社という集団の中では、

個人の本音やは存在することはできないし、

ごくささやかな自由しかない。

全国規模の大きな組織になるとそれすら認めてもらえず、

組織の中の一個の歯車として、定年を迎えるまで40年間、滅私奉公をする。

定年を迎えたら、翌日からは組織とは関係ないタダの人になる。

 

日本中がそんな組織団体の会社だから、

「自由闊達な討論、討議をする」なんてのはありえない。

 

なにせ日本は100年以上も、

暗記・記憶・抽出作業が中心の詰め込み教育を、

幼児〜大学生まで、

20年近くも繰り返し行わせているんですからね。

 

たいていの場合、本当のことを言う子は教師からは排除され、

同年代には仲間に入れてもらえない。

周囲全員を敵に回す状況に普通の幼い子供たちが耐えられるわけがない。

龍索堂は、それに近い状況でしたが、なんとかグレるだけで耐えられました。www

なにせ養護施設にいた時点で、同級生からは異端児扱いでしたから。

 

 

そういえば、10年ほど前、

某全国団体の某県連盟の組織(拡張)委員会席上で

何度も皆に言ったことがあるんです。

『みんな、平日の夜に早く仕事を終えて1〜2時間もかけて名古屋に出て来て、

何も言わないで帰るなんてもったいない。

尾張人も三河人も、他府県民に比べると人前でも本音を言う方じゃないか。

せっかくの機会だから、思っていることを言い合って、これからの改善につなげよう』と。

 

そうしたら、みんな本音を言い合う・・・そんなわけはありません。

次の瞬間、各地区の上席委員長たち全員は沈黙・・・・。

(オイオイみんな、お通夜じゃないんだから)www

 

『みんなは自分の思う本当の意見を言うと、

後ろにいる地区委員長やコミッショナーから、

“おつかれさん、明日から辞めてもらっていいよ”と言われるのが怖いんでしょ?』

 

龍索堂を見ていた各地区の上席委員長たち全員は再び下を向いて沈黙・・・・。

も〜っ。www

 

結局、本音を言い合う討議討論は成立しませんでした。

それから、機会あるごとに『本音で話し合おうよ』と言ってみたけれど、結局ダメでした。

 

組織の末端加盟員や、社会人でもある地区役員同士が、

本音や本当の意見を出して討議・協議できないような組織団体は、

一刻も早く解散してください。(これ、龍索堂の本音です)

 

 

では、催眠術以外の通常会話で、

他人から本音を引き出す方法はあるんでしょうか?

 

ありますよ。。。でも教えません。

ちょっと難しいから。www

(じっさいには100人ほどの教育者に教えたけれど、

めんどうくさい類型分類なんて誰も興味を示さなかった)

 

少しだけ言うと、頭脳・感情・運動・勝負・愛情など、

人間が持つこれらのエネルギーに働きかけるんです。

その場合、相手がどういうタイプの

エネルギー発散・鬱屈を行っているのかを見極めることが難しいんです。

 

 * * *

 

自分の精神的・肉体的欲求を偽る。

これこそが、自分にとってダメージが最も大きい。

と知りながらも、龍索堂自身は、

家族の為に、生活を支える金を得る為に、

自分を偽って生きて来ました。

 

「自分を偽らず、素直に生きなさい」

そんなキレイゴトを実行できる好運を持ち合わせていなかったんです。

 

しかし、ウソをついたことは少ない。

(そんな程度の低いTVCMのような大衆洗脳の口調はすぐバレルからwww)

けれども、本音を語ったことはそれ以上に少ないですね。

 

 

では、本音を何処で言うのか、

「王様の耳はロバの耳」のように、

人里離れた土に埋めたツボの中で?

いいえ、自分が毎晩見る夢の中で良いんです。

そこで大声で何度もなんども叫ぶんです。

 

 

自分の夢の世界とはいうものの、

そこは、自分以外の別人の作った世界か、

今では忘れてしまったかつての自分が作った世界です。

つまり、自分のモノでありながら、自分のモノではない。

けれど、それでも良いんです。

 

夢の中で夢見る自分を見て、その夢の中で・・・

自分の立ち位置が分からなくても構わない。

夢の中で大声で叫んでみてください。

自分の心の裡から想う本音を。

 

宇宙に向けて発した本音の願いは、

きっと(別次元かもしれないけれど)どこかで叶うと、

龍索堂は確信しているんです。

 

 

 * * *

 

しばらくの間、休暇を取ります。

記事の更新はいたしませんので、

訪ねて来てはいけません。www

 

8月節入りの後に、新しい道が見える予定ですので、

それ以後に、新生龍索堂が誕生したら再び記事を更新します。

でも、脱皮できなければ・・・

記事は二度と更新することはない。

(これは本音です)www

 

皆様、新生龍索堂の誕生を、

生あたたく見守ってくださいね。

では、これで本当にサヨウナラ。

 

 

いつもお訪ねくださる方々、
時々お訪ねくださる方々、
お訪ねくださってありがとうございます。

m(_ _)m

 

アンドレ・リュウの演奏する

名曲「オールド・ラング・サイン」を歌いながら、

皆さまの日々の安寧を祈ります。

 

 

 

 

あの日に帰りたくない

  • 2017.07.27 Thursday
  • 17:27

 

 

みなさまつつがなくお過ごしでしょうか。

龍索堂も妻も、

大地と日月星辰の御加護を頂いて、

息災で過ごしています。(^^)v

 

 * * *

 

最近の読書は2冊です。

大東流合気柔術の錦戸先生の伝記。

素晴らしい。

 

 

 

 

 

それから、萩尾望都先生が40年ぶりに記した「ポーの一族」

う〜ん、、エドガーもアランも

キングポーも元気そうで、なによりです。

生と死の間で繰り広げられる

甘くせつないラブロマンスの展開が懐かしくて

涙がでちゃいます。(TT)

 

 

昔なつかしいといえば、

少し前に妻が聞いてきました。

 

たぶんテレビのバラティー番組で聞いたんだと思います。

 

「ねぇ、昔に帰りたい?

もしそう思うのなら、それは何歳の頃?」って。

 

『う〜ん。みんなが若かった頃を思い出して

懐かしむ気持ちは分からないでもないけれど、

オイラは、昔に帰りたいと思ったことは今まで一度もないなぁ・・・

こんな自分でも、日々、少しづつ進化していると思っているからね』

 

「そう!、あたしもそう思うのよ」

 

『どうして?』

 

妻は言いました。

「10代はつらい事が多かったわ。

20代は意地悪だったわ。

30代は未熟だったわ。

40代はまだ至らないところが多かった。

だから、ただ若いだけの昔には帰りたくないわ」って。

 

『そうだね、オイラはオマエと暮らす今がいちばん良いよww』

って言うと、妻は喜んでいました。

 

 

昔がなつかしい。という気持ちは誰にでもあるけれど、

“昔に帰りたい”。と思うのは、

いま現在に不満や不安を抱えている場合でしょう。

また、明るく素晴らしい未来や来世を

思い浮かべることができない時もそうですね。

 

一休さんの虎退治の逸話じゃないけれど、

自分の抱えている不満や不安を、

目の前に取り出すことは誰にもできない。

ということは、それらのネガティブな感情は

今の自分の中で作り出している幻想でしかない。

 

 

そういえば、坂爪圭吾さんも言っていました、

「自分の感情は選べる」って。

 

ご機嫌に生きるのだと決めてしまえば、多分、ご機嫌に生きることは意外と簡単なのだと思う。

自分の感情は選べる(これは最近の発見!ビビった!)し、自分の感情は先取りすることができる。

幸せになりたければ「おれは幸せに生きる」と決めてしまうだけでOKで、多分、自由になることは1秒でできる。

20:20 - 2017年7月12日


坂爪さんは普通の人とは違って遍歴の行者のような生活をしているけれど、

修行僧や神職でもない人が、日々の生活の中で、

感情はコントロールできるモノだということを発見できるのだから

世の中は広いな、いろんな人がいるんだな、って思うんです。www

 

彼が自分の感情は選択できんだと発見したように、

たしかに人間の持つ感情、喜怒哀楽は選択できるモノなんです。

 

ただ、それが選択できるという事実、

選択できるやりかたを

誰からも教わらなかっただけです。

 

もちろん、小さい頃は誰でもできたはずです。

道行く少年少女を見てください。

何も持っていないのに、ただ歩いているだけなのに、

楽しそうにしています。

 

でも少しづつ大人になるにつれ、

社会との軋轢の間で、

やりたくない学業やスポーツを強制され、

みんな、楽しく在ることを忘れてしまった。

 

大人の言うことをそのまま鵜呑みに聞いて

そのとおりに実行する子供だけが優秀だと評価される歪んだ洗脳教育の結果、

楽しくないことすら隠して生きている。

そして、お金の為にやりたくない仕事に就いている。

そう、それはアナタも私も同じですね。

 

 

では、楽しさや嬉しさを感じる(思い出す)

感情のコントロールの方法を教えましょう。

実はこれ、とてもカンタンなんです。

鏡の前で笑うだけです。

 

1)まず、微笑む。

2)次に口角を左右に広げると同時に細目にする。

3)次は「ハハハハハ」って声を出して笑う。

 

これを朝晩2、3回繰り返すだけで、

毎日笑顔でいることができます。

やってみてください。

 

これができるようになると直ぐに分かります。

周囲の人たちも笑ってくれるからです。

 

龍索堂は仕事をしている時、

最後に必ず相手に微笑んであげるんです。

そうしたら、10人の内8人は微笑み返してくれる。

 

でも2割の人は笑ってくれません。

笑い返す余裕が無い人なんです。

そういう人は、たいてい「勝ち負けが判断基準」の人が多い。

かれらは「笑うと負け」と思っているんでしょう。

だから、自分の笑みに対して100%の笑みを期待してはいけません。

目標は80%で良いんです。

 

また、“自分が(一所懸命に)微笑んでいるのに周囲の人は自分に微笑んでくれない”

と文句を言ってはいけません。

 

そういう時には、自分の意識のどこかに、

相手が感じるネガティブな思いがあるはず。

だから、まず笑顔を作って出会う人にプレゼントするよう心掛けてください。

そうすれば、やがてネガティブな思いを感じる余裕が無くなり、

自然に心の底から笑えるようになります。

(※コツは身心全体で笑うこと)

 

これを繰り返していると、

嫌いと思っている人、苦手と思っている人も、

やがて笑い返してくれるようになります。

 

思い出してください。

小学生1、2年の頃、貴方の目は澄んでいた。

この世界は輝いていたし、知りたい物や触れたい物ばかりだった。

あの時の世界と、今の世界は何ひとつ変わっていないんです。

ただ、貴方の知識と経験がほんの少し増えただけ。

そして生きる為に妥協と諦めを覚え、

知らない内に、澱んだ瞳で世界を見るようになってしまった。

 

思い出してください。

母親と赤子が何の意味もなく見つめ合って笑うように、

幼かった自分が、何も考えず周囲や社会や地球を笑って眺めていた頃を。

 

そうすると、大地も空も、周りのみんなも、

自分を笑って見てくれます。

これが「トホカミエミタメ(遠神笑み給へ)」の意味です。

 

 

感情コントロールの方法はとても簡単です。

喜・怒・哀・楽の感情のうち、

喜と楽は笑顔で行いますが、

怒も哀も同じやり方で作ることができます。

 

 

では、もう少し高度な方法を教えましょう。

 

喜・怒・哀・楽をコントロールしようとする時、

自分の意識の視点を脳内の視床下部(目の奥)じゃなくて、

後頭部かその後ろの空間に置くんです。

そして目の前にある自分を、

物体かロボットと思ってコントロールする。

 

たったこれだけのことですが、

効果はとても大きいですよ。

 

とはいえ、聞いたとしても

やらない人がほとんどですけどね。www

 

 

 

以上、龍索堂の近況報告でした。

 

 

 * * *

 

いつもお訪ねくださる方々、
時々お訪ねくださる方々、
お訪ねくださってありがとうございます。

 

 

 

少し懐かしい曲ですが、www

名曲「We Are The World」を歌いながら、

皆さまの日々の安寧を祈ります。

 

 

 

 

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